第三十一話:女神さま③
夕方まで村を歩いて回って時間を潰していたユキとマオとレッカーは、日が沈み始めると集会場まで戻ってきた。
建物の前の広場ではすでにお祭りの準備は完了していて、今は様々な食べ物を作っているところだった。辺りに、おいしそうな匂いと共に煙が立ち込めている。
マオは、周りにある屋台から流れてくる匂いを嗅いで、舌なめずりをしていた。どれもこれもおいしそうで、フラフラっと意識がそちらの方へ移る。
昼間にここへ到着した時と比べて、広場にいる人の数が十倍ほど増えた。大人から子どもまで年齢の幅は広い。
「周辺の村からのお客さんです。普段は静かなこの村も、今日に限っては村で飼育されている牛よりも人の数が多くなって賑わうんですよ」
お祭りの運営で忙しいという村長に代わり、その息子である青年が二人と一台を案内していた。装飾がたくさん入った衣装を着ている。聞いてみると、それはこの村に伝わる伝統的な衣装らしい。
「やっぱり食べ物を食べるにはお金がかかるのね……」
ユキは少し沈んだ表情でつぶやいた。
「これも、村の貴重な収入源なのです。どうかご理解ください」
青年は苦笑いして、軽く頭を下げた。
おーい、と呼ぶ声がして、青年が振り返った。中年の男が遠くから手を振っている。
「僕を呼んでいるようです。では、楽しんでいってください」
そうして青年はユキたちから離れていった。
それからマオは屋台の品々を食べ歩いた。どれも普段はなかなか食べることができないものばかりでずっと興奮していた。
空はすっかり暗くなっていて、広場に設置された明かりだけが唯一の光源だ。
やがて、集会場の近くに設置されているスピーカーからアナウンスが流れ始めた。
『まもなく、女神さまがお見えになります。皆さん、集会場の前に集まってひざまづいてください。繰り返します。まもなく――』
「女神さまが来るの?」
マオがお姉ちゃんを見上げる。
「そうみたいね」
周りを見ると、談笑したりご飯を食べていたお客さんがそれらを中断して移動し始めた。屋台の人までいなくなる。どうやら強制参加のようだ。
ユキとマオも、群衆の後ろの方に移動し、言われたようにひざまづく。レッカーはひざまづけないから少し離れたところに待機している。
会場に集まっていた人全員が集まった。それをどこからか見ていたのか、見計らったように集会場のドアが開いた。
最初に出てきたのは村長だ。青年と同じように民族衣装に着替えている。
そして次に出てきたのは、女神さまだった。柔らかい微笑を浮かべていて、子を見守る母親のような穏やかな表情だ。
村長たちとは違った煌びやかな服を着ている。ただ、彼女は車椅子に乗っていた。青年に押されて動いている。
人々の前まで来ると、青年は車椅子を停めた。そして彼は群衆から見て車椅子の右側に移動してひざまづく。
村長も、群衆から見て左側にひざまづいた。
何かあいさつでもあるのかとユキは思っていたが、突然村長が唄を唄い始めた。聞いたこともない言葉で、どういう意味なのかは分からない。低めだがはっきりした唄声だ。
三十秒ほど一人で唄い続けていたが、あるところから群衆も一緒になって唄い始めた。
唄は約十分続いた。その間、女神さまは一切表情を変えることなく唄も唄っていなかった。
やがて唄が終わると、女神さまは青年に押されて集会場の中へ入っていった。
最後に村長が集会場に消えると、糸が途切れたように群衆が立ち上がって、元の賑やかさが戻った。
「不思議な唄だったね」
マオがきょとんとした顔で言う。
「そうね」
ユキは特に興味なさそうに答えた。
祭りが終わると人々は帰路へ着き、広場はさっきまで騒がしかったのがうそであるかのように静寂に支配された。
ユキは翌朝出発すると村長に伝えた。すると、
「今晩は泊まっていきなさい」
集会場の寝室を貸してくれることになった。
「女神さまに失礼のないようにな」
と忠告されたが、一体どういうことだろうか。
集会場のドアを開けて中に入ると、村人は誰もいなかった。いや、女神さまをそれに含めるのなら一人だ。つまり、女神さまがソファに座っていたのだ。
「…………」
女神さまは驚いた顔をして、口元からティーカップを離してゆっくりとテーブルに置いた。
なるほど、こういうことか。ユキは納得して、こちらから先にあいさつすることにした。
「初めまして、わたしユキと申します。この子はマオです。本日はここに泊まらせてもらうことになりました。よろしくお願いします」
ユキは、軽く頭を下げた。
マオはそんなお姉ちゃんを見て、真似するかのようにおじぎする。
女神さまは大きな目をぱちくりさせた。入口の方を凝視し、ユキとマオ以外に誰もいないことを確かめる。
