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第二話:石ころのように①

 ステージの裏で、少女が体を震わせていた。しゃがみこんで背中を丸め、頭をうつむかせている。神に祈るかのように指をからませながら、両手を力いっぱい握っている。

 どうしたの、と男の子の声がした。姿は見なくても、その声ですぐに誰であるか分かった。「緊張しているのかい?」男の子が後ろから、少女の両頬を手のひらで触れてきた。手は、血の気が引いたように冷たい。でも、心は温かくなる。

 少女は男の子の手をつかんで立ち上がり、ゆっくりとふり返った。

「ジョン、ありがと。わたし、不安なの。練習ではいつも完璧なのに、どうして本番は……」

 心配することはないさ。男の子は顔を近づけてきた。そう。いつものジョンの顔だ。練習している時の、二人で同じベッドで寝る時の。優しく微笑む彼の顔が現れる。

「このサーカスは、君だけでやっているわけじゃない。ほかの出演者や座長、それを支えるスタッフ、見に来てくれる観客。みんな緊張しているんだ。君だけじゃないんだよ。もちろん、ぼくもね」

「そうなの?」と少女は驚いた。冷静で頭が良く、技を次々と覚え、本番を何回も繰り返してきたジョンが、今緊張している。でも、表情には出ていない。少女は、ジョンの頬に触った。冷たいが落ち着く。

「二人でかんばろ」

 ジョンも少女の耳元に顔を近づけ、「終わったら一緒にこの街を見て回ろう」と誘った。

 突然、ステージが明るくなった。そして最初のパフォーマンスが始まる。観客の歓声が気持ちいいほど聞こえてくる。

 二人は明るい方に背を向け、手をつないでステージのさらに裏へと入っていった。


 新しい街に着くと、マオが必ず言う言葉がある。それは――

「お腹すいたー」

 乾いた大地を通り抜け、やっと街を見つけて一安心したと思ったら、また恒例行事。確かにお昼時だから、腹が減るのは仕方ないだろう。ロボットであるユキには完全には理解できないことだが。それにしても、いい加減その発言に飽き飽きしてきた。言葉のレパートリー、すなわち語彙はないのか。作業ロボットは同じことをくり返すのには慣れっこだが、ユキのような高性能ロボにはなかなか堪えることであった。

 またか、という返事をするのもおっくうになったので、何も答えずにレッカーを街の入口へ止める。

 ユキに続くように、マオもドアを開けて外に出る。そのとたん、熱い空気が肌をなめていく。風に運ばれた砂粒がマオの目に入ったらしい。かゆそうに片目をこする。

「レッカーは少しの間待っててね」

 レッカーはエンジンをうならせ、不安そうに訴えかけるが、街は彼を乗り回せるほど道幅が広くないようだ。あきらめておとなしくなった。

 行くわよ、とユキは石のブロックで出来たアーチをくぐり、街の中へ入っていく。待ってー。マオは一つだけ転がっていた石ころを蹴り飛ばし、駆けていった。そして手をつなぐ。

 飛んでいった石ころは、乾いた音を立てて外壁にぶつかり、落ちた。それは辺りに散らばっている他の石と混ざり、ちょっと前までそれが一つだけであったことは、誰にも分からなくなった。


 街へ入っていくと、一気に熱気が高まった。

 人が数人すれ違えるほどの舗装されていない道の両脇に、テントやプレハブ小屋が街の中心部にまで連なって並んでいる。軽く見渡しただけでも、ずいぶん食べ物を売っている店が多いと分かる。スパイシーの効いたカレーの香り、鶏肉を焼くにおい、パンの甘いにおい、それらがあちこちから漂ってきて鼻腔をくすぐり、食欲をそそる。

 いらっしゃい、おいしいよ、と商品を掲げて威勢のいいおばさんが語りかけてくる。すると、反対側の店主も声をかけてくる。そのうちケンカのようなものが始まったが、二人ともがそのかけ合いを楽しんでいるようだ。時折笑顔がこぼれる。このような光景が色々な所で見られる。

 とりあえずまっすぐ歩いているものの、どこを目指しているのかユキには分からない。マオの品定めが終わるのを待たなければいけない。

 ちらっとマオの横顔を見た。舌なめずりをして様々な方を見回している。手を引っ張って歩く速さを抑えることもあるが、足を止めることはなく、どうやらなかなか目を引くものが見つからないらしい。

 ユキは、この街をさっさと出て行きたかった。レッカーの充電はまだあるし、この街には金属を取引する業者はいないと前に調べてある。だから、マオの燃料補給が終わればすぐにでも立ち去るつもりだ。マオにはそんなつもりは毛頭ないようだが。食べ物を探すこと自体を楽しんでいるようにも見える。

 天気は良好。過ぎるくらいだ。気温はおそらく三十度ほどある。てっぺんから降り注ぐ太陽光線がまぶしく、ユキの短い黒髪が熱を帯びてきている。ロボットでも暑いと行動は鈍ってしまうのだ。

 握っているマオの手が汗ばんできた。元気な子どもと言っても、さすがにこのような天候だとやがてバテてくる。少しずつ歩く速さが落ちてきて、そして立ち止まった。一軒の店を指さしている。

