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第八話:エドモンド博士とサーカス団②

 この街には、労働者のための商店街がある。と言っても、一本の整地されていない道路にテントが所狭しに並んでいるだけの場所だが。

 すっかり意気消沈した博士は、旅先でも食べられる保存食を探していた。新鮮野菜や魚はすぐに腐ってしまうし、パンを買ってもカビが生えてくる。缶詰めに入った食品や乾パンが必要だった。あちこちから声をかけられる。たまに「じいさんじいさん」とテントの中から呼ばれることもあるが、その時はにらみを利かせて無視した。仕事を見つけるまでは、余計な出費はしない。そう決めたのだ。

 道をずっと歩いていると、突き当たりの広場が騒がしい。管楽器の音楽が流れている。お祭りでもやっているのだろうか。

 特に興味があるわけではないが、何となく近くに行って様子をうかがう。するとそこには、カラフルな丸いテントがあった。入口には手で数えられないほどの人が並んでいる。その近くに置かれた看板には、「ジュエリーサーカスショー」とあった。左手からハトを出しているピエロの絵が描かれている。

「サーカス、どうしてこんな所に……」

 博士はつぶやくように言った。

「いらっしゃい、おじいさん。ようこそ!」

 いつの間にか横にピエロが立っていた。博士よりも背が高く、執事よりは少し低い。ピエロがおじぎすると、赤い鼻がプルンプルンと揺れた。そのピエロはチラシを博士に渡した。

「目玉は兄妹による空中ブランコです。どうです、見ていきませんか?」

 ねえねえと言いたげに、ピエロは博士に攻め寄ってきた。ニコニコしていて、見た目は愛嬌がある。

「どれどれ……」

 博士はチラシに目を通した。確かに、一番目立つように空中ブランコの写真が載っている。ブランコの棒を持って台に立ち今にも飛び立とうとしているのは、女の子のようだ。

「まだ子どもじゃないか。こんな子が空中ブランコなんてやるのかい」

 博士は感心はしなかった。むしろ、少し憤りを感じた。未熟な子をこのような危険なショーに参加させるなんて、一体このサーカス団はどうなっているのか。

 ピエロは、そんな博士の考えを察したのか、あるいはいつものことなのか、補足するように言った。

「その兄妹はロボットなのです。人間ではありません。スキルは大人並みにあります。どうぞ、ご安心ください」

 ロボットという言葉に、博士は反応した。ロボットだって? ロボットがサーカス? 働くだけのロボットがなぜ? ああ、一応サーカスも仕事か……。気になるな……。

「分かった。楽しませてもらおう」

 博士は、研究者としての探究心を忘れていなかった。目はかつての若い頃のままだ。

「ありがとうございます。どうぞ、あちらへお並びください」

 ピエロは手で行列を示した。そして博士から離れた。別の人に声をかけに行ったようだ。

「あの、博士。食料品は買わないのですか?」

 執事がいつもの冷静な声で尋ねた。だが、顔は不安であることを表すように眉毛を模した顔のパーツが動いた。

「食品は逃げないさ。しかも、余計な出費ではない。これは、必要経費だ」

 博士は執事に向かってニヤッと笑った。


 博士だって何度かはサーカスを見たことがあり、エンターテイメントに触れるのは嫌いではない。いずれも大規模のものではなかったが、そこそこスリルを味わえたし、ゾウが鼻で輪を回す姿は可愛かったし、人がライオンに鞭を振るうのはハラハラした。

 所要時間の一時間のうち、二十分が経過していた。ここまで順調にショーは進んでいて、最初はピエロの宝石にまつわる寸劇で人々を笑わせ、まだ若い男女が一輪車に乗って戯れて皆をなごませてくれた。

 そして、五分間の休憩時間を挟んでメインイベントである空中ブランコが始まった。真っ白いつなぎの服を着た五~六人の団員が雄たけびをあげている。男たちに混じって、十歳前後の男の子と女の子がニコニコ笑っていた。きっとあの二人が、外でピエロが言っていた兄妹なのだろう。

 ステージに立つ団員は、子どもを先頭にして次々とハシゴで天井近くに設置された台へ登っていく。高さは十メートルほどある。樹上生活をしているサルのように軽快な動きだ。

 全員が台の上に立つと、左右の台のうち左側から男の子が、手繰り寄せてあったブランコに飛びついた。棒に足を乗せて手でロープを握っている。彼は反動をつけてブランコを大きく荒々しく揺らしていく。その表情は、まさに公園のブランコで遊ぶ子どもだ。

