12 精油女 中編
いまさらですが、これは基本ブラックなお話です。
草色の瞳の女はクラリセージと言った。なんとなくそんな名前のような気がしたが、予想通りであった。たしか植物の一種の名前で精油の材料になるものだったはずだ。
その場にいるのは、パックとクラリセージ、あとぼろぼろになったビスタにイソナがいる。先生は、さっさと帰ってしまった。他の三人は、パックが頼みごとをしたので、絶賛パシリ中である。気の短いイソナと具合の悪いビスタだけ残ってもらっている。
街中の安食堂に、水だけを頼んで居座っている。実に嫌な客たちだ。給仕のおねえさんが目を細めてこちらを見ているが気にしない。
「ねえ、パック。どうしようっていうのさ」
ビスタがパックに問いかけた。
「どうしようも何も、金策するに決まっているよ。世の中、愛よりお金で解決できることのほうが多いでしょ」
「元も子もないこと言うなや」
イソナが辟易した顔で言った。
彼とてわかっているはずだ。兵役など、お金を積めば逃れられることくらい。この都市にいる学兵たちのほとんどは、上げられる税金の代わりに差し出されたものたちである。
「おねえさん、すごくいい匂いがするよね。香水つけているわけじゃないよね」
パックがたずねると、クラリセージは草色の目を不安げに揺らしながら、頭巾を目深にかぶった。被ったところで、彼女の香りは消えないのだが、それでもやってしまう癖だろう。
「それ、生まれつきだよね」
パックが言うと、ビスタは目をぱちぱちとさせた。イソナがビスタを見て首を傾げる。
「どしたんだ?」
「『薫る君』なのか」
ビスタはパックが聞いたことがない単語を言った。おそらく東方の言葉である。同郷出身のイソナは、「ああ」と頷いた。
「ねえ『薫る君』って何?」
意味はなんとなくわかっていたが、念のため確認する。
「生まれつき芳香を持つ人のことを、そう呼んでいるんだ。たしか、古い絵物語の登場人物の名前から来ているらしいけど」
「そうかあ。そういう呼び方もあるんだね」
パックはわざとらしく関心して見せて、クラリセージのほうを向く。
「ねえ、おねえさん。もしかして、その匂いのこと気にしてる? それだったら大間違いだよ。むしろ誇りに持った方がいいよ」
パックはクラリセージの頭巾をはぎ取った。そこには草色の目を色濃くしたモスグリーンの髪が現れる。ふわっと漂う香りに、パックはあくびをしそうになる。とても眠たくなる香りがした。
名前自体にそれほど強い力はないが、魔力が高いらしい。鎮静・睡眠作用がある植物の効能を無自覚に引き出している。
(野郎ならともかく)
芳香漂う女は使い道があった。
「おおーい、頼まれてきたもの調べてきたぞ」
お水の二杯目のおかわりをしたところで、ぱしっていた三人が帰ってきた。手には、それぞれ紙切れを持って、それをパックに渡す。
パックはメモを眺めると、顎を撫でながら鼻歌を歌う。
「それ、何の意味があるの?」
マルスがたずねてくるので、
「いけばわかるよ」
と、パックは笑った。
テーブルに水代の銅貨を置いて、目的地に向かうことにした。
「ここは……」
「うん、世界樹教の一派だよ。君のところと同じ時期にわかれたところだね」
パックたちがやってきたのは、大きな教会の前だった。その昔、戦争都市と呼ばれる前は宗教都市という名であったヴァルハラだ。教会の数は少なくない。
聖地をエルフたちに占領されてからというもの、この街の最大権力者は神さまの御使いから軍人にかわった。そのため、世界樹教の中でいろんなごたごたが起こったらしく、いくつも分派が生まれたという。
クラリセージもその一派であり、うまく信者をつかめなかったため、今のように落ちぶれていったのだろう。それはそうだ、子どもを拾ってきては、それを養うために野菜を作っている。清貧といえば聞こえはいいが、多少の見栄をはらないと信者は集まらない。掘立小屋に落とされるお布施などたかが知れている。
