第二十七話:マオのお姉ちゃん④
入院してから五日が経った。ユキはまだ姿を見せない。いったいどこで何をしているんだろう。
マオは、昼寝という名のふて寝をしていた。寂しい気持ちを紛らわせるには、寝るしかない。
いつもならたくさん食べて嫌なことを忘れるマオだが、病院食は味が薄くて完食しても食べた気が全然しない。おいしいものが食べたいな。お姉ちゃん、おやつ持ってきてくれないかな。
ベッドの中でうとうとしていた時、この病室の中に足音が一つ入ってきた。ここは複数の患者が寝ているところだから家族や看護師がよく出入りする。だから、足音がしていても特に気に留めなかった。
でも、この足音はマオのベッドのすぐ近くで止まった。こんな時間に彼女を訪ねてくる看護師はいない。だとすると――
ベッドの横にユキが立っていた。
「お姉ちゃん!」
マオは跳ね起きた。自分が足を折っていることをすっかり忘れて、ベッドの上で立とうとしてふらついた。
「何してるのよ。まだ寝てないとダメでしょ」
ユキは、自分の方に倒れてくるマオの肩をつかんで支える。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
マオはユキの腕にほっぺたをすりすりさせて、お姉ちゃんの感触を確かめる。
懐かしい声だとマオは感じた。五日ぶりだったけれど、ものすごく長い時間離れ離れになっていた気がする。
「たった五日会えなかっただけじゃない。どうしてそんなに寂しがるの?」
ユキは今までで一番甘えてくるマオに苦笑した。
「だって、会いたかったんだもん」
マオは、せいいっぱいの語彙で答える。
「顔が汚れちゃうわよ」
ユキはマオを引き離した。「ほら、泥がほっぺたに付いてる」彼女はマオのほっぺたを人差し指で触り、泥を拭う。
「どうしてそんなに汚れてるの?」
そういえば、ユキの作業服はいつも以上に汚い。
「ずーっと働いていたのよ。誰かさんが入院したせいでね」
ユキは明後日の方を見る。いつもは運送しかしないが、荷物を自分で降ろす作業もしていた。そのせいで、作業服があちこちほつれ、泥んこになってしまった。
「お金貯めてたの?」
マオの質問にユキは、そうよとだけ答えた。
ユキは窓から外を眺めた。青空が見えていて日差しが出ている。
マオも、お姉ちゃんの視線の方向を見ていた。その光景に、だんだん外が恋しくなってきた。すると、
「お姉ちゃん、外行きたい」
「外? どうして?」
「お姉ちゃんとお散歩したいの」
「まあ、いいけど」
「やった!」
マオは、五日ぶりに外へ出た。
マオにとっては久しぶりの外で、太陽の光が目に突き刺さってまぶしい。マオは思わず手で光をさえぎった。
松葉杖の彼女は歩く速さが遅く、特に段差のあるところでは転びそうになる。不自由だなぁ、早く走り回りたいなぁ。そう思うことも少なくない。
ユキは、マオの横にいていつでも彼女を支えてあげられるようにしていた。またケガして入院が長引くと、費用がさらにかかるからだ。
二人は正面玄関から外に出た。すぐ近くにレッカーが停まっていた。
「レッカーがどうしても会いたいってずっと言ってたの」
ユキはマオにそう説明した。
レッカーはマオに擦り寄るように近づくと、クレーンをグルグルと回してエンジンを何回もふかせて喜びを表現する。
「レッカー、何か言ってる?」
マオはユキに尋ねる。
「いえ、特に何も。あまりにも嬉しくて言葉を失っているようよ」
ユキは苦笑する。
「どこか座りたい。疲れた」
マオはお姉ちゃんを見上げる。
「そう。じゃあ、あそこに座りましょう」
ユキは近くにあるベンチを指さす。
二人が移動すると、レッカーもすぐ近くまでついてきた。
ベンチに腰かけると、マオはふうと一息ついた。マオにとって、松葉杖はけっこう体力を消耗する。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何?」
