第七話:ユキの過去⑦
ヨウくんが目を覚ましたのは、医者が姿を消してから一時間が経った時だった。
パパは外の風に当たってくるとボソッと言って十分ほど前に部屋を出て行った。彼は一気に老けこんだように足取りが重そうだった。
私はパパが座っていた丸椅子に腰を下ろしてじっとヨウくんを見つめていた。いつ彼が起きて私に命令してもいいように、側で待機しているのだ。
「お目覚めになりましたか」
眠っている顔から目を開けた顔に変わったヨウくんだが、天井を見つめたままぼうっとしている。私の反対側を振り向き誰もいないのを三秒かけて確認し、こちらに顔を向けた。
「あ、ユキ……」
かすれたような声で言い、少し苦しそうに微笑んだ。若干無理しているように見える。
「ねえユキ、ここはどこ?」
「ここは病院です。遊園地で急に倒れたのです。覚えていませんか?」
私はイスをベッドの近くに置いて座り直した。
「うーん……、目の前の景色がぼやけてきた所まではね。でも、その後のことは何も覚えてないな」
「そうですか。医者によると、しばらく安静にするようにとのことです」
「安静にしたら治るの?」
初めての物に触る子どものような表情をした。
「……はい」
ガンのことは言ってもいいのだろうか。いつか話さなければならないが、ショックを受けて心を閉ざさないだろうか。彼が思い悩む暗い顔など見たくない。
「……ユキ、一つ聞いてもいい?」
「何でしょう」
「ぼくってガンなの?」
事務確認をするようにそう尋ねた。
「何を以てそのように思ったのですか?」
「質問に質問で返してほしくないなぁ。まあ、いいや。ママはガンで死んだから。ママが自分で毒を飲んだ時、ぼくはお腹の中にいたから」
「お母さまは、自分で毒を?」
さらっと彼が言ったものだから、すでに話したことなのかと自分のデータベースを探るが、そんな事実は記録されていない。
「言ってなかったっけ。ロボットに支配されるかもしれない世界が嫌になって、しかも人工頭脳を発明したパパが怖くなって毒を飲んだんだ。でも、ママは毒には詳しくなくて、手に入れたのが効果が後からゆっくり現れるものだったみたい。だから、すぐには死ねなかったんだ。その後にぼくが生まれて、死ぬ気が失せたっぽいけど」
「あなたが、自分がガンだと思っているのは……」
「へその緒を通してぼくに毒が入ったのかなって思ってる」
そうですか、と私は答え、再び思考した。彼は博士の息子だから聡明が良いのは理解できる。そのように察することができる可能性はあったのだ。ただ、ヨウくんはガンでも軽い症状だと思っているかもしれない。その場合、やはり心を痛めることだろう。どうしたものか。
その時、ガラッとドアが開いてパパが入って来た。うつむいて覇気が感じられない。
「パパ……」
ヨウくんは頭を少し持ち上げて父親を見た。「パパ、何でこんな所――」
パパはヨウくんに駆け寄って顔を息子の胸に埋めた。まるで生きている証拠を必死で探すかのように。
ヨウくんはパパの突然の行動に、目をパチクリさせている。「パパ……?」と尋ねても父は全く動かないため、余計困っているようだ。
「良かった、目を覚まして。本当に……」
パパの声は震えていた。わずかに顔を上げたのが見えたが、あと少しで涙が出てきそうな表情だった。
「ねえ、何を言ってるのさ。ぼくが死ぬわけじゃあるまいし」
ヨウくんは半笑いした。だが、彼はベッドの周辺の空気が瞬時に変わったことに気づいたようだ。ハッとパパが強ばった顔を上げて自分を見てきて、何かを悟ったみたいだ。
「ぼく……死ぬの?」
不安そうにヨウくんが真上を見ながら言った。
「そんなことない! 絶対助かる!」
パパがそれを否定するように声を張り上げたものの、目は泳いでいる。
それ以降、三十分ほど誰も口を開かなかった。パパは私の隣に置いてあるイスに座って頭をうなだれ、ヨウくんは天井のじっと見つめて動かない。