 男の子はある程度揺らした後、その棒に足を引っかけて腹を下側に向けてぶら下がった。観客席からどよめきが起きた。開いた口がふさがらないように驚く子どもや、悲鳴をあげる若い女性が目立つ。

 博士は黙ってブランコの少年を見つめていた。彼の席は後ろ側の高い場所にあるから、一番前の人ほど頭を上げずに済みそれほど首は痛くない。付き添いの二人のロボットも男の子から目を離していない。

 右側の台に変化が起きた。手繰り寄せてあったブランコのロープを女の子が掴んだのだ。少女が足を棒にかけた時、男たちが両腕をすばやく上げ、そのブランコは台から離れていった。

 女の子も反動をつけてスピードを上げていく。彼女が揺れている姿は、博士には優雅に飛ぶチョウのように感じられ、城から誰かに連れ去ってほしいと願うお姫様のようにも思えた。スリル満点な空中ブランコでも、少女の乗る姿は可憐だ。

 やがて女の子も男の子と同じように棒に足をかけてぶら下がった。「イヤー!」と悲鳴に近い女の声が響く。二人の子どもは互いに相手を求めるかのように手を伸ばしている。そして、ブランコ同士が近付いた時、二人が手をつないだ。その瞬間棒から女の子の足が離れ、男の子から宙吊りになった。観客席から歓喜の声が響く。

 二人はまるで一人の人間のようだ。男の子が体を揺らす動きに女の子が合わせている感じに見て取れる。今まで以上に揺れた女の子は足をピンと伸ばし、何かを捕らえるように身構えている風に見える。

 その答えはすぐに出た。空いている方のブランコはずっと台の上にいる男によって揺らされ続けている。次の瞬間、女の子の足がそのブランコの棒を捕らえ、男の子から手を離し、再び元のブランコへと戻ったのだ。たちまちお客さんは立ち上がって拍手した。

 その後も、その一連の動作が続いた。同じ動きが続くと人間は不快になり、恐怖心がそそられる。それは観客がそうだった。誰もが顔に「恐怖」を張りつけ、固唾を飲んでショーを行っている子どもたちを見守っている。

 三回繰り返された後、女の子が台の上に戻った。そして残った男の子は棒を手で掴んでかけていた足を外すと、勢いがついたブランコが相手側のブランコに最も近づいた時、手を離して空中でクルクルと回り、床に設置されているトランポリンに着地した。それに続いて二つの台にいる男たちが一人ずつ華麗に空中で舞いながら落ちていく。やがて、台には女の子だけとなった。その女の子もブランコを掴んで台を蹴った。彼女は一回台の方まで戻ってくると、もう一回向こう側に揺れた。そして皆と同じように棒から手を離して空中で回転した。

 すぐに観客から歓声と拍手が起きるはずだった。しかし、回転していた女の子の足が空中で棒に引っかかって体勢が崩れ、真っすぐ下に落ちるはずだった体が斜めに落下し、トランポリンから外れて、天井に吊るされたライトが反射してキラリと光る黒い床に叩きつけられた。ガシャンッと機械が潰れたような音が、ショーの間ずっと流れている軽快な音楽に混じった。

 お客の歓声は、悲鳴へと変わった。


 本日の公演は中止します、とアナウンスが流れた。お客さんのほとんどがステージに横たわる女の子を見て、心配そうに眉間にしわを寄せて帰っていく。どよめきは会場の外まであふれている。

