9 リンゴ泥棒 後編
「マルスプミラはどうしましたか?」
ガーハイム先生が言った。基本、お仕事は教室代わりの教会の講堂で一度待ち合わせをしてからいく場合が多い。パックたちの班以外も何組か、同じように待ち合わせをしているので、部屋には合わせて三十人くらいいるだろうか。でも、その中に、マルスは混じっていない。
ガーハイムの言葉に、パック他四名は首を振る。パックはロスおじさんの家に、三つ子とビスタは学生兵にあてがわれた宿舎に住んでいる。
「たしか南宿舎って言ってたよな」
比較的マルスと仲が良いイソナはきょろきょろと回りを見渡すと、南宿舎に住む学生を見つけたらしく、小走りで近づいて行った。その後、何人かに聞いたが、反応を見る限り何の成果も得られなかったのだろう。むしろ、肩の落とし具合からあまりいい情報が聞けなかったようだ。
「昨日、宿舎には帰ってないってよ」
いうまでもなくその不安は、先日話していた誘拐事件へとつながった。
「ひでー先生だよな、仕事を先に終わらせなさい、なんて」
近くの養豚場の豚の解体を終えて、イソゴが言った。手が血生臭いらしく機嫌悪そうに匂いを嗅いでいる。井戸の水で何度も洗っているが、匂いは落ちない。
「……たまたま、外泊しただけの可能性もあるし」
最悪の状況を考えようとせず、気休めを言うのはビスタだった。豚の血の匂いに酔ったのか青白い顔のまま、顔に返り血をつけている。
パックは、貯蔵庫からいただいた恵みを美味しくいただきながら、木の上から三つ子とビスタを見る。解体のノルマ数をこえたところでパックは、自主休憩に入ったのだ。さぼりではない、自主休憩である。
それにしても、今日はマルスがいないためか、とても雰囲気が悪いと思う。
なんとなくガーハイム先生も、機嫌が悪そうだ。普段なら、眼鏡の奥をほんのりキラキラさせながら、無駄口を叩いている学兵をしごきにくるというのに。機嫌がいいときほど、学兵をしごくなんて本当に危ない先生だ。
「……それに」
「それになんだよ」
気休めを続けるビスタに、機嫌悪そうに返したのはイソナだった。
「マルス、僕ら以上にここの生活合わないんじゃないかなって」
その言葉は一つの禁忌と言えた。徴兵された以上、何かしら不適格要素が認められない限り、勝手にやめることはできない。それが学生であってもだ。
ビスタの言葉に、イソナは襟をつかむとそのまま頭突きした。
(おうおう、男の子だねえ)
適度に塩がきいた生ハムをナイフで削りながら、パックはそれをつまんで口に入れる。
「マルスが逃げたっていうのかよ!」
「別にそんな意味じゃ、ただその可能性もありうるって」
わいわいがやがややっているうちに喧嘩になるのは、年頃の男の子である。別に、過剰なスキンシップだと思えば、大したことはないとパックは思う。ゆえに、ハムをつまむのを続ける。
「おい、さぼり野郎。食べかす落とすなよ」
木の下から声が聞こえてきた。パックは膝の裏を枝に引っかけて蝙蝠のようにぶら下がる。
「なに、イソロク?」
「なんだよ、そのハムどうしたんだ?」
「食べる?」
「共犯になりそうなんで遠慮しとく」
(勘がいいな)
イソロクは三つ子の中で一番賢い。たまに喧嘩っ早いこともあるが、それでも話が一番通じやすい相手である。
「マルスはどこにいると思う?」
(そんなこと言われても)
パックはパックであって、マルスではない。
逆さまのまま、肩をすくめて見せる。
「じゃあ、質問を変える。マルスが仮に人さらいにあったとして、その後のルートはどのように進むのが一番いいだろうか」
「……仮定の話ねえ」
パックは膝をまっすぐ伸ばすと、そのまま猫のようにくるんと回って地面に着地する。それを見て、「お前は獣か?」とイソロクが言う。獣ではない、パックはパックだ。
