第二十八話:迷子ちゃん①
仕事の打ち合わせが終わったあと、ユキは近くの公園に立ち寄った。
その公園は町の中にあり、四方を人工的に植えられた木々で覆われている。石のブロックが敷き詰められたエリアには噴水やベンチがあり、灰色の土のエリアには遊具や砂場が設置されている。彼女はベンチに腰かけていた。
マオは、レッカーに乗ってどこかへ出かけている。打ち合わせの間は時間を持て余すから、たいてい遊びに行かせる。レッカーが見張っているから安心だ。
今は、一人で過ごせる貴重な時間だ。彼女はマオやレッカーと一緒に過ごすのは楽しいが、たまに一人になるのも面白い。こうしてベンチに座ってぼうっとしているのも良いものだ。
風で木々がさわさわと静かに揺れ、小鳥の鳴き声が聞こえる。大通とは離れているから、車の音も聞こえてこない。休むにはちょうどいい環境と言える。人影も、遠くのベンチにお年寄りが一人いるだけだ。子どものはしゃぐ声もない。
ちょっと休もう。ユキは靴を脱ぐと、ベンチの上で横になった。眠るつもりはない。目をつぶって騒がしい日常から離れるだけだ。
十分ほどそうしていると、遠くから足音が一つ聞こえてきた。足音の間隔や音の軽さから計算して、小さい人間の子どもだ。
おおかた、近所の子どもが遊びに来たのだろう。ユキは特に気にしなかった。自分の寝ているこの時間を邪魔されなければそれでいい。
その足音はどんどん近づいてきて、やがてユキの目の前で止まった。
その人間は、ユキのことを観察しているらしい。足音がしなくなって衣擦れの音がわずかにするだけだ。
子どもがユキに近寄ってきた。耳を澄ますと、静かな息遣いが聞こえる。身長はマオと同じくらいか。息遣いからそう感じた。おそらく、子どもとの距離は三十センチくらいしかない。
突然、頭を小さい手になでられた。頭頂部をマッサージするようになでられる。子どもの温かい体温が感じられる。
ユキはそれまで公園の背景としてやり過ごすつもりだったが、子どもに触られている以上不可能だ。彼女はお昼寝を中止することにした。目を開ける。
目の前に、六歳くらいの女の子が立っていた。綺麗な白いワンピースを着ている。普段着というよりよそ行きの格好と言った方が合っているかもしれない。肩から小さいショルダーバッグをぶらさげている。
女の子はユキが目を開けたことに気がつき、ゆっくりと頭から手を離して少し後ずさる。女の子の表情は、落ち着いているようにも見えるしぼうっとしているようにも見える。
年上の者にちょっかいを出すような子どもは、相手が気がついたらたいてい逃げ出すものだが、この子はそうしなかった。まるで、ユキが起きあがるのを待っているようだった。
何を考えているのか読み取れない。今も昔も子どものお世話をしているユキでさえも、この子がユキに何を求めているのか分からない。
無視しよう。彼女はそうすることにした。どうせ、もうすぐマオとレッカーと会うことになっている。赤の他人のことを気にしても仕方がない。
ユキは体を起こし、立ち上がって公園の出口に向かって歩き出した。待ち合わせの時間まではまだ少しあるから、ゆっくり行けばちょうどいいだろう。
遊具エリアを通っていると、そこにいつの間にか子ども連れの親が数名いた。目をつぶっている間にどこからかやってきたらしい。
少しの間歩いていたが、背後から一定の距離を保ってついてくる気配がした。立ち止まって振り返ると、さっきの女の子が歩いてきていた。
女の子も立ち止まり、ユキの顔を真っすぐ見上げた。相変わらずぼうっとした顔をしているが、目だけは何かを訴えている。
無視だ無視。ユキはそう決める。子どものことで苦労するのはマオで十分だ。
今度は早歩きしてみる。ちょっと歩くペースを上げる。
だが、女の子も同じように早歩きでついてくる。ユキの後頭部を見上げながらスタスタと歩く。
思わずユキはジョギング程度の速さで走った。どうして自分が公園で走らなくちゃいけないのか分からないが、走った。
それでも、女の子はすぐ後ろにいた。間隔を空けずについてくる。
限界だ。そう思ったユキは、ピタッと立ち止まって振り返り、仁王立ちする。
女の子は再び立ち止まった。特に驚いた様子はなく、予定通りといった感じの表情だ。
「何か用?」
ユキはドスのきいた不満が混じる声で尋ねる。
「…………」
女の子は答えない。
答えが返ってくるまで一応少しだけ待ってみたが、こちらを見上げるだけで口を開きそうにない。
「さっきからわたしにちょっかいかけたりついてきたりしてるけど、まさかお姉さんと勘違いしてるわけじゃないわよね?」
ユキは鼻を鳴らす。
すると、女の子はプスッと突然吹いて笑った。うつむいて小さい手で口を抑えて笑い声が出ないようにしている。女の子の目はさっきより少し平べったくなっている。まるで、そんなわけないじゃんとバカにしているかのようだ。
ユキにはそう感じて、彼女の穏やかでない表情がさらに曇る。ハッキリ言って、イラッとした。
でも、まさか知らない子どもに怒鳴り散らすわけにもいかない。ユキは逃げることにした。全速力で。さすがに子どもには追ってこられないだろう。
だが、走り出したその瞬間、
「知らない人にカメラ盗られたー!」
女の子は突如そんなことを叫んだ。
ユキは急ブレーキをかける。そして振り返る。ユキは財布の中身がすべて消え失せていた時のような驚いた表情をした。
慌ててユキは女の子に駆け寄り、彼女の口をふさぐ。
「んー! んー!」
女の子はまだ何かを叫びたそうにしている。
「どうしたの?」
子どもを遊ばせていた女性たちが、こちらに向かってきた。
「い、いえ、わたしの妹なんです! 何でもありません!」
ユキはとっさにそんなうそをついた。
女性たちが去ったあと、ユキは女の子の肩をつかんで尋ねる。
「いったい何の用? 早く言って」
すると女の子は、また何かを訴えるような大きな目を向けて、
「迷子」
それだけ答えた。
2へ続きます。




