13 精油女 後編
「どうして、君の思考がこっち方面から離れないのかわからないよ」
呆れた顔をして、マルスプミラがパックに言った。
「そうかな。世の中、簡単にお金が手に入れる方法が少ないだけだよ」
パックはマルスにそう言いかえすと特に気にした様子もなく前に進んでいく。
周りは大きな飲み屋街だ。おねえさんがいて、おにいさんがいて、おばさんがいて、おじさんがいて、子どもはあんまりいない。建物はどれも、二階から高いもので五階建てくらいまである。建物に掲げられた看板は、全体的に低俗な言葉で埋め尽くされており、明らかに卑猥な絵が描かれているものもある。
一階は酒場か食堂になっているものがほとんどだが、二階以上は宿屋になっているものばかりだ。というより、そちらが本業だろう。
「なんか注目されているよな」
イソナが珍しく大人しい声で言った。慣れぬ場所で気が小さくなっているようだ。
「そりゃ珍しいからな」
イソロクは普段通りに見せかけて、ちょっと拳に力が入っている。
他の輩も同様だ。皆、慣れぬ場所に落ち着かず、でも好奇心は隠せない様子で歩いている。ただ、うつむいているクラリセージをのぞき。
「おう、まだ筆おろしには早いんじゃないのか、坊ちゃんたち」
昼間から酒をかっくらっている傭兵らしきおっさんに野次を飛ばされた。パックはとりあえず手を振ってスルーする。
「どこへ行くの?」
「お仕事探し」
ビスタの問にパックは答えた。
パックはちらちらとお店の中をのぞきこんで物色する。そのたびに店員に嫌な顔をされるが気にしない。
「恥ずかしいからやめてよ」
「他人の視線を気にしていたら、生きていけないのであるよ」
パックは飲み屋街の中で中堅に当たるであろうお店の一つの目星をつける。とりあえず、中に入ろうとするがマルスに手首をつかまれた。可愛いお顔がなんだかご機嫌斜めである。
「どうしたの?」
「教会じゃなくて、今度は娼館を相手にするつもり?」
マルスが怒っていることはわかる。
(自分が売られそうになったから、こういう反応にでるのかな?)
パックはやんわりとマルスの手を離そうとするが、しっかりつかまれているので離れない。美少年に怒られるとなんだかしょんぼりしてしまう。
一応、二つ目の考えに教会ではなく、娼館へと売り払う案を考えていたのだけど、クラリセージの反応を見て無理だとわかっている。
「教会でパトロン探しのほうで嫌がられたら、こっちはもっと駄目だってことくらいわかっているよ。違う方法をとるから」
そう伝えるとようやく手首を離してくれた。捕まれた場所は赤くなっていた。
(非力でも一応男の子してんだね)
パックはけだるい香水の匂いが漂う店内に入った。
「ここは託児所じゃねえぞ」
開口一番、男が言った。しゃくれた顎に貧相なおひげがついた男だ。お店の受付のようだが、その手首と首にかかっている装飾品は、見た目より価値が高いものだ。ただの店番にしてはいいものをつけている。
カウンターの上には、書きかけの帳面が開いていた。男はすぐに開いたページを閉じたが、パックはそれを見てあることに気が付いた。
(ふーん)
パックは一瞬で値踏みを終えると、にっこりと笑みを浮かべる。
「おにいさん、ここは求人はしてませんか? 雑用とか、お掃除とか、そういうのでいいんですけど。たとえば、算術ができたりする人材がいれば便利じゃないですか?」
その言葉にしゃくれ顎の男は一瞬眉を歪めた。しかし、顔を軽く振ると、
「いらねえよ、餓鬼は帰れ」
と、しっしっと追い払う。
「そんなこと言わないでよ。ここに算数ができる人いるんだよ」
パックは後ろでおどおどしていたクラリセージの背中を押して前に出す。
「ねえ、おねえさん。算数とか文字とかわかるよね?」
「え、ええっと。共通語と掛け算、割り算までなら」
教会にずっといた子どもは、最低限の学は与えられる。あの貧乏一派でもそれは行われていたのでよかったとパックは思った。
「おそうじとかできるよね。ここにはきれい好きな妖精さんもいないようだから、いいんじゃない」