「いらっしゃい! おいしいカレーとナンのお店だよ。食べていくかい? 今ならお水はサービスさ」

 腕をまくってテントの中に立っているおばさんが手招きしている。ここにするの、と尋ねると、うん! と店の前まで引っ張った。

「おやおや、かわいいお嬢ちゃんだねぇ。暑いのにわざわざありがとうね。お嬢ちゃんに特別サービス。このスモールサイズのナンをタダにしてあげるよ」

 その言葉に飛びついたのは、マオではなくユキだった。次の取引の間まで経費は安く済ませたいから、これを見逃す手はない。

「これにしなさい! いいわね。もう歩くの疲れたでしょ」

 ユキはマオの肩に手を置いて急かすように言う。

 急な態度の変わり様に、マオは目をパチクリしてどぎまぎしている。「う、うん……」とうなづいた。

「ありがとう。それで、カレーはどの種類にする?」

 おばさんは紙に書かれたメニュー表を見せてくれた。大まかに辛さで種類が分類されていて、その中でさらに色々なメニューが掲載されている。

「おすすめはこれ。この地方で有名な産地のスパイスを使っているよ」おばさんは一番右はじの商品を指さした。甘口に分類されている。これならマオにも食べられそうだし、金額も妥当だ。

「これにする、お姉ちゃん」

 マオは首をひねって後ろに立っているユキを見た。いい加減腹が減ってバテているから、早く食べたいという目をしている。希望のまなざしで見つめる。

「……分かったわ。これをください」

 毎度ありがとう! そう言ってカウンターに積み重ねてある使い捨てのお皿をつかみ、裏に置いてある鍋からカレーを注いで持ってきた。

「はいよ。気をつけて持つんだよ」

 ユキはそれを受け取ると、手の届きにくいマオに手渡してやる。

「これは、サービスの水とナンね」

 ナンをマオに持たせると、手がふさがってしまった。仕方なく、水の入った使い捨てコップはユキが運ぶことにした。

「裏で食べるといいよ。テント裏なら日陰で涼しいから」

 料金を払うと、ユキたちは言葉に甘えて言うとおりにした。マオはお預けを食らっていた犬のように、一足先に小走りで行ってしまう。最悪の事態が……と覚悟したが、運良く転ばずに済んだ。危ない危ない。

 テントの裏には茂みがあって、それのおかげで暑さを防いでいた。

「良かったら、これに座って食べて」おばさんが丸イスを二つ用意してくれた。ありがとうございます、とマオの代わりにお礼を言っておく。すでにマオの頬は数倍にまで膨らんでいるからだ。口を動かしながら腰を下ろす。ユキも向かいにイスを置いて座った。ん? と目を見張った。

 マオは手に持ったナンに、皿を傾けてカレーをかけて食べていた。当たり前のように地面にボタボタとカレーが落ちていく。

「ちょっと! もったいないじゃない。きれいに食べなさいよ」

 ユキはあわててマオの手を押さえた。自分の儲けで食べさせてあげているのだ。ユキには、まるでお金が次々とゴミ同然になっていくように見えたのである。な、何? と口の周りに付いた食べカスをなめ取る。

「何じゃなくて、下を見なさい。カレーが落ちてるじゃない。これどうするの? 地面に這いつくばってなめるの?」

 ううん、とマオはひるんだ顔で首を横にふる。

「こぼした分はわたしに払ってくれるの? そんなこと出来るの? 無理なんでしょ? だったら気をつけて食べなさい」

 何かあったのかい? 店先にいたおばさんが顔をのぞかせた。目の前の状況を一瞬で察したらしい。マオのすぐ隣にしゃがみこみ、「カレーの皿を貸しておくれ」と優しく語りかけた。少し震えた手でおばさんに渡した。

「手に持っているナンをちょっとちぎってごらん」

 おばさんがそれを指さすと、言う通りにした。不安な目で二人を交互に見比べる。

「それに、カレーを少し付けて食べるんだよ。やってごらん」

 そうっと半分ほど浸し、そのまま口に持っていった。少し噛んで、「おいしい」とちょっと笑った。右の頬にえくぼが出来た。

「そうそう。食べ物はこうやって楽しく食べるのが一番なんだ。だから、何も知らない子どもに食の楽しさを優しく教えてあげることも、年長者の務めなんだよ」

 おばさんの言葉でユキは、ハッと自分の短気さを恥じた。マオが少しカレーをこぼしただけじゃないか。これよりもっと面倒なことを経験してきたのだ。この程度で態度を変えてはいけない。

「ごめんなさい。言い過ぎたわ。あやまる」

 少し顔をくもらせたユキを見て、マオは二カッと笑った。

「じゃあ、後で何か買って! それで許してあげる」

 くっ。ガキめ!


 マオの必死のアピールで、ユキはお土産店へ立ち寄ることにした。安いものを一つ買ってやれば気が収まるだろう。

 マオは手を引っ張って先導しながら、音程の外れた鼻歌を歌っている。とてもご機嫌で、スキップして辺りを跳ねまわりそうなテンションだ。

 その店では、昔からこの地方に伝わる民俗衣装や、その装飾品が売られていた。首にかける物、耳に穴を開けて付ける物、顔に模様を付ける染料などが並ぶ。

 おしゃれにあまり関心がないユキは、ヒマそうにマオが品を選ぶのを背後に立って待っていた。するとマオは奥の棚を指さした。

「あれがいい!」

 それはライオンのぬいぐるみだった。子ども向けにかわいくつくられている。もふもふして気持ちよさそうだ。

「お、お嬢ちゃんいい物に目を付けたね。これは今この街に来ているサーカス団のライオンを模していて――」

 突然、店主のおじさんがあわてて立ち上がってイスを蹴飛ばした。反対側の店の様子をうかがっていたユキは、ふり返って目を白黒させた。

「ゴメンよ。これからサーカスの上演が始まるのを忘れてた。売るのは後でな!」そう言ってテントを飛び出して行ってしまった。

 二人は顔を見合わせた。

2へ続きます。

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