序章
遠い異国には「仏の顔も三度まで」という言葉があるという。意味はどんなに心おおらかな人でも三回も悪いことをしたら許してくれないとかいうものらしい。
そのように考えるとパックの住む集落の村長も村人も、『ホトケ』なるものよりもよっぽど聖人君子だったといえる。今日の今日まで我慢していたのだから。
パックはロープでぐるぐる巻きになったまま周りを見渡した。そこには呆れ顔の村人が十数人、真ん中にしわにまみれて目がどこにあるかわからない爺な村長がいる。村長の描写を聞く限り、かなり年寄であることはわかるだろうが、周りもまた遠い過去にうら若き乙女であったり、凛々しき青年であった方々ばかりである。端的に言えば、高齢社会だ。平均年齢六十である。
「さすがに今回ばかりはお前をかばいきれないよ」
ひげをもごもごさせながら村長は言う。
(うむ、さすがにやりすぎたかな)
ぐるぐる巻きの上、顔には数発食らったであろう青あざがついている。餓鬼のしつけは鉄拳で、それが基本の田舎であるからして、これはけして虐待ではない、というのが村人の意見だ。
パックは視線を怒る村人から少しずらしてみる。右側の民家の壁に力なく横たわっている青年がいる。そのそばには、その青年の息子と娘が心配そうに父親を見ていた。この村の平均年齢が六十程度で止まっているのは、この一家とパックがいることの要因が強い。その貴重な働き盛りの青年は、無残にも足に添え木がつけられて、気を失っていた。理由は簡単だ。芸術的ともいえる計算しつくされた罠にかかったためである。
人間であろうと獣であろうと抜け出すのは難しい。自然と調和したまったく違和感のない作り、一度はまるとずるずると全身ひきこまれてしまう絶妙な足場のぬかるみ、そして、一人では抜け出せないがまったく見つからないというわけではない立地条件。
そして、その芸術作品を作った天才的作者はこうしてぐるぐる巻きにされて、げんこつを食らったわけだ。
「さすがに今回ばかりはもうかばいきれない」
同じような台詞をもう一度はいた。おじいちゃんなので何度も同じことをいうのはお約束である。
「この村で、唯一といっていい男手だったのに」
村長は懐から丸めた羊皮紙を取り出す。蜜蝋の押されたそれは、とある重要なことが書かれていた。
ああ、可哀そうにあの怪我をした青年は、爺たちにこきつかわれていた。力仕事はいつもまかされ、なにかにつけて用事を頼まれていた。多少は小遣いをくれるだろうが、こうもこき使われてはたまらないだろう。
そして今回、彼は今までで一番重要かつ厄介な仕事に出かけるはずだった。
パックは村長のしわしわの手がつかむものをじっと見る。羊皮紙は、領主からの要請が書かれており、その要求を飲むか飲まないかで今後の税が変わるとも変わらないとも書かれていなくもない。
その要件というのは。
「おまえには代わりに城塞都市に出かけてもらう」
ざわめく村人たちの中でパックはぼんやりと村長の禿げ頭を眺めていた。
村人の中には、それはあんまりだと声を上げるものもいるが、パックにはわかっている。あの青年が怪我をした今、領主の提示した内容に当てはまる人選はパックのほかいないのである。
十三歳以上、四十歳未満の健康な者、集落から最低一名選出しろ。
ジジババばかりのこの村には実に限られた人材である。
幸か不幸か、パックは先月、十三になったばかりだった。
(城塞都市ねえ)
その都市はまたの名を戦争都市ともいう。魔人の住む土地に隣接した、血と硝煙の絶えない素敵な都市だ。人口の半分が軍部関係者か傭兵の類である。実に情操教育によろしくない場所だ。
つまり徴兵されろ、ということらしい。