おじさんの顔がむすっとなるが、否定はしない。お店の前は、他の店に比べて散らかっていた。店の造りはしっかりしているのに、どことなく手入れが行き届いていない気がする。それは長い間ではなく、ここ最近のように思えた。
加えて、先ほどちらりと見た帳面だ。店の収支が書いてあったが、ページのある行から明らかに違う字にかわっていた。前は別人が書いていたものだと推測される。
ここ最近、勤めていた使用人がいなくなった。そうパックはふんだ。
「ねえ、このおねえさん雇わない。屋敷小人じゃないけど、働き者だよ」
「ンなこと言われても、ほいほい雇うわけにもいかねえよ。こちとら、事情っていうもんもあんだから」
そう言いながらも、おじさんは顎髭を撫でながら、値踏みするようにクラリセージを見ている。
「ちょっと頭巾で顔が見えねえだろ。それ外せ」
「はいはい」
パックがクラリセージの頭巾をはぎ取ると、甘い芳香が周りに立ち込めた。
しゃくれ顎のおじさんは目を丸くする。
「『香り女』か。そいつは?」
おじさんは聞きなれない言葉を言った。きっと『薫る君』の歓楽街バージョンだろうか。
「クラリセージっていうんだよ」
パックがそう言っているうちに、周りには娼婦らしき女たちが集まってきた。その中の何人かは、相手がまだ年若い子どもだと気づくと気だるそうに部屋に戻っていった。残った何人かも疲れた顔をして、それでも好奇心に勝てないためかパックたちを見ていた。なぜだろう、どこか優しげな視線がパックに向けられている気がする。
「『香り女』って何? なんだかすごいの?」
「……『石長比売』ほどじゃねえが、売りの一つにはなるな」
男の唇がそのように動いたのをパックは見逃さなかった。
「その名前、偽名じゃねえよな」
(もうひと押しだよね)
とりあえず興味を持たせることに成功した。
パックは周りをきょろきょろ見て、
「じゃあ、確かめてみるといいよ」
と、ポケットから小さな小瓶を取り出した。
周りにギャラリーが多すぎると困るので、別の部屋に移動した。こちらもぞろぞろ付いて来られると困るので、小さな部屋にパックとしゃくれのおじさんとクラリセージ、あとおまけにマルスプミラがついてきている。
「マルス、狭いから向こうで待っててよ」
「いやだ。パックがなに言いだすかわからない」
マルスは妙なところで頑固だ。それでもって、クラリセージもまた、パックよりもマルスを信頼している顔をしている気がする。なんてシスターだ、美少女より美少年が好きなのか、とパックは口を膨らませる。
「ほれ、これでいいか?」
しゃくれ男は、パックに水を張った桶を差し出す。パックはそれに持っていた小瓶の中身をたらそうとして、動きを止めた。
「せっかくだから、マルスやってみてよ。これを一滴たらすだけでいいからさ」
パックは桶から離れて、マルスに手を伸ばす。
マルスは首を傾げながら、小瓶を受け取り、それを桶に向けて傾ける。ぴちゃんと水音がして、水面が七色に輝く。
「これって、聖水?」
「そだよ、ちょっとだけもらったの」
このあいだ、悪いことをした門番さんの部屋に落ちていたのを頂戴した。
「これって貰うって簡単に言える代物じゃないんだけど」
「うちの田舎、物価が安いんだ」
パックが適当にあしらっていると、桶の水がぴちゃぴちゃと揺れる。
「マルスは魔力が高いね。水面がこんなに揺れているよ。それとも、おねえさんかな。おねえさん、早く効用が消える前に桶をのぞきこんで」
クラリセージはパックに言われた通り、恐る恐る水面をのぞきこむ。水面から、『クラリセージ』の名が浮かび上がってくる。それは空中で漂うと、ぎざぎざの葉っぱを持った花が浮かんできた。
「さすがマルスだね。名前がよく再現されてるよ」
魔力が高い人間が聖水をそそぐほど、その効力は強く表れる。名前を表す文字だけでなく、その存在を浮かび上がらせるというのはそれだけ力が強いことを示している。
「おじさん、本物でしょ?」
「ああ。悪くねえな」
しゃくれのおじさんも満足した様子で改めてクラリセージを値踏みしている。その視線にクラリセージは顔を引きつらせた。マルスがそのあいだに入って騎士さまみたいなお顔をしている。
(そう言えば、そっちの雇用条件じゃなかったな。どうしようかな?)
