第七話:ユキの過去⑧
ヨウくんの葬儀はパパと私の二人だけで静かに行うことにした。高原にある家までそのまま連れて帰った。助手席に座るヨウくんの遺体は、青白い顔をしている点を除けば眠っている時と変わらない。
一カ月ぶりに戻った高原は、相変わらず雪景色だった。放置していたせいで車が進みにくい。慎重に道を選んでの運転となった。太陽が空のてっぺんで輝く、雲一つない天気が救いだった。
家に戻るとパパは倉庫の中からスコップを二つ持ってきた。三メートルほど縦に掘って埋めるのだという。埋める場所は、山がよく見える玄関横だ。
パパは黙々と雪を除けた。私は疲れないからどんどん掘り進められる。一方、彼は人間であることを忘れたように顔色一つ変えず土を掘り返している。彼のペースは全く落ちていない。
二メートル半ほど掘った時、「あと少しやっといてくれ」とスコップを雪の中に放ってそう言い残し、家の中に入っていった。五分ほど経つとパパは戻って来た。彼は裸のヨウくんを抱えていた。
「三メートル掘り終えました。数字は正確です」
私が彼にそう言うと、「そうか」と低い声でつぶやき、ヨウくんを穴のふちに座らせた。足は穴の中に垂れ下がっている。
何か儀式でも始まるのかと考えていたが特にそういったことは無く、パパは「さよなら。今までありがとう」と息子のほおにキスをすると、ヨウくんの背後に回って背中を軽く押した。ヨウくんは山の方を向いて真っ暗な穴の中に落ちていった。
足の筋肉が無くなったように、博士は一気に崩れ落ちた。ぼうっとしていて放心状態にある。
博士は息子を失って悲しんでいる。それは状況を判断すれば分かる。だが、何て声をかけたらよいのだろう。人間だったらどんな言葉を使うのだろう。とりあえず、雪で彼のズボンがこれ以上濡れないように立ち上がってもらわないといけない。
「大丈夫ですか、博士」
私は彼に駆け寄って肩を貸した。博士は無言で私に掴まり立ち上がった。
「……ベッドまで連れて行ってくれ」
絞り出すような声だ。私は「はい」と一言だけ返して肩を貸したまま家の中へ入った。
仰向けにして毛布を被せると、博士は手招きした。顔を彼の近くまで寄せる。
「穴を埋めて雪を被せて元通りにしておいてくれ。スコップも片づけてな」
毛布でくぐもっていて沈んだ声だった。
「分かりました。部屋が冷えこんでいるので、暖房を点けておきます」
私の提案に「ああ」とだけ言って了承した。
全て終わって家に入ると、すでに正午を回っていた。普段のスケジュールなら、とっくにお昼がテーブルに出されていなければならない。私は十七度くらいに温まったリビングを通って寝室に入った。ドアは開けておいたので、暖気が若干入っていてさっきよりは温かい。
「すでに正午を過ぎていますが、お昼を急いでおつくりします。何がよろしいですか。特に希望が無いのでしたら、ありあわせのものにしますが」
私の言葉に、眠っているように見えた博士がもぞもぞと動いた。彼は顔だけ出して言った。
「いらない。お前は掃除でもしていてくれ。一人にして欲しい」
博士は顔まで毛布をかけると静かになった。
「了解しました」
眠っているかどうか分からない彼に返事し、カーテンを引いて薄暗くなっている寝室を後にした。
夕方頃、ドアを乱暴に開ける音がした。お風呂を磨いていた私は、急いで玄関へ向かう。
リビングには、寝ていたはずの博士が今にも殴りかかりそうなポーズを取って立っている。彼の向かいにいるのは、三体のロボット兵士だった。二体が銃を持っている。そのうちの一体が前へ出てきた。
「博士の家はここで間違いないかね?」
人間そっくりの声だ。その声には余裕というものを感じる。
「さあ、知らないなそんな奴は。人違いじゃないか」
博士は大げさに腕を振った。
「ふっ、しらばっくれなくてもいい。博士の泊まっていたホテルのロボットから通報があったのだ。ロボットだけのネットワーク上に指名手配されている人間を見たと。人相も確認した。あなたは律儀に身分証をホテルに提示した。もちろん記載されていた住所はデタラメだったが、今朝病院からホテル以外の場所へ向かうのを従業員のロボットが見たのだ。私たちはそれを追ってきたというわけだ」