対して、うまく派手なパフォーマンスをして観客を集めた宗派はどうなるかといえば、目の前の建築物だ。巨大な世界樹を描いたステンドグラスが視線を集める。その周りに趣向と技巧をこらしまくって、繊細を通り過ぎて下品になった建築物がある。
「派手だねえ」
「派手だよなあ」
「あれって槍とか剣がモチーフだよな。世界樹関係あんの?」
「いいんじゃねえの。なんかかっこいいし」
「あれは、軍人と傭兵信者に引き込むためだよ。簡単に食いついちゃだめだよ」
「まじか?」
世界樹教の一派と名乗っているが、どう見ても新興宗教だとパックは思う。その新興宗教の神さまはきっと世界樹ではなく、世界樹の代弁者と語る人間であるとわかっている。
隣にいるクラリセージはいかにも悔しそうな顔をして、その派手な建築物を眺めている。いや、悔しいというのだろうか、そこにはぎりぎりと歯ぎしりが聞こえないようにするため深く唇を結んでいるように思えた。憎しみという表情を顔に表すとすればこれではないかと、パックは思った。
どちらが正しいといえば、きっとクラリセージの宗派のほうが正しいと皆は思うだろう。でも、どちらに惹かれるかといえば、より派手で目立つほうだ。それが人間というものである。
「ここで何をするんですか?」
頭巾を目深にかぶったままクラリセージが言った。
パックはにやりと笑って、先ほど貰ったメモを見せる。そこには、この都市に三つある主要な教会の構成メンバーが書かれていた。名前をそのまま載せることはないが、司祭やシスターの大体の人数は公開されている。それに、付属の孤児院があるか、孤児の様子はどうだったか、とおおざっぱだが見てきてもらったのだ。
パックはその中で、孤児院が併設されて、かつ教会の構成人員にある偏りがある教会の前に来ている。
「そうだね、中で相手を値踏みしようか」
パックはつかつかと中に入っていく。子どもが六人と大人の女性が一人、そのままでは目立つのでとりあえず二つに分かれることにした。パックはクラリセージとマルスプミラとともに中に入る。
「中は思ったよりまともだね」
豪奢な巨大アーチをくぐって回廊を渡る。天井にはフレスコ画、まるで巨大樹の下にいるような気分にさせられた。なるほど、これを見るためにここに来る価値はあると思った。外側の悪趣味なデザインを全部はぎ取って、これだけ見せればいいのに、とパックは思う。
信者たちもまた、天井を仰いで世界樹の絵に向かって手を組んでいた。本来仰ぎ見るであろう司祭席には向いていない。
信者の中で一番多かったのは、軍人や傭兵らしきものたちだったが、それは街の構成人員を考えれば当たりまえだった。それでも、若い女性や子どもがけっこうたくさん中にいるのを見て新鮮に思えた。
シスターや孤児院が併設されていることを考えるとわからなくもないが。
(それにしても)
ずいぶん若いシスターが多いなあ、とパックは思う。十代半ばから二十代。この都市では珍しい年齢だ。そのどれもが、地味だが元はいいと思われる顔立ちをしている。
そして、併設されている孤児院には、ぱっと見るだけでも女児の比率が高い気がする。
「どうしました? 気分が悪いんですか?」
マルスがクラリセージの顔色を見ている。口元をおさえてある一点に視線を集中させている。その先には、ふくよかな体つきをしたシスターがいた。年の頃は十代後半といったところか、クラリセージと年齢は同じくらいだ。
手のひらで腹を撫でながら歩いている。
「もしかして、知っている人ですか?」
マルスの言葉に、クラリセージはびくっと身体を揺らした。
「し、知らない。あんな子、知らない」
「ちょ、ちょっと」
クラリセージは方向転換すると、そのまま回廊を走り抜けていった。
(なーんだ。ここのこと、知っているんだあ)
パックはちょっと残念な顔をして、クラリセージを追いかけた。