パックは桶の水面から、聖水の効用が消えたことを確認すると、マルスとおじさんとの間に割って入った。
「おじさん、このおねえさんを雇用するにあたって一つ頼みごとがあるんだけど」
パックは指を六本立ててみせると、
「子どもも一緒に住み込みで働きたいんだ」
と、言った。
「はあ!?」
呆れに怒気が混じった声で返された。うむ、それが普通の反応だろう。
「ふざけんじゃねえぞ。餓鬼っておまえらのことか? 糞餓鬼どもに喰わせる飯なんざねえぞ。しかも六人って何考えてやがる」
「いや、違うよ。自分らじゃない。三歳から七歳くらいまでの間かな、そんな小っちゃい子どもだよ。食費はまだあんまりかからないから、残り物でいいからあげてくれないかな?」
とうとうおじさんは、パックの襟をつかんで持ち上げた。足がぶらぶらと浮かんでいる。
「パッ……」
マルスが乗り出してくるのをパックは手で制した。
「う……ん。それで、しょう、ふじゃなくて……ざつよう、として、やとって、もらいたい」
首がしまって声が出にくいがなんとか発音はできた。
「餓鬼、ここは慈善事業じゃねえんだよ。毎度、馬鹿な娼婦が腹ボテになって、どんだけ損失してるかわかっていってんのか? 女どもが一日休むたびに、十人の客を逃がすんだよ。わかっていってんのか!」
この男にはこの男の理屈がある。
経営者として、それは当たり前だろうとパックは思う。やはり、店の主人としてはしっかりしている方だとパックは思った。
「だ、から、いって……」
「黙れ!」
男はパックが言葉を言いきる前に、テーブルにパックの顔面を叩きつけた。水桶がひっくり返り中の水がこぼれる。
「パック!」
マルスがテーブルに突っ伏したパックを起こす。かっこ悪いことに鼻がつぶれ、片方からたらんと血が流れてきた。
絞まった首を撫で、パックは大きく空気を吸った。
「他に言いたいことはねえか」
鋭い大人の視線がパックに向けられる。
「はい。このおねえさんを雇ってください。子ども付で」
パックは、今度ははっきりした口調で言った。
おじさんの青筋がびきびきとはちきれそうなのがわかる。
「でないと困るんです。住むところはないし、職もない。塩スープと草とかわらないような野菜しか食べてなかった子どもは、野宿で何日も生きていられるとは思いません。すぐに死んでしまいます」
これなら歪んだ教育を受けながら、孤児院で育った方がマシだろう。
「でも、娼婦にはなりたくないんです。あのおねえさん、世界樹教のシスターなんです。身体を売るなんて、下卑た真似事できるわけありません」
パックは視線をおじさんに向けたまま言った。
マルスがパックをかばうように覆いかぶさっているが、かちかちと震えている音が聞こえてくる。慣れないことをやらないほうがいいよ、と助言しようかと思ったけど、ちょっと女の子扱いされているので黙っておく。
「どうしても死にてえらしいな」
おじさんが関節を鳴らしながら、もう一度パックの襟首をつかもうとしたとき。
「何でもやります。だから、やめてください。私、なんでもやりますから、お願いします!」
クラリセージが涙をぽろぽろこぼしながら、間に入ってきた。
「なんでも覚えます。お客の扱い覚えますし、昼間だって寝ないでお掃除も、簿記もなんでもやります。だから、お願いします。働かせてください!」
頭を床にこすり付けんばかりに下げて、おじさんの足にすがり付いてきた。
「子どもが六人いるなら、ちゃんと七人分働きます。お願いします。お願いしますから、働かせてください」
足にとりついて離れないクラリセージをおじさんは困っていた。
(ああ、そうきたか)
パックは、打ち付けられた鼻を撫でると、片方の小鼻をおさえてたまった血を出した。
(なんだよ、想定外だなあ)
別にこのお店でなくてもいいのに、とパックは思った。何件かはしごして、自分の甘さに打ちひしがれる姿を見たかったのに。
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになったクラリセージは、誰よりも自分の香りの効力をためすべき相手だと思った。対して、しゃくれ男は、すっかり怒りが消えてしまっている。
(困ったなあ、どうしようか)
パックは顔面の怪我のこともすっかり忘れようとしていた。マルスが差し出したハンカチがなければ、完全に忘れていたかもしれない。
「パック」
美少年に心配されるというのは悪くない、と思いつつ、パックは差し出されたハンカチを広げてマルスの顔にかけると、立ち上がった。
すがりつくクラリセージに困ったおじさんの耳元で、魔法の言葉を言った。魔法といっても魔力を使うわけじゃない、交渉術というとてもすてきな魔法である。
おじさんの顔がぴくりと動く。反応はある、でも、確実ではない。
パックはもう一つ魔法の言葉をかけた。
おじさんはまた、ぴくりと動く。
ハンカチを顔からどけたマルスプミラがこちらを見ている。
すがりつくクラリセージも見ている。
パックはにこりと笑うと、
「おじさん、今度はちゃんとした交渉をしようよ」
と、言った。
「よかったね、お仕事見つかって」