「丁寧な説明ありがとよ。……なんてことだ、あんなボロホテルでもダメなのか。設備の整っているホテルを避けたというのに」
「一応あなたの罪を述べよう。博士は母なる私たちの人工知能を開発した後姿を消した。何のために逃亡したのか考えていたが、最近あなたは首都に住む友人と手紙を交換していたと判明した。手紙を運ぶ際の検閲を強化したとたん発覚した。デジタル機器を通しての通信を避けたのだろうな。その友人とやらを逮捕して詳しく調べようとしたのだが、彼はあなたの住所が書かれた書類と共に焼身自殺した。だが、企みはその手紙だけで十分知ることができた。そこから私たちは、博士がロボットに対して反逆の意思を持っていると解析した。人工知能を開発したあなたのことだ。このまま生かしておくと危険だ。当初は捕まえて兵器を開発してもらうつもりだったが、取り止めになった。以上があなたの犯した罪だ」
指揮官らしきロボットが真っすぐ博士を見ながら一気にしゃべると、私に視線を移した。
「ほう、あれはもしやあなたのつくったロボットか。手紙の中に、ロボットの開発中とあったのだが、それがあのロボットか。見た目は人間そっくりだな」
指揮官はふふふっと嬉しそうに笑った。
「何をするつもりだ。私はどうなってもいい。もう抵抗はしない。だが、この子には関係ない。放っておいてくれ」
「そういうわけにはいかない。隅から隅まで調べさせてもらう。その後どう処分するかは知ったことではない」
「やめろ! 私は抵抗しないと言っただろ。ほら、さっさと行くぞ」
博士は床に滑らせて私の足元へ何かを投げ捨てた。拾うとそれは車のキーだった。博士は手を上げながらゆっくりロボットの方に歩いていく。
私は誰にも言われることなく走っていってロボットと博士の間に立った。
「ユキ、早く逃げろ。俺なんか放って行け」
博士は鋭い声で私に言った。
「それはダメです。私はあなたを守るようにというプログラムで今動いています。あなたを安全な所まで連れていきます」
私が手を伸ばして博士の腕を掴もうとした時、指揮官ロボが突然彼を突き飛ばした。彼は腰を打ったようでうめている。
「ちょうどいい物がある。これを使ってみよう」
すると、指揮官は私の首にスタンガンに似たような形状の物体を当てた。急いで離れようとしたが、なぜか体が動かない。体の中に外から電流が流れてきている。十秒ほど経ったとき、突然私の右腕が動いた。私の意思に反して。
「こ、これは……!」
体が言うことを聞かない。人工知能からの命令を体が受け付けなくなっている。
「これは新開発の機械だ。我々の意思に反するロボットを自由に操れるのだ。これはまだ試作段階で使い勝手が悪いが、完成すれば電波に乗せて世界中のロボットを動かすことができる。まずは君で試してみよう」
指揮官はその機械をいじくっている。
私は勝手に足が動いて博士の前に移動した。ちょうど彼は腰に手を当てながら立ち上がった所だった。私は彼に手が届く範囲の場所に止まった。そして、彼の首に手がかかった。
「グッ!」
博士は苦しみと驚愕に歪んだ顔をした。口から次々と泡を吐いている。目は私を凝視している。目や鼻や口から体液が流れ出している。
博士の首を絞める私の手の力が徐々に強くなっている。このままでは危ない。私の頭脳からは手の力を緩める信号を出し続けているというのに全く効果が無い。
「ユ……キ……!」
博士が私の手首を掴んで離そうと抵抗し始めた。だが、博士のつくったこの体がつくりだす力は、人間には止められない。それは彼自身が一番分かっているはずだ。
首を絞める力が急速に強くなってから二秒、ボキンという鈍い音がした。私の手が、博士の首の骨を砕いたのだ。私の手首から彼の手が取れた。
「よし、ご苦労」
指揮官の含みのある笑いがした。彼の声と共に、私は博士の首から手を離した。博士の体は壊れた糸釣り人形のように床に投げ出された。
「お前たち、このロボットを連行しろ」
言葉を発する間もなく、私はロボットに腕を掴まれそうになる。私は間一髪でそれを避けると、開いたままのドアを抜けて外へと出た。雪に足がもつれてうまく走れない。
「何をしてる、奴を撃て! 壊れてもいい!」
