11 精油女 前編
お休みの翌日、いつもの集合場所にはちゃんとマルスもいた。
最後に来たのはパックで、他の皆はマルスの周りにいる。ガーハイム先生も、椅子に座って遠巻きに見ていた。
パックはパタパタとマルスたちのいるところに近づいた。
「パック!」
パックに最初に気づいたのは、ビスタだった。彼はニキビの浮いた顔に、安堵の笑顔を見せていた。他の皆も大体同じ顔をしている。ちょっとはにかみ屋さんのイソナだけは、少しもごもごした顔だった。
「マルスが見つかったよ」
「うん、見ればわかるよ」
不思議だ。手習いの足し算引き算より簡単なことをあえて報告するのだ。人間とは情報を共有したがる生き物らしい。
「みんな、心配かけてごめんね」
そう言うマルスプミラの顔はなんだか青白かった。
「大変だったね」
パックはそれだけ言うと、机の上にどかっと座り、話の聞き手に回ることにした。話を聞いているうちに、「あれれ?」と声をかけたくなった。
「大変だったな。まさか、お前がそんなにドジだと思わなかったぞ。丸一日倉庫に閉じ込められるなんて」
「にしてもひでーよな。おまえんとこの宿舎長。倉庫の掃除頼んだっていうのに、忘れて鍵しめるなんて」
(なんだろう、これ)
マルスの顔色は悪いままだ。むしろ、さらに悪くなっている。
パックは頬杖をついて、にやりと唇を歪める。
善良な生き物は、真実と異なることを口にすると、具合が悪くなるらしい。聞いたところによると、心臓が締め付けられるような痛みを感じるという。
(うそつきはだめなんだよね)
足をぱたぱた振りながら、みんなを観察する。昨日まで、誘拐だの逃げただの騒いでいたイソナやビスタはなにごともなかったかのように笑っている。イソゴやイソロクも同じように笑っている。
(違和感ありまくるなあ)
パックの記憶が正しければ、イソナやビスタならともかく、イソロクがそんな言葉を鵜呑みにするのかな、と考えた。
昨日、接して思ったのは、イソロクが三つ子の中でとびぬけて優秀であることだった。普段は、三人一組で箱売りしているためわからないように見えるけど。
(イソロクって本当はすごい意味を持つ名前だったりして)
そんな片鱗さえ感じさせたというのに。
「いるとしたら、西門か南門周辺」
そのようにパックに言ったのは彼だった。ヴァルハラでマルスプミラを競る場所はないだろうと予測し、かつ街を出るために必ず使われるのが四つの門だ。そのうち、西門、南門がもっとも賊が通る可能性が高いとまで予測していた。
だから、パックは西門の周りをうろうろして、偶然にも『恐ろしい妖精』を呼び出す声を聴いたのだった。
パックという名は、プーカから由来している。それに属する言葉を通称として使うことは珍しくない。名前の効力をおさえるためだ。名前は一つだが、通り名はたくさんある。変な風習だが、理にかなっているから仕方ない。ヴァルハラに来てから『パック』としか名乗っていないため、皆『パック』が真名だと思っているみたいだけど。
そんな思考のできるイソロクが素直に「閉じ込められて出られなかったよ」というマルスの言葉を信じるだろうかと勘繰ってしまう。もしかしたら、マルスが捕まっている最中に、とても口に出せないような辱めを受けて、それを察したイソロクが知らないふりを演じているのだろうか、と考えたがそれはなさそうだ。思ったより頭のよいイソロクだが、同時に手も早い。
素直にうむうむ、と会話に相槌を打っている。彼にそんな自然な演技ができるは思えない。
(別にどっちでもいいと言えばいいけどね)
パックは教室の中をぐるりと眺める。他の班の生徒たちが各々、仕事前のおしゃべりを楽しんでいる中、一人目につく人物がいた。ごく自然に、道端の石ころか落ち葉のようにその場にいる。当たり前のように、椅子に座って、他の班の中に混じっているように見えたが、パックはその顔に覚えがなかった。慣れた雰囲気から新人さんとも違う気がする。平凡といえば平凡だし、整っているといえば整っているし、不細工といえば不細工かもしれない。見た目は男だが、女にも見えなくない。そんな人物だった。仮に男としておく。
男は口をぱくぱくさせていた。一見、会話に混じっているように見えるが、なんだが違う。
共用語とは違う言語を口にしている。
パックには理解できない言語、少なくとも北方の言葉ではない。だが、いくつか聞き覚えのある言葉が聞こえてくる。
(イソゴ、ランナー、レイツ、バイスタンダー……)
それらはこの教室にいる学兵の名前だと気が付いた。いくつか聞き覚えがないものがあるのは、それが別称でなく本来の名前なのだろう。
その中に、プーカと言う名もあった。一応、徴兵にあたり詐称は怒られてしまうので、パックもその名前を使っている。
(暗示ねえ)
魔力の高そうな奴だが、その名前だけでは意味がないよ、と教えてあげるべきだろうか。いや、もちろんしないけど。
(かかったふりでもしておくかな)
ずいぶん舐められたものだ。確かに、その手の術は相手に知らされずに使えば、格上の相手でも効力を発揮する。ゆえに、この教室にいるほとんどが何事もないようにマルスの話を聞いている。
(どういう名前の奴なのかな?)