外からは、いつもと変わらない太陽の光が差しこんでいる。
翌日から私とパパは、病院近くのホテルに泊まることになった。いつでもすぐにヨウくんに会えるようにするためだという。
ホテルといっても、建てられてから長い年月が経っている安い所だ。私たちはツインベッドルームを予約し、その日のうちにチェックインすることができた。
いったん山の上の家に戻ってお金や着替えを持ってきた。空はすでにオレンジ色をしている。フロントには、ホテルマンの格好をしたロボットが一台いた。私たちの気配を感じたのか、こちらに体を向け、おじぎをした。
「いらっしゃいませ」
「今日に予約したんだけど」
「はい。身分証の提示をお願いいたします」
パパは懐からカードを一枚出してロボットに渡した。
「確かに予約されていますね。ようこそいらっしゃいました」
ロボットは、機械にカードを通した後パパに両手で返した。
「係りの者が案内いたします。お荷物も運びます」
そうして別のロボットに二階の部屋に案内された。一般的なビジネスホテルの間取りだ。建物が古くても、部屋の中は清潔感がある。赤いカーペットの上には、ほこり一つ落ちていない。
その日パパは食事もせずお風呂にも入らず、すぐにベッドに倒れこんで眠ってしまった。
私は、うつ伏せで寝てしまったパパを仰向けにして毛布をかけた。顔を近づけると、パパの目の下には涙が流れた跡があった。熟睡しているのを確認すると、そっと目元をティッシュで拭ってあげた。
一か月ほど私たちは、ホテルと病院を行き来する日々が続いた。パパはお金は貯蓄してあったらしく、私だけでも働きましょうかと言っても断られた。一秒でも多くヨウくんの側にいてほしいとのことだ。
その一か月で、ヨウくんの体力は日に日に弱っていった。遊園地で見せていた笑顔はすっかり消え、検査と点滴の治療でずっとベッドで寝ていて、精神的にもまいっているようだった。
ヨウくんが入院してから半月経った時、一度手術をした。一応大きな病巣は切除したらしいが、その時に他の臓器にもガンが転移していることが判明し、後に再検査を行うことになった。再検査の結果も、あまり芳しくないものだった。
入院してから一か月後、突然ヨウくんが外へ出たいと言いだした。病院生活は酷なものらしく、気分を入れ替えたいのだという。もしかしたら元気を取り戻して一気に病気が治るかもしれない。そうパパが言って医者に進言した。医者は、看護師が一人つくことを条件に挙げたが、パパは家族水入らずの時間をくださいと頭を下げた。仕方ないといった様子で、先生は病院の庭だけならと許可をくれた。
すっかり体の弱ったヨウくんは、転倒してケガをしないように車椅子に乗るようにと先生から指導された。車椅子に乗る当人は、体がなまっちゃいけないから杖をくれと言ったが、余計なケガをして退院する日が延びるのは嫌だろ、とパパに説得されると、その後は口を尖らせながらも素直に従った。ベッドから起き上がる時は、パパと私が肩を貸した。
エレベーターで一階へ下りると、受付の前や治療室の前にある長椅子は顔色の悪い人たちでほとんど埋まっていて、長椅子の周りはその付き添いらしき人たちでごったがえしている。こんなに人がいるのに、ひそひそ声しか聞こえず病人は皆沈黙を決めこんでいる。笑顔を全く見かけない。
様々な科の治療室が並ぶ廊下を進んでいくと、その突き当たりに中庭への出入り口があった。私が両開きのドアを開けると、一気に空気が変わった。
病棟で四角く囲まれた中庭の真ん中に十メートルくらいの広葉樹が生えている。木の半径三メートルほどは芝生が覆っていて、五メートルくらいの幅がある砂利道がその芝生の周りで円を描いている。まるで草原を切り取って持ってきたような光景だ。私たちは、出入り口から伸びる砂利道を車椅子を押して進み、木に背を向けて円の砂利道に設置されているベンチに腰かけた。ヨウくんの乗る車椅子を、パパのすぐ横に止めた。