クラリセージは教会からでて、誰もいない裏路地の壁の前に突っ伏していた。地面が濡れていて、それを見たマルスは伸ばしかけた手をそれ以上動かすことができずにいた。
パックは首の裏をぽりぽり掻きながら、
「おねえさんってもしかして、あの孤児院出身なの?」
と言った。
クラリセージの肩がびくんと揺れたところを見ると正解だろう。
大方、その孤児院にいれば、自分が将来どうなるかわかったのだろう。聡すぎる故に、何も知らずに幸せになることはできなかった。
世界樹教は基本妻帯可である。新興宗教である先ほどの一派も同じであり、結婚に関してはシスターにも制限はないのだろう。でなければ、大きな胎を見せびらかすように歩くまい。
あくまで、パックの推論であるが、あそこは孤児院で育てた女児を成人するとともに司祭に召し上げていると考えられる。幼い頃から恩を受けたため、多くの少女たちはそれが当たり前だと教育を受けている。素直に従順な花嫁となるだろう。
(ロリコンの巣窟)
やだやだ、とパックは両手を頬に当ててふるふるしてしまう。もし、さっきの教会で目をつけられていたらどうしようと不安になってくる。
幼いころからの言い聞かせに疑問を持ったクラリセージは、あの孤児院から飛び出して、他の宗派の門をくぐったのだろう。清貧を美としたあの掘立小屋のような教会に。いや、昔はもっと違う場所にあったかもしれない。金のない貧乏宗派は、元の場所を追い出され、仕方なくあの橋の下にうつったのかもしれない。
たとえ貧しくとも、子どもたちを自分で育てようとしたのは、他の孤児院に子どもを預けるのが怖かったのだろう。自分の未来を大人たちに勝手に構造され、知らず知らずに好きなようにもてあそばれることに。
パックはしゃがみ込んだクラリセージに視線を合わせると、目をぱちくりさせた。
「じゃあ、どうしようか、金策。おねえさんの初夜権でも売ったら手早くお金が入る予定だったんだけど」
「しょっ……!」
顔を真っ赤にするのはマルスプミラだ。本当にりんごみたいな男の子だ。初夜権の意味をわかっているとはなかなかおませさんである。
目を真っ赤にしたまま睨み付けるクラリセージは、パックに何か言いたげであったが、その口はかちかち音を鳴らすだけで言葉を発しない。ただ、首を振り続け、否定するだけだ。
パックは首を傾げる。子どもたちを育てることが一番だというなら、さっさとお金を稼ぐことが先決だ。それなのにその方法が嫌だという。
「自分は、誰か一人をのぞいて、他の皆を楽にできるって言ったはずだけど。その一人がおねえさんってことわからなかったかな?」
また、クラリセージは首を振る。
「初夜権を売ったあとも上手くいけばパトロンを捕まえることができる。おねえさんの香りはとても心地よくて幸せな気分になれる。他の女の人よりもずっと強い武器を持っているんだよ。お願いすれば、子どもたちは孤児院に入れてもらえる」
クラリセージは、首を振り続ける。
「それとも、貧相な野菜と塩スープで子どもを育てるつもり? そのうち死ぬよ。おねえさんは自分の満足のために子どもを殺すんだね」
頭巾が外れ、モスグリーンの髪がパックの頬をかすめた。
わけがわからない。
パックが両手を左右に広げてお手上げのポーズを作っていると、マルスが肩を掴んできた。
「他の方法はないの?」
マルスの視線はパックを見ずに足元に向いていた。なんだろう、この態度。
「仕方ないね。これで嫌なら残りも難しいと思うけど」
パックは深く息を吐いた。
マルスは、泣き癖のついたクラリセージを立たせる。その綺麗なお顔には、どんよりとした表情が浮かんでいた。
「なに? マルス」
「……なんだか今日は、パックが知恵の実をそそのかす蛇に見える」
「そうなんだ。じゃあ、行こうか『知恵の実』くん」
パックは他の四人に合流するため、きょろきょろと回りを見渡した。