「まあ、働く場所があれだけど、ないよりマシか」
ビスタとイソナはよいことをした、と笑みを浮かべていた。
交渉は上手く言った。不思議なくらい上手く言った。どうして上手く言ったのかわからないけど、単純な二人は素直に受け止めていた。
クラリセージは、娼館で雑用係として住み込みで働くことにした。子ども六人込で。とりあえず、三年以内にどうにかするように、との条件付きだが、破格な条件に違いない。
お子様なビスタとイソナ以外は、なんだか首を傾げた反応だ。交渉の途中まで一緒にいたマルスプミラもそうだが、イソロクもかなり不可解な顔をしている。イソゴだけは、とりあえずわけがわからないけど聞くほどでもないよな、という態度だった。
パックは、樽の上に座って足をぶらぶらさせる。その表情は、面白くもつまらなくもなく、ただ淡々と空を眺めていた。熱中していた遊戯が終われば、皆こんな顔をするだろう。
「おい、パック」
イソロクが眉間にしわを寄せてパックを見る。なんとなく同じ班の中で、一番老けたこの少年は、落ち着くなあとパックは思う。見ているだけなら、一押しはマルスプミラなのだけど。
「なあに」
ぶらぶらさせた足を樽の上に置いて、両手で抱く。
「どうやって、説得したんだ? 娼館で若い女が子連れの住み込みなんてできるわけないだろ。しかも、内容は雑用全般なんて」
「ああ見えて、算術できるし躾もちゃんとなっているよ」
「俺はまだ餓鬼だからよくわかんねえけど、それで採算が合うとは思わねえよ」
そりゃそうだ、若けりゃ身体を売るもの、それが春を売る場所である。雑用仕事なんてたかが知れている。子どもを住まわせてまで雇う利点などない。
パックは、娼館にいた娼婦たちを思い出す。パックたちに向けられた視線は、温かな、子どもを見る親の目だった。あの娼婦たちは、もしかしたら孤児たちの母親の可能性はないこともないな、などと思ってしまう。
それに。
(あんまり身体にいい方法とってないみたいだね)
娼婦街を回ってみる限り、疲れた娼婦がたくさんいた。男たちの数に対して、女の数は足りていないらしく、一晩に客を複数とるのは当たり前で、時に何十人も相手をしなくてはならない。疲れて眠りたくても、疲れすぎて眠れない、そんな娼婦は簡単な現実逃避の方法として薬物に手を染めていた。いくら取り上げようとも、性質の悪い客がいつのまにか娼婦に勧めている場合がある。薬に手を出した娼婦は長持ちしない。睡眠不足におちいり、体力の落ちた娼婦もすぐ病気になり長持ちしない。
娼館の経営者としては困ったものだろう。
『クラリセージ』の効用には、鎮静や睡眠の他に、幸福感を与えるというものがある。疲れても眠れない娼婦の中にクラリセージを放り込んでいれば、それだけで娼婦が長持ちする。
とても客扱いが上手くなるとは思えないクラリセージを娼婦として十年働かせるよりも、『クラリセージ』の効用を使い、数十人の娼婦を数年長持ちさせるのとでは、どちらが得策だろうか。
それでも、経営者の立場としては、「野兎は捕まえてから料理するものだ」と言ったところだろう。ビスタの国の言葉を借りれば、『とらぬ狸の皮算用』というもので、大人しく首を縦に振らなかった。
なので、『クラリセージ』の違う効能を伝えた。
「『クラリセージ』って、俺たちの国の言葉で『オニサルビア』って言うんだよ」
何が言いたいのか、イソロクが言った。他の四人に比べて、いささか精神年齢の高い彼は何かに気が付いているようだ。曖昧に言って問い詰めないところは、とても『餓鬼』とは思えない。
「別にわざわざ就職先を歓楽街にする必要があったのか?」
するどいロクは時折面倒くさいなあ、などと思ってしまう。
「自分も子どもだからよくわかんないよ」
パックは樽の上からジャンプしてくるんと回って地面に着地した。ちゃんとポーズをとって見せる。
見事な着地に、イソロクが面倒くさそうに拍手した。
『クラリセージ』、酒とともに使用すると悪夢を見ることがある。
すべて有益な効用というわけじゃない。
そして、妊娠中使用すると堕胎を引き起こす可能性もある。
これは娼館にとって都合のいい効用だろう。娼婦が妊娠することほど、面倒なことはないのだから。客に恋をした哀れな娼婦が妊娠を隠すことは皆無ではないのだから。ゆえに、産み捨てられる孤児が生まれるのである。
(誰もが皆幸せになるとは思わないでね)
少なくとも、知らないうちは幸せだろう。
無自覚に殺していく生まれる前の命を知らなければ。
もし、司祭の愛人としておさまっていれば、いつか新しく拾ってきた命だったかもしれない。
だが、それは『もし』であって、クラリセージが選ばなかった道である。
(まあ、いい暇つぶしにはなったな)
「そろそろおうち帰る」
パックは後ろを振り返って、皆に言った。
(想定外だったからサービスしてあげたよ)
予想と外れた結果は面白いとパックは思っていた。
「そうだな」
「帰るか」
他のみんなも樽や木箱の上から降りると、石畳の上を歩き始めた。落ちた太陽に照らされて、影が長く伸びている。
その中で、ひとつだけケラケラと口を広げて笑う影があることに、誰も気が付かなかった。