「いい空気……」
ヨウくんは腕を伸ばして深呼吸をした。病室からここまで無言で暗闇のように沈んだ表情をしていたのが、少し明るくなった。
「病院の中は薬品の匂いばっかりだからな。こんな場所は癒されるよ」
パパも息子の真似をするように深呼吸した。
「私には息苦しさというものが分かりませんが、人間がこのような景色と空気に癒しを求めるのは知っています」
私は少し身を乗り出して、パパだけでなくヨウくんの顔も見ながら言った。
「ユキ自身が、大自然の恵みを感じられるようになれればなぁ。人工知能の性能は完ぺきなはずなんだ。どうすればいいかなぁ」
「旅をすればいいんじゃない? 色んな景色を見たらきっと分かると思うよ」
パパが腕を組んでうなる所へ、ヨウくんが山の上に住んでいた時と同じ明るさの声で言った。
「旅と言っても……俺は家事をさせたくてこいつをつくったんだぞ。可愛い子でも、旅をさせていい奴とそうでない奴がいるのを知ってるだろ?」
「三人で行けばいいんだよ。キャンピングカーっていう物があるんでしょ? パパとぼくで食べ物を拾ってユキにそれを調理してもらえばいいよ」
「ああ、それいいな。ママと一緒に住んでた所を離れるのは心配だけど、刺激になっていいかもしれない。一年くらいこの国を離れて山を何回も越えて色んな街の食事を味わって……いいかもな」
「でしょー? 治ったら行こうよ」
「だな。明日、キャンピングカー買いに行くぞ」
「ハハハっ、気が早いよ」
「そうだな。ハハハっ」
二人は顔を合わせて笑った。いい感じだ。この一カ月、笑いという感情を二人とも忘れたかのような状態だった。笑いは病気の治療に効果があるというのは広く知られている。改善の兆しが若干見えてきた。
「パパ、それはそれとしてユキのこの格好どうにかならない? ずっとメイド服じゃん」
ヨウくんは車椅子を自分で動かして私と正面に移動した。そして私を指さす。
「それもそうだなぁ。確かに、街中をずっとこの姿でうろついていたら目立つかもしれない」
これから買ってこようかなとパパがつぶやくと、ヨウくんが「あっ」と何かを思いついたようにパパを指さした。
「あのさ、パパが地下で仕事してる時、たまに作業服着てるじゃない。あれをあげたら?」
「ユキが作業服ねぇ……。似合うかな」
パパが私の頭のてっぺんからつま先までたどった。
「似合うと思います。今、頭の中で私の姿と一般的な作業服を重ね合わせました。私見ですが不自然な点は発見できませんでした」
私は二人の顔をそれぞれ見ながら話した。
「マジか」
突然パパが立ち上がった。その顔は喜びと驚きが混じったような感じだ。
「どうしたのパパ?」
ヨウくんは父親を見上げて首をかしげる。
「聞いたか? 今、自分には作業服が似合うって言ったんだぞ。ユキの中の自我が成長しているんだ。すごい!」
パパはガッツポーズをした。
「大げさだよー。でも、こんなユキは初めて見たな。そのうち、自分の好みはこれだって言って聞かなくなるかもよ」
ヨウくんはニヤけた。
「いえ、私はお二方の意思に背くことは絶対しません」
「冗談だって。パパ、明日にでも家へ戻って作業服取ってきたら?」
「その必要は無い。着替え用としてすでに持って来てあるんだ。明日になったら、作業服姿のユキが見られるぞ」
「楽しみだな。早く見せてよ」
私を見てヨウくんが笑った。
中庭に転がる落ち葉の欠片が、つむじ風に巻きこまれてクルクルと回っている。冷たい風が中庭に吹き下ろしてきているのだ。そろそろ部屋に帰ろうとパパが言って、私とヨウくんはそれに従った。
翌日になって私はパパが持って来ていた作業服に着替えて病院へ足を運んだのだが、ヨウくんにその姿を見せることは叶わなかった。彼は私が行く直前に急に体調を崩してそのまま意識を失い、二度と目を開けることが無かったからだ。
8へ続きます。次がいよいよラスト。