「隣のお姉さん、死んじゃった」
「隣のお姉さん?」
「一緒に散歩したりお話したりして楽しかったのに……」
「どうして死んだって分かるの?」
「昨日の夜に目が覚めたの。そしたら、お姉さんがお医者さんたちに運ばれていったの。それで、今日の朝、お姉さんいなかった。だから、お医者に聞いたの。そしたら、死んだって言われた」
「そう……。病気が悪くなったのね。寂しい?」
「寂しい。死ぬってどういうことか分かんないけど、いなくなるのは嫌だ。もっと一緒に遊びたかった」
「そんなに仲良しだったの?」
「うん、とても優しくて、あたしの話を全部聞いてくれて、いい匂いで温かかった。ねえお姉ちゃん、お姉さんに会いたい」
「無理よ。死んだ人にはもう会えない」
「会いたい! 会いたいの!」
「残念だけど、それはできないわ」
「会い……たいの!」
マオはしゃくりあげて涙を流していた。こぼれる涙を袖で拭う。
「それはわがままよ、マオ。そのお姉さんは、苦しみながら自分の人生を立派に生き抜いたの。無理させちゃいけない」
「何言ってるか分かんない! 一緒に遊びたい!」
マオはのどが壊れそうなほど大きな声で泣いた。横に立てかけてある松葉杖をなぎ倒して、地面で四つん這いになって這っていく。
「ちょっと、どこへ行くの」
ユキはマオの肩をつかむ。
「お姉さんに会いに行くの。本当はどこかへ隠れてる。絶対そう!」
マオはユキの手を振り払おうとする。だが、ロボットであるお姉ちゃんに抵抗するのは不可能だ。
ユキは暴れるマオを片手で抱き上げると、ベンチに座らせた。
すると、マオは涙をしゃくりあげながらユキの手に噛みついた。
「……何してるの」
ユキは冷静に尋ねる。人工知能にはきちんと痛みとして伝わっているが、彼女はあえてそのままにした。
「……!」
マオは涙に阻まれて言葉が出せない。
〈ユキ、そろそろじゃないか? お前の出番だぞ〉
レッカーが言った。
「そろそろって?」
ユキは聞き返す。
〈お前が言わないのなら俺が言う〉
そうして、レッカーは何か発すると、それをマオに伝えるよう言った。
「……本気?」
〈ああ、本気だ〉
「この子の人生に責任を持たなくちゃいけないのよ」
〈その通りだ。だが、今のマオにはそれをする者がいない。俺たちがそれを担うべきじゃないのか〉
「…………」
ユキは、ようやく自分の手から離れたマオに言った。
「マオ、レッカーが『家族にならないか』って」
「家族……?」
「そう、家族。これからわたしたちと一緒に暮らすの」
「家族? ずっとお話したり遊んだりしてくれるってこと?」
「……え、ええ。時間のある時ね」
「本当に?」
「レッカーはそう言ってるわ」
「じゃあ、なる」
「そう、それじゃわたしはあなたのお姉ちゃんになるわね」
「お姉ちゃん……?」
「ええ。そしてあなたはわたしの妹。分かった?」
「分かった」
マオは涙を拭う。それ以上は涙は出てこなかった。
戻りましょう。ユキはマオにそう言った。
マオを病室に戻して、ユキは仕事場へレッカーを走らせた。
「よくよく考えたら、入院費をマオに払ってもらわないといけないのよ。マオが自分で稼げるようになったら、わたしに払ってもらうわ」
ユキは、納得するようにうんうんとうなづいた。
〈そうかい〉
マオをきちんと大人になるまで育てるという意味なのだと、レッカーは受け取ることにした。
「ところで、わたしがマオのお姉ちゃんなら、レッカーは何かしら」
〈当然、お兄ちゃんだろ〉
「お兄ちゃんにしては年齢が離れすぎだと思うけど」
〈俺は永遠の若者だ〉
「そういうことにしておくわ」
ユキは後ろを振り返った。病院がどんどん小さくなっていく。マオが退院するまでになんとかお金をつくらなくては。
ユキは前を向いて、アクセルをさらにふかした。
次回をお楽しみに。




