第二十八話:迷子ちゃん②
一言、「迷子」と答えた少女を放っておくわけにもいかず、とりあえず座らせることにした。ユキは近くのベンチに腰かけ、横に座るよう促した。少女は言う通りに従った。
「名前は?」
そもそも、名前がないと会話がしづらい。これだけでも答えてくれないと困る。
「…………」
少女はユキの顔を真っすぐ見上げているが、やはりすぐにはしゃべらない。
「聞こえなかった? 名前は?」
機嫌悪い声が出そうになるが、ユキはこらえて平静を保つ。
「…………」
少女は、初めて目をそらした。遊具のある方を見つめている。そこには、子どもを連れた女性たちがまだ集まって談笑していた。
「答えたくないの?」
少女はこくっとうなづいた。
「どうして?」
「……お父さんとお母さんが、知らない人に自分のことを話しちゃいけないって言ってた」
少女は片言の言葉で答えた。
「じゃあ、知らない人の頭を触ったり後ろをついていったりするのもダメだって教わらなかった?」
ユキの指摘に、少女は大事なことを思い出したような顔をして口をつぐんだ。
どうやらこの少女、顔だけじゃなく頭の中までぼうっとしているようだ。
「まあ、いいわ。迷子ちゃんって呼ぶことにする。迷子ちゃん、どうして迷ってしまったの?」
「…………」
迷子ちゃんは言葉は発さなかったが、その代わりポケットから何かを取り出した。
「カメラ?」
迷子ちゃんの手には、デジタルカメラが握られていた。彼女はそれを、ユキに差しだした。
「見てもいいってこと?」
ユキの質問に、迷子ちゃんは縦に首を振る。
迷子ちゃんからカメラを受け取り、メモリをチェックする。子どもにもかんたんに操作できるタイプの物だ。一番新しい写真は、さびた鉄の外壁の工場だった。
「これは誰が撮ったの?」
ユキは画面を迷子ちゃんに見せる。
「…………」
少女はカメラの画面を覗きこむと、右手の親指で自分を指した。それまで口を一文字に結んでいたが、口の両端を上げて自信に満ちた表情を、ユキに向けた。
さらにメモリを見ると、古そうな建物が他にもたくさん写っていた。建物の外観と写真の撮られた角度から計算すると、撮影者は背の低い人だと推察できる。
「これ、全部迷子ちゃんが?」
少女は無言だが、鼻をふくらませながらうなづいた。
つまり、家から写真を撮りに出かけたが、夢中になって知らない所まで来てしまったということだろう。
幸いなことに、この町の地図なら持っている。ユキは、新しい土地に来たら紙の地図を買うのが習慣なのだ。彼女はそれを懐から出し、広げて少女に見せる。同時に、カメラを少女に返した。
「あなたの住所、分かる? この地図のどの辺?」
ユキは、この公園の場所を指で指す。地図の右端の辺りだ。
少女はしばらくの間地図を見つめていたが、何も反応しなかった。
「家がどの辺か分からないの?」
「…………」
迷子ちゃんは首をかしげた。
もしかしたら、地図を見たことがないのかもしれない。マオだって、地図を見せても「訳が分からない」と言っていた。
これは面倒くさいパターンだ。手掛かりがない。
警察に連れて行くか? そう考えた。
しかし、迷子を届けると手続きが面倒だと聞いた。それは嫌だ。
ふと、ユキは迷子ちゃんを見た。少女はカメラをいじくって自分の撮った写真にうっとりしている。
「そうよ!」
突然ユキは立ち上がった。
迷子ちゃんはビクッと顔を上げ、ユキを見る。
「ちょっと貸して」
ユキは少女からカメラを受け取った。
「この写真の建物を見つけて、時刻をさかのぼってたどっていけば、家に着くわ」
ユキは地図を仕舞い、迷子ちゃんの手を引いて立たせた。
「帰るわよ、家に」
二人がたどり着いたのは、大通りにある立派なホテルだった。
「ここがあなたの家?」
「違うよ」
迷子ちゃんは答えた。
「お父さんとお母さんと旅行に来たの」
旅行……。ユキはつぶやいた。迷子ちゃんは観光客だったのだ。
「なるほどね。地図を見せても分からないはずだわ」
そして言葉が片言だったのは――
「あなた、遠い外国から来たのね?」
少女はこくっとうなづいた。
ユキがカメラを返すと、迷子ちゃんはホテルの方に走っていった。
「ちょっと待って」
ユキが呼ぶと、少女は立ち止まって振り返った。
「あなた、どうして公園でわたしに話しかけたの?」
すると少女は、
「やさしそうな顔をしてたから」
目を平べったくして笑顔をつくると、タタタッと走っていってホテルの中に入った。
そしてユキは、マオとレッカーとの待ち合わせの時間に遅刻していることに気がついたのだった……。
次回をお楽しみに。