一方的に名前を知られるというのはいけない、相手に自分の急所を見せつけているようなものだ。
パックはまったく覚えにくい顔の男を脳裏に焼き付けることにした。
そのうち悪戯で返してあげないといけない。
「パックくん」
お仕事場に向かう途中で、ガーハイム先生が声をかけてきた。先生がしんがりで、パックがその前にいる。この配列が固定なのは言うまでもない。
なんですか、と視線を合わせると、
「マルスくんは昨日、大変だったと思うのでそっとしておいてくださいね」
わざとらしいくらい、お優しい言葉をかけてきた。本当にわざとらしい。
(そういえば先生の名前は呼んでなかった気がする)
暗示にかかっていないとしたら、この先生が楽観的な考えをするとは思えなかった。
つまり、誘拐事件についてあまり知られたくない情報が紛れ込んでいたということだろう。
(こわいなあ、気づいているなあ)
そうなると、パックはこういうしかないのである。
「はい、先生」
パックは元気のいい返事をした。
実によい子である。
(せっかくよい子してあげたのにな)
「では、この場所を破壊しますので、みなさん、道具を持ってください」
ガーハイム先生は、三本傷がなければ優男に見えるお顔に、サディスティックな笑みを浮かべていった。
場所は、街のはずれのはずれ、街を横断するように流れる川の橋の下だ。そこには、崩れ落ちそうな掘立小屋が建っていて、その周りにはすがりつくような目をした子どもたちがいる。この都市で子どもは少ない、でもいないわけではない。
掘立小屋には、どこからか取り付けたエンブレムがあった。葉っぱの形をしたそれは、世界樹教の一派のものである。
ガーハイム先生のお仕事は生徒の顔を青ざめさせるものが多い。家畜の解体だったり、死体運びだったり。今回のお仕事は、ただの建造物の破壊なので、特に血生臭いことはない。でも、皆の顔色は悪い。
「せ、先生。本当にやるんですか?」
おずおずと聞いてきたのはイソゴだった。彼の視線はガーハイムと哀れな目をした子どもたちに注がれている。
子どもたちはパックよりも小さい子ばかりで、いろどりも様々だ。白い肌の子も褐色の子も、黒髪もいれば白銀や赤毛もいた。それらが五、六人、よりそって橋の下で生活していたのである。一人だけ、大人の女性がいる。その頭には、黒い頭巾のようなものを被っている。みんなのシスターといったところか。彼女を中心として、子どもが集まっていた。
軍人もしくは傭兵と娼婦の子、それらが捨てられたのだろう。顔立ち色合いがさまざまなことから容易に想像がつく。
そこに家をぶち壊すどでかいハンマーを持った人間が現れたらどうだろうか。
「でていけ、俺たちの家を壊すな!」
「だめ!」
シスターの制止も聞かず、子どもの一人が勢いよく飛び出た。その小さな手には石ころをつかんでいる。次に起こす行動は、言うまでもない。
「おおっ」
顔面に向かって投げつけられたので、パックはひらりと避ける。避けたのはいいが、後ろにいたイソナの肩に当たった。
「って」
イソナは一瞬飛び掛かるような形相をしたが、震えながら訴えかける孤児を見て振り上げた拳をどうすることもできなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。許して下さい」
頭をこすり付けて、シスターが謝る。子どもたちも真似するように謝罪する。石を投げた子どもだけは震えながら睨んでいた。
(どう考えてもよい子のやることじゃないね)
むしろ悪人である。後ろにいるインテリがとても悪い顔をしている。
いや、法を守るという立場を考えると、ガーハイムのやろうとしていることは正しい。国有地に勝手に入り込んで住んでいるものたちを排除する。少なくとも法の上では正しいのだ。
ただ、今回は相手がそうならざるをえない立場にいること、まだ幼い子どもであることが問題だった。
こういう場面にいるのは、いかにも悪人面のおとなたちであるべきなのに、それに見合うのはガーハイム先生くらいしかいない。あとはまだ成人もしていない子どもばかりだ。その中に、吹けば飛びそうな金髪美少年と花のように可愛らしい少女がいることも忘れてはならない。
