第二十三話:移動する村①
とある海岸の砂浜に、荷台付きクレーン車が一台停車した。
そのクレーン車の車体は白く、クレーンは赤い。年季が入っているのか、塗装はあちこちはげていた。荷台は、建物を補修するための金属資材に三分の一ほど占領されている。
時刻はお昼前。一年で一番光が強い太陽は、空のほぼ真上で輝く。熱を帯びたその光は海上に降り注ぎ、水分を蒸発させて上昇気流を発生させている。地平線の向こうからは、入道雲が空に向かって湧きあがっていた。
陸から見て左側に伸びる海岸線は一キロ先で右にカーブし、ちょうど地平線の真ん中辺りまで突き出ていて、天然の防波堤をつくっている。
右側に伸びる海岸線は、どこまでもまっすぐ続いていた。一キロ先で砂浜は途切れていて、その向こうからは岩がゴロゴロしている。
クレーン車の運転席には十四歳くらいの少女がいた。ショートヘアーで紺色の作業着を着ている。座高は低いが、足はすらっとしていて長い。
一方、助手席には五~六歳ほどの女の子が座っている。白色のTシャツに青いハーフパンツをはいている。
幼い女の子は座席から立ち上がって辺りをキョロキョロと見回した。大きな目をクリクリと動かし、何か動いていないものがないか探す。
「ねえお姉ちゃん、カメさんはまだ?」
女の子は少女に尋ねる。
「まだよ。あと三十分くらい」
お姉ちゃんは車内の真ん中あたりにあるデジタル時計を指さした。
「それって、どれくらい待ったらいいの?」
女の子は首をかしげる。彼女はまだ時間というものについてよく分かっていない。
「千八百回数えたらいいわ」
お姉ちゃんは淡々と答える。
「えー、そんなに数えられないよ。指が足りないもん。お姉ちゃんの指貸して」
女の子は運転席に寄っていってお姉ちゃんの左手を触る。小さくてだんごのような自分の手とは違って、お姉ちゃんの手は大きくて指が細くて長い。
「わたしの指は千八百本もないから、全部数えるのは無理ね」
お姉ちゃんは女の子に左の手の平を見せる。
「んー、それじゃカメさんが来るまで外で待ってる!」
そう言うと、女の子は助手席のドアから外へ出ていこうとする。
「ちょっと待ってマオ」
お姉ちゃんは呼び止めた。
「なあに?」
マオと呼ばれた女の子は振り返る。
「言っておくけど、ここは泳いじゃダメなところだからね。サメがでるらしいわ」
お姉ちゃんは海を人差し指で示して言う。
「そうなの? サメって怖いの?」
マオはサメを見たことがない。
「サメは波にまぎれて近づいてくる怖い生き物。気がついたらすぐそばにいるわ。マオなんて一口でペロリよ」
お姉ちゃんはなるべく怖そうに話すが、マオには通じていないようだ。そのまま飛び下りて外に出てしまった。
「大丈夫、あたしなら逃げられるもん!」
お姉ちゃんは運転席から飛び下りて、海に向かって走っていくマオを慌てて追いかけて捕まえた。
「ダメ。もし海に入るなら、お昼ご飯と夕ご飯抜きにするわよ」
食べ物を人生の楽しみにしているマオにとって、お姉ちゃんのその言葉は体を震え上がらせた。
「嫌だ! ご飯は絶対食べる」
マオはブンブンと必死に首を横に振る。
「それじゃ、わたしと約束してくれる? 海には入らないって」
食べ物の主導権を握っているのはお姉ちゃんだ。マオにとって、お姉ちゃんこそがルールであり絶対である。いくら幼いマオでも、次にどういう反応をすればいいかは分かった。
「ズルいー! …………分かった。海には行かない」
マオは口を尖らしてぼそぼそとうつむきながらそう言った。
「うん、ありがとう」
お姉ちゃんはマオの頭をなでた。
「でも、暑いよ。泳がないから、裸足になってもいい?」
お姉ちゃんの了承を得る前から、マオは靴を脱ぎ始めていた。
「いいわ。その代わり、あまり遠くに行っちゃ危ないわよ」
マオはお姉ちゃんにうなづき、足首辺りまでの深さのところで遊び始めた。
ところで、とクレーン車は波打ち際で遊ぶマオを見ながら、運転席に戻ったお姉ちゃんに声をかける。