 博士も群衆の流れに従って出口へ向かっていた。出入り口は一つしかなく、たくさんの人が全員出られるまでには少し時間がかかるだろう。

「このまま帰ってもよろしいのですか」

 執事が背後からそっと声をかけてきた。

「何だ、どうした」

 博士は若干驚いて振り返った。

「あなたはロボットの開発者です。彼女の故障を直すことは容易のはずです」

「しかしね、こんな立派なテントを張っているサーカス団なら、専属の技術者がいそうなものだよ。ぼくが出る幕は無いと思う」

 博士は淡々と言った。

「ですが博士、見た所彼らは困り果てているようですわ」

 元メイドは執事の横を歩いている。

「それはそうだろう。サーカスの花形がケガをしたんだ。公演中止はまだマシな方だ。別のロボットを取り寄せるかもしれないし。そうなったら、あの子はクビだろうね」

「博士」

 執事はいつもより少しだけ語気を強めて旦那様を呼んだ。

「あの子の演技を見ていましたが、それはとても楽しそうでした。私には本物の人間の子どもの様に感じられました。あの姿を、あなたたち人間は美しいと言うのでしょう」

「何だ、お前はあの子に惚れたのか」

「惚れるという感情は私には理解できません。しかし、彼女の足は決して無くしてはいけないということは分かります」

「ほう、君はなかなか面白いことを言う。開発者自身が驚くくらいに」

「それに博士――」

 メイドが口を挟んできた。

「あなたの腕が確かなことが証明されたら、もしかしたらサーカス団に同伴できるかもしれません」

 博士の眉がピクッと動いた。

「それに、サーカスは色んな街を訪れます。もし同伴していたら、公演期間中はその街で思う存分仕事ができるはずです。ロボットの修理を求めている人は必ずいますわ」

 彼は白髪頭を掻いた。そして拳をあごに当てて三十秒ほど考え、ふうと息を吐いた。

「分かった、分かった。お前たちに免じて乗りこんでやる。ただし、この行動がムダに終わった時は、覚えているんだぞ」

 二人の召使は、かしこまりましたと同じタイミングで頭を下げた。


 博士はステージに足を踏み入れた。スタッフに囲まれるように女の子が仰向けに倒れている。そばには男の子がしゃがんで女の子に声が張り裂けそうなほど呼びかけている。彼女の足からオイルが若干流れている。

「お客様、ここは立ち入り禁止です」と座長のピエロが立ちはだかると、博士は自分の身分を明かした。

「良ければ、私に修理をやらせて下さい」

 スタッフが全員どよめいた。こそこそ話しをしている。「どうもうさんくさいな」「でも、雰囲気はそれっぽいわよ」などの声は彼には筒抜けだ。

「本当に直せるのですか。実はロボットに詳しい者が誰もいなくて困っていたのです」

「ちらっと見ただけですが、少し配線が切れただけかと思います。女の子にしては頑丈のようですから、たいした壊れ方ではありません」

 博士は自信たっぷりに言った。

 それが相手方にも伝わったようだ。まだ完全に信頼してはいないようだが、一応任せてみようかという空気になっている。

「分かりました。腕を疑っているわけではありませんが、私たちも同席させてもらいます」

「ええ、もちろん構いません。……お前たち、急いで車から道具を持ってくるんだ」

 博士の緊張感が含まれた声に、執事とメイドは「はい」とうなずいた。

「あ、私たちの専用出入り口がありますから、そちらから出てください。お客様用の所はまだ出にくいようですので」

「分かりました」

 執事とメイドは頭を下げ、スタッフに連れ添われてステージを後にした。


「ありがとうございました。一時間で直ってしまうなんて信じられません」

 サーカス団の所有している大型のキャンピングカーに招待された三人は、座長に紅茶をいただきながらお礼の言葉をかけられていた。

「幸い、部品の代替品を車に積んであったので対処できました。それが無理だったら、その辺の工場から部品をもらってくれば良かったまでです」

 壊れていた足をすっかり修復された少女は、自己修復プログラムによって寝室で眠りについている。

「ありがとうおじいさん、ミカを救ってくれて。ぼくの大切なパートナーなんだ。感謝します」

 男の子が頭を下げると、その場にいた座長やスタッフも同じように下げた。

「実は少しスタッフと話しをしたのですが――」

 座長が博士の向かいのイスに座った。

「これからもいつ二人がケガをするか分かりません。そんな時、あなたのような方がいらっしゃると大変心強いです。どうですか、私たちと一緒に旅をしませんか」

 座長はピエロのままの顔で真剣な眼差しで博士を見た。お願いします、と他のスタッフも詰め寄ってきた。

「いいですね。技術スタッフとして、サーカスを盛り上げましょう」

 博士はうなずいた。

「ありがとうございます、全員でエドモンドさんを歓迎します!」

 ワ―! とスタッフの皆が歓声を上げた。

「明日の公演について会議をしますので、ぜひご参加ください」

 座長の一声でスタッフが博士の周りに集まり、会議という名の歓迎会が始まった。お菓子やお茶が振舞われ、即興で手品を披露して盛り上がった。

「博士、どうしてサーカス団についていくことにしたんですか」

 執事が耳打ちするように尋ねてきた。

「何でってそれは、新しい仕事をするために決まっているさ」

 そして一呼吸置くと、

「決して子どもたちの演技に惚れたという理由ではないからな」

 忘れるなよ、と博士は執事とメイドにくぎを刺した。

第八話はこれにて終わりです。次話でまたお会いしましょう。

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