パックは木の枝を拾うと、地面に大きな四角を描き、その四方に印をつけていく。
「最初に問題があるとすれば、城塞都市には競を行う場所がないかな。もしかしたらあるのかもしれないけど、軍人や傭兵が奴隷を望むには不適切な場所だと思う。隠し場所がないから。これはマルスの利用価値が美少年であることを重視して考えてる。外に出したら面がばれるから使い勝手は悪い」
この地方、城塞都市近辺では少なくとも奴隷制はない。元は宗教都市であったことと、現在戦争都市であることが原因だ。前者は宗教的観念から、後者はたとえ奴隷を買っても養い手が死ぬ可能性が高いためである。
なので最初に人さらいたちが直面する問題は、街を出るときであろう。パックは街の門をさらに二重丸で囲っていく。門には衛兵がおり、荷物の確認は彼等がすることになっている。ここを出なくては、せっかくの商品を売ることはできない。
(衛兵ねえ)
パックが首をかくかく揺らしながら枝をぐるぐる回す。思い当るふしがあるような、ないような微妙なところである。
その様子を見て、イソロクはパックから生ハムをとる。ナイフで削って口に入れる。結局食べるらしい。
「俺は、帰ったら探そうと思う。おまえもどうだ? 暇つぶしくらいになるぞ」
「ガーハイム先生は、自力で逃げろって言ってたけど」
パックはイソロクが削ったハムをつまみ口に入れる。そろそろ喉が渇いてきた。
「でも、面白そうだろ?」
イソロクは、不謹慎な言葉を使った。今、取っ組み合って喧嘩しているイソナとビスタが聞いたら、殴りかかってくるかもしれない。
でも、パックの興味を引くには一番の言葉だった。
「ははは、ロクは人を使うのが上手いね」
「どうも」
イソロクは扁平な顔をにやりとさせる。変わり栄えしない三つ子といったことを訂正しないといけないと思った。
本当に人間は面白い。
(退屈は困るなあ)
パックは乾いた喉を潤すため、井戸へと向かう。
自分の奥の本当の名前がざわついた気がした。
〇●〇
「馬鹿かお前」
酒瓶に直に口をつけながら同僚が言った。いや、同僚ではなく相棒といったほうが正しいだろうか。
「マルスで『軍神』かよ。いくらなんでもこんな餓鬼がそんな大層な名前なわけあるかよ」
悪酔いして大声で笑う相棒に、ヴィラは目を細める。
なんとでもいえ、それでも上玉には変わりない。そういう意味でも攫ってきたのだ。たまたま、先日見つけた子ども。名前はさすがに勘違いだったが、攫うには十分な容姿をしていた。
床に寝転がる子どもは、きれいな金髪の少年だ。この手の子どもは、変態どもに高値がつく。徴兵された中にいるとは思えない上等品である。学兵は大体口減らしのために連れてこられたものが多く、消えたところで捜索は早々で切られる。
薬師に特別に配合してもらった薬は、半日に一度嗅がせれば大人しくなる。明日、運び屋が来るので、それまで樽の中にでも押し込めておけばいい。
残念なことに、その名は『りんご(マルスプミラ)』であった。教会からくすねてきた聖水をたらした桶を見る。神託に使われるもので、これで与えられた名前を確認する。それは、魔力が多少あれば相手の名前を確認することができる。ヴィラはその最低限の魔力を持っていた。
「『りんご』なら、普通に売ったほうがいいわな。魔力はありそうだし高く売れるだろ」
それはそうだ。買い手にとって意味のある名前を持つ人間は少ない。『りんご』は悪い名前ではないが、それを欲しがる相手を捕まえることは骨が折れるだろう。ならば、悪趣味な貴族たちの前で、ひん剥いて競にかけたほうがよっぽど手間が省ける。
さて問題はいくらで売れるか、と今回は何もしない仲間の取り分をどれだけ減らせるかである。目の前の同僚は、高級品だとちびちび飲んでいた酒を豪快に口にしている。これから入る金をあてにしているに違いない。相棒と呼んでいるが所詮は他人だ。金銭はしっかり線引きしておかないといけない。