〈そろそろ教えてくれないかユキ。俺たちはカメの産卵シーンでも観察しに来たのか? 仕事なんだろ?〉
「ええ、もちろん本物のカメを見に来たわけではないわ。これからここに来るのは巨大なカメ型ロボットよ」
〈カメ型ロボット?〉
「甲羅の左右の長さが一キロ、頭からお尻までは一・五キロもある要塞らしいわ。体の中には人やロボットの住まいや仕事場などがあるみたい」
〈それはまたダイナミックなロボットだな。そんなやつが海の向こうからやってくるっていうのか〉
「そうよ。さっき資材取扱業者に聞いてみたら、『村一つが移動してやって来る』と言われているんだって」
〈はー、すごいな。なんでわざわざ移動して暮らしているんだ? 俺たちみたいな少人数の旅人ならいいが、村一つ移動してくるレベルだと色々面倒なことが起こりそうだ〉
「例えば?」
〈まず、そんなでっかいロボットをどう動かしているかだ。おそらく膨大なエネルギーを消費しているだろう。移動なんかしていることでコストが膨らんでるんじゃないかな〉
「なるほどね。他にはある?」
〈まあ、実際に住んでみてみないと分からないだろうが、仕事はどうしているかは気になる。移動していると定職に就くのは難しいだろう。俺たちは運送業ができるけれど、おそらくノロマなそのロボットだとそういう仕事は無理だ〉
「もしかしたら、ロボットの中に仕事をする施設が存在するのかも」
〈そうだとしたら、なおのこと気になる。ますます行ってみたくなる〉
「今回はこの資材を運ぶだけだから、あとでゆっくりと見学させてくれるはずよ。もちろん、レッカーも一緒にね」
〈それはありがたい。それで、この資材は何に使うんだ?〉
「柱の補修をするらしいわ。床の重みに耐えるための補強だって」
〈四方一キロ以上あるようなロボットだったら、どこか傷んでいてもおかしくないな。俺でさえあちこちガタがきてるし〉
「レッカーはもういい年だもの」
〈おい、人のこと年寄り扱いするな。心は生涯少年だ。そんなこと言ったら、お前だって見た目通りの十四歳じゃないだろ? もうおば――〉
「それ以上言ったら、もう二度と充電しないわよ」
〈そうかいそうかい、だったら俺たちの旅もここで終わりだな。俺は二度とお前を乗せない。マオと俺だけでのんびりと旅をして暮らすさ〉
「わたしがいないと仕事探せないじゃない」
〈何を言ってる。ユキと出会う前は、俺一人で仕事してたんだ。余計なお世話というものだ。幸いなことに、マオは一人で買い物できる。生活には何も困らない。お前だって一人で仕事できるじゃないか〉
「……子どもを育てるのは大変なことなのよ?」
〈子育てなんて経験を積めばどうにかなる。マオは頭が良くて元気で立派な子だ。良い方向に導けば、皆の役に立つ女性に成長する〉
「わたしがいないとマオは悲しむ。だから、たとえレッカーと別れることになっても、マオはわたしが引き取る」
〈ダメだ、俺がいないとマオは悲しむ。だから、いざという時には俺が育てる〉
「今まで一緒に仕事してきたのに、ここでお別れしてしまうの?」
〈その方がお互いのためにいいだろう。少なくとも、俺はそれでスッキリする〉
「そんな悲しいこと言わないでよ。マオのためにも、わたしたちはまだ一緒にいるべき」
〈だいたい、ユキはマオに厳しい。いつも節約のためだと言っておやつを買わなかったり他に欲しい物も我慢させたりしている。俺だったら何でも好きな物を買い与える〉
「そんなことしたら、マオはわがままな子に育ってしまう」
〈そんなわけあるか、あんな素直で可愛い子が〉
「レッカー、あなた頭冷やした方がいいわ」
〈それはこっちのセリフだ。子育てしたいのなら、もっと優しくすべきだ〉
これ以上言いあってもムダだと感じ、二人はそれっきり黙ってしまった。
いつの間にかマオは遊ぶのをやめていて、二人が言い争いをしている様子をキョトンとした顔で見ていた。
やがて、海の向こうから巨大なロボットの影が見えてきた。
2へ続きます。