(乙女にこんなことをやらせるなんて、ひどい先生だ)
先生はひどい先生だとみんなの視線が語っている。
その中で、ビスタはおずおずと口を開いた。
「せ、先生。ま、まず、この子どもたちを新しい住居に案内してからのほうが……」
ビスタの言葉は希望的観測に基づいたなんたらだとわかった。つまり、そうなったらいいなという欲望垂れ流しの、自分の罪悪感が少しでもなくなる道を求めた発言である。
「あるわけないでしょう。それは仕事には入っていません」
何を言っている、といった顔でガーハイムは言い放った。
ありもしない希望を閉ざされた学兵たちは唖然としている。それぞれハンマーを持った手が震えている。
それを見てガーハイムは鼻で笑う。
「子ども相手だから、何もできないとか思っていませんか?」
丁寧なのに馬鹿にした口調だ。
ガーハイム先生は、ビスタに近づくとその胸倉をつかみ、頭突きをした。ビスタは額をおさえたまま、地面にしゃがみ込む。
「誰が座っていいと言いました?」
先生のつま先がビスタの鳩尾にめり込む。ビスタの身体はふっとんだ。掘立小屋の壁にあたってとまると、そのまま胃の内容物を吐き出した。ちょうど畑だったらしく、育った貧相な野菜はビスタの体重でつぶれている。
その様子を見て、孤児たちも三つ子もマルスプミラも目を見開いている。
「あなたたちも自分が子どもだと思っているでしょう? 相手は大人だ、手加減してくれるに違いない。でも、世の中は理不尽にできているんですよ」
先生の言葉は正しい、とパックは思う。
先生のやりかたはともかくある一つの目標に向かって生徒を育てているとわかる。
(二年後、戦場にいかなくてはならない)
敵は相手が子どもだからと油断してくれるだろうか。逆に、相手が子どものような生き物でも躊躇なく武器を振れるだろうか。
森人だろうと魔人だろうと、とりあえず人に似た形をしているのだろう。家畜を殺そうが、死体運びをしようがそれは模擬にすぎない。これも模擬だ。
(子ども相手でも躊躇しない、かつ、命令に従順になるための訓練)
それがわからないとなると、まだまだ自分の立場を理解していないことになる。
訓練とはいえ、その中で自分の家を壊される子どもたちはたまらないだろう。ぎりぎりと歯ぎしりをして、見ていることしかできない無能者。神に祈るしかできないシスター。
パックはハンマーを手に取ると、つかつかと掘立小屋の前に立った。そして、思い切りフルスイングをする。破片をまき散らしながら、粗末な小屋は形を崩す。
「やめろー」
先ほど石を投げつけてきた子どもがパックにつかみかかってきた。パックは小柄だが、見た目よりも力が強い。対して、相手は欠食児童だ。襟首を持ってばたつく子どもを持ち上げる。お仕事の邪魔だからお返ししようと、腕を振り上げようとしたら、
「すみません、すみません。子どものすることです、許してください」
シスターがパックにすり寄ってきた。薬草のような匂いが香ってきた。お茶の匂いに近いのかもしれない、落ち着く香りが漂う。ふと、急激に目蓋が重くなった。睡魔が襲ってきた。
(あっ、この人)
パックは、頭巾の下に隠れていた草色の目を見た。垢ぬけない顔だが、女なんてものは化粧で変わるって隣街のにいちゃんはよく言っていた。
パックの顔に、にやりと笑顔が広がった。
パックは子どもをシスターに返し、ハンマーを置いた。
「先生、この仕事の納期はいつですか?」
パックはガーハイムにたずねた。
ガーハイムは、目を細めた。
「五日間で更地にとのことです」
粗末な小屋だ。二日あれば十分な仕事だろう。
「先生、一日だけ保留してあげてもいいんじゃないでしょうか?」
パックは、目をきらきらさせて、先生を見た。
「このままでは、後味が悪いでしょう。一番、大切なのは、より無駄のないお仕事だと思います」
「……なにか提案があるんですか」
先生の目を見て、パックは脈があると思った。
「はい、一人をのぞいて、他の皆が楽になる方法を思いつきました」
そう言うと、パックは草色の瞳の女を見下ろした。