口減らしのため徴兵された男にとって他人とは利用する生き物だ。ゆえに七年間の兵役の間に、ため込むものはため込んでおきたい。
ため込んだもので家を買う。誰にも邪魔されない自分だけの住処を。ただ増えるだけ増えた兄弟を押し込める小屋ではない、もっと広く居心地の良い場所を手に入れる。
名前に流されているのかもしれない、と笑ってしまう。『高級邸宅』という名前に。
「他に売れそうなのはいなかったのか?」
相棒の質問に、ヴィラは首を横に振る。
「こぎたねえのばっかだよ。売る方が労力になる」
ヴィラは、それでも元はとれるだろうか、と頭の中で計算機をはじいていると、後ろからがさっという音が聞こえた。
「ねえ、何をしているの?」
背後から甲高い声が聞こえてきた。女、いや子どもの声だ。けらけらと笑い声も響いてくる。
振り向くと、そこには子どもがいた。濃紺の髪の短い子どもだ。丸っこい顔に落ち着きのない目が煌々と輝いている。ランプの光に照らされて金色に光っていた。
「おい、坊主。なんでこんなところに……」
ヴィラの代わりに同僚が質問する。その目には明らかに戸惑いがあった。
ここは南門の三階の宿直室だ。入口はヴィラたちの背後にある。そして、子どもはその反対側、窓枠の上に座り込んでいる。
「ふふふ、どうやって入ってきたか知りたい?」
子どもはおどけて窓の目張りをめくる。今日は満月で月明かりが、部屋の中を照らす。
「!」
ヴィラは月明かりとともに伸びてきた子どもの影に驚愕した。長く伸びたその影は、人の形をしていない。子どもは両手を広げているが、その影は大きな翼を広げていた。鳥、大鷲の影がそこにあった。
ぴちゃんと水音が聞こえた。ヴィラは桶の水が躍るように跳ねていることに気が付く。聖水には名前を見るとともに、魔力の大きさもはかることができる。聖水が反応しているのは、目の前の子どもに違いなかった。
「この野郎!」
相棒は、剣を鞘から抜く。
相棒は魔力を持たない。ゆえに水桶があれほど揺れていることにも、影が人の形をしていないことにも気がつけない。
「ふふふっ、ふふふ」
子どもは踊るように跳ねる。抜き身の剣を振り下ろされても、怖がる様子もなく紙一重で避けている。
「はーい、答え合わせでーす」
子どもは、月明かりで金色に光る眼を細める。首筋すれすれに刃を避けると、相棒の後ろに回った。
魔力を持たないものはうらやましいと思う。この恐ろしさが感じ取れないのだから。
充満する魔力に酔うことはあっても、それが視覚化され恐怖となって襲い掛かることはないのだから。
ヴィラの目には、それは恐ろしい異形のものに見えた。子どもの影は、鷲から馬、山羊、牛と違う生き物に変わっていく。その目は金色に輝き、獣そのものに見えた。無邪気な子どもの笑顔を見せているというのに。
子どもは相棒の襟首をつかんだ。
「なにしやが……」
じたばたともがく相棒を軽々持ち上げる。そして、にっこり笑う子ども。
「だから、答え合わせ」
持っていた襟首を離した。右手は部屋の外、窓を飛び出していた。
聞きなれた男の叫び声が聞こえた。
「ここの窓から入りましたとさ」
ここは三階だ。人が自力でのぼれる高さではない。
「……」
ヴィラはなにもできず歯をかちかち鳴らすしかなかった。座り込んだ石畳がなんだか気持ち悪かった。視線を落とすと、びちゃびちゃに湿っていた。
「次はおじさんだあ」
てくてくと近づいてくるその足音が、死刑宣告のカウントダウンに聞こえた。ヴィラは恥もかなぐり捨てて、四つん這いになりながら出口へと向かった。扉を開けようにも、攫った『りんご』が見つからないように逃げないように閂をかけている。焦った手では、金具が引っ掛かって上手く抜けない。