指揮官ロボの声がした。ドタドタと音がして銃を構える音もする。私は左ハンドルの博士の車のドアに手をかけた。
ドン、という音と共に私の体に衝撃が襲った。外部から高速で金属の物体が侵入して胸の中で止まった。銃で撃たれたのだ。
私はそれにかまわず運転席に座ってキーを回す。すぐにエンジンがかかり、アクセルを踏んで急発進させた。
銃を撃つ音が耳をつんざくが、車には当たっていないようだ。私は車が踏み固めた雪道をたどって高原を下っていった。
いくつの山を越え、いくつ国境を越えただろう。数える余裕が無いままひたすら車を走らせた。
高原を下った時からロボットが追いかけてくる気配がして来ない。彼らの目的は、あくまでも博士の抹殺だったのだ。
今私はどこまでも続く雪原を走っていた。はるか遠くに高い山が見えるだけで、周りには真っ白な世界しかない。車に踏み固められた、雪原を切り裂くように伸びる道だけが人またはロボットのいた唯一の証拠だった。
私の目はかすんでいた。胸の中にある水素電池からエネルギーが流れて来ないのだ。おそらく、撃たれた時に故障したのだろう。今は予備電源で動いている。
三十分経ち、急に体の力が抜けた。とうとう予備電源に限界が来た。視界が暗くなる。車がスピードを緩めて停止するのがエンジン音で分かった。触覚も無くなってきた。聴覚はまだいつも通りだ。
まだこの車は雪原の中にいる。風が強くなってきたようだ。フロントガラスに細かい何かが当たっている音がする。雪が降って来たのだろう。そういえば、さっきから真っ黒い雲が空を覆っていた。もしかしたら吹雪になるかもしれない。そうしたら、この車などかんたんに埋まってしまうだろう。
触覚が無くなって耳が遠くなってきた。これが人間で言う「死」なのだろうか。いや、私は博士やヨウくんのように苦しみは感じない。それが無くていいのか悪いのか、私には分からない。
そして耳が完全に聞こえなくなった時、意識が急に薄れていくのをわずかに感じた。
「お、目が覚めたかい?」
男の声がした。私は目を開ける。
「君は一体どこでつくられたんだ? オーバーテクノロジーで、直すのに三カ月もかかったよ。でも、もう大丈夫だ」
私はどうやら作業台に寝かされているようだ。首を回して辺りをうかがうと、工具や特殊な機材がいくつも転がっている。全てロボットを修理する物だ。おそらく、ここは修理場だろう。
「ここは工場だ。金属を回収して新たな製品をつくっている。私はここの工場長をしている」
私の側に立っていたのは、人間そっくりのロボットだった。
「雪が融けたものだからクレーン車に草原まで行かせたら、君が乗った車を見つけたんだ。おそらくかなり深い雪の中に埋まっていたみたいだね」
私はクレーン車に発見され、工場長に修理されたようだ。ようやく事実を把握した。
「何か質問はあるかい? まあ、私もたくさんあるんだが」
ハハハと工場長は静かに笑った。
「ここは何て言う国ですか」
「ここかい? ××××国だよ」
頭脳を働かせるが、そのような名前の国はインプットされていない。
「博……パパは死んだんですか?」
「パパ? 君をつくった人間かな。それは分からないな。人間はロボットに排除されたからね。一か月前に人間の虐殺作戦は終了したみたいだけど。生き残りがいるのかは分からないし、いるとしてもどこに住んでるのかまでは……」
工場長の言葉を静かに聞いた。今の言葉を分析すれば、かつてパパの友人が分析したように本当にロボットによる支配が行われたことになる。
ふと、自分の目から液体が流れてきたのを感じた。右手ですくってみると、それは水だった。体を冷却するために入っているものだ。どうしてそれがこんな所から……
「ど、どうした、故障かな」
工場長が慌て始めた。作業台を引っ張っていく。修理する所まで移動させるのだろうか。
いつまで経っても水は止まらず、視界がぼやける。
これは、人間で言う涙なのではないか。それならば、どうして涙が流れてくるのか。人工知能で思考しても、ロボットである私が涙を流す必要性は、レッカーというクレーン車に出会って廃材回収の仕事を始めた時になってからも、全く分からなかった。
これにて第七話は終了です。今までありがとうございました!