「あら、女の子の客人なんて珍しい。分かった。私は、この村で女神なんて言われているの。こちらこそよろしくね」
女神さまはクスッと笑った。良かった、歓迎されているようだ。
「何も飲み物出してあげられないの、ごめんね。私、コールドスリープから目覚めたばかりで、まだ体の言うことがあまりきかないから。一~二日で治ると思うのだけど」
彼女は苦笑する。
「いえ、おかまいなく。お気持ちだけで十分です。ところで、寝室はどこですか?」
ユキは複数あるドアを見る。
「一番奥の部屋よ。もう寝るの?」
女神さまは寂しそうに尋ねる。
「マオを寝かせようと思いまして。いつもならもう寝ている時間ですから」
そう言って、ユキはマオを連れて寝室へ行こうとする。
「待って、まだ私はマオちゃんと会ったばかりよ。もっとお話ししたいな」
女神さまは、子どものような興味津々といった表情をしている。
「そうですか……」
ここがいくら小さい村と言っても、目の前にいるのは一番偉い人なのだ。機嫌を損ねるといいことはないかもしれない。
「今日はお祭りなのよ。今日くらい夜更かししてもいいんじゃない? ねえ、マオちゃん」
クスクスっと彼女は笑う。
名前を呼ばれて、マオは女神さまとお姉ちゃんを交互に見比べる。そして、
「もっと起きていたい」
ユキにそう言った。
「ありがとう。かなり久々に女の子とお話しできるの。嬉しい!」
女神さまは、儀式の時に見せたものよりも自然な笑顔を見せた。
翌朝、ユキたちは村を出発することにした。
お世話になりました、とユキは村長たちに頭を下げた。
村長たちは、女神さまの姿がないことを疑問に思ったが、体調が芳しくないらしいとユキから説明を受けると、一同納得した。
レッカーが走り出して数分経った頃、ユキは言った。
「そろそろ顔を出しても大丈夫ですよ」
すると、座席で丸まって体を隠していた女神さまが、起きあがってウインドーから辺りの様子をうかがった。
「ありがとう。どうしても確かめたいことがあって」
昨晩、マオの提案でトランプで遊んでいたが、その時に女神さまが言った。
「明日、こっそりと村から連れ出してほしい」
ユキがその理由を聞くと、
「村の外れに墓地があるのだけど、そこに今まで死んでいった娘たちが眠っているの」
真剣なまなざしでそう頼んできた女神さまに、ユキは「分かりました」と一言答えた。
墓地は山の中腹にあって、村を見渡せる高い場所だった。
そこには、人の名前が書かれた石板がたくさん地面に置かれ、花が添えられているところも多数ある。
「私がコールドスリープから目覚めるたびに、村の者から自分の娘が死んだことを知らされたわ。それも全員ね。今までずっと疑問だった」
女神さまは墓地の中を車椅子で迷うことなく進むと、とある石板の前で止まった。
「これは、五年前に死んだ娘のお墓。風邪をこじらせて死んだって、昨日村長から聞いた。ねえユキさん、昨日頼んだスコップは用意してくれた?」
ユキはレッカーの荷台に上ると、そこから一本のスコップを持ってきた。
「それで、お墓を掘って」
昨晩話を聞いていたユキは、黙々と掘り始めた。
二十分ほどかけて、木製の棺桶を掘り出した。
「開けてもよろしいですか」
ユキは尋ねる。
「ええ」
静かに返事した。
ギギギときしむ音を立ててそれは開いた。すると中から一体の骨が姿を現した。それはとても小さく、まだ乳児だ。
少しの間、ユキはその骨を調べた。そして、穴の外から見守る女神さまへ顔を上げた。
「女神さま、頭蓋骨に殴られた跡があります」
そう、と女神さまは寂しそうな顔を空に向けた。
「村の者は、私から生まれた子どもしか許さなかった。だから、私の娘が将来子どもを産むことは許されない。全員病気や事故で死んだと今まで知らされていたけど、やっぱり殺されていたのね」
女神さまは両手の拳を力強く握りしめた。
この骨はどうしますか。ユキは尋ねた。
「また埋めてあげて。あんな村でも、この子にとっては故郷だから」
姉妹もたくさんいるしね、と女神さまは付け加えた。
「女神さま、どうして泣いてるの?」
マオが彼女の顔をのぞきこんだ。
三人は、レッカーに乗って墓地のある山を下りる。
「女神さまを村へ送り届けた後、わたしたちは村を発ちたいと思います」
「いえ、あなたたちについていくわ」
「え?」
「これ以上、自分の子どもが死ぬ思いは味わいたくない。村からうんと離れた所で降ろして。もう二度と彼らとは会いたくないわ」
「……そうですか」
ユキは、ハンドルを握りながらちらっと女神さまを見る。
女神さまは、前方の景色をまっすぐ見つめていた。
山を下りると、レッカーは他に車のいない牧草地帯を駆け抜けた。
次回をお楽しみに。