ぶるぶると震え、涙と鼻水とよだれが口からあふれ出す。
大のおとながただの子どもに恐怖している。そんなふざけた光景がここに出来上がるとは、誰が思うだろう。
ぴちゃぴちゃと震える水桶が、子どもが近づくたびに波を荒立てる。その荒れた水面に子どもの姿が映し出されると同時に、ヴィラの目にはそれは見えた。水面から魔力を視覚化した文字が浮かび上がってくる。
『最も恐ろしい妖精』
それがこの子どもの名前だというのか。
プーカ、北の神話の妖精で、人間に幸福も不幸ももたらしてくれる。いろいろな獣に変身し、金色の目をした黒馬になることが多い、鷲や黒山羊になることもある。
人間を連れ去り、戻ってきた人間は今と違う姿にかえられてもとに戻ることはない。
プーカの悪口を言ってはならない、プーカは人の言葉がわかる。
ヴィラはようやくプーカの顔に見覚えがあることを思い出した。あのとき、『りんご』とともにいた学兵の一人だ。
『こぎたねえのばっかだよ』
今更、その言葉に後悔した。だから、プーカは現れたと思った。
プーカは床に転がったまま動かない『りんご』を見る。その目が一瞬冷ややかになる。
「返してくれる、この子」
その答えにヴィラは目を見開いたまま、首をがくがくゆらすしかない。
「そうか、ありがとう。じゃあお礼に」
プーカはにこりと笑う。
「命は助けてあげるよ」
『命は』の部分を強調された。プーカはその未成熟な腕を伸ばした。相棒の襟首をつかんだ時と同じように、ヴィラの襟をつかむ。
「おじさんは何の姿がいい?」
大きく歪んだ口には、白い犬歯が光っていた。
獣のような妖精は首をかしげる。
「なんだ、おじさん。もうほとんど変わっているんじゃないか」
プーカは短い眉をぴくぴくとさせた。視線を足元へと向ける。水の張った桶がそこにある。自分の姿がそこに映し出され、浮かび上がった名前があった。
『高級邸宅』、いや、ひとつ綴りが多い。
水桶から最後の文字が現れた。それを続けると、違う意味の言葉になる。
『悪党』と。
「悪党なら仕方ないよね。ごめんね」
子どもは、もがくヴィランを一歩一歩引きずりながら窓へと近づいていく。
そんな中、水桶の水面が新しい単語を綴っていく。ヴィランの文字が消え、見たこともない言葉が現れる。遠い遠い世界の言葉が流れだし、それからもう一つ、見覚えのある言語が現れた。先ほどよりも短い単語は、水の揺れが大きく上手く読み取れない。
一体、誰の名前だというのだ。
「……ろ……」
歪む文字をなんとか読み取ろうと、口を開く。しかし、それは首根っこを持ち上げられることで発音できなくなる。
水鏡にうつっていたのは、プーカだった。
本来、人には一つしか与えられないはずの名があと二つ。その意味を考えて、ヴィランは恐ろしくなった。そして、その名前の一つは、プーカなどという妖精が可愛く見えてくる名前だった。
どうしてここまでこの子どもを恐れる理由があるのかわかった気がした。
プーカはわざとらしく首を傾げて見せて、人差し指をたてた。
「忘れてね。喋ったら丸かじりするから」
開いた口には整った白い歯が並んでいた。
プーカは窓の前に立つと、手を伸ばす。
ヴィランの身体が、宿直室の外に出ていた。
ばたばたと脚を動かそうが、出すこともできない声を絞ろうが、プーカの意思は変わらない。
ただ、「命はとらない」という言葉を信じるしかできない。
プーカは、観念し大人しくなったヴィランを見る。
「自分は、退屈するのが好きじゃないんだよ。だから、せっかく興味を持ったのに連れて行かないでよ」
子どもはにっこりと笑うと、その右手をヴィラの襟首から離した。
「私を退屈にさせないでくれ」
それが最後に聞こえた子どもの言葉だった。