第七話:ユキの過去⑥
倒れたヨウくんを抱え、私は早急に遊園地のゲートを抜けて車に飛び乗った。たくさんの車が止められている駐車場を縫うように走って道路へ出て買い物をした街へと向かう。遊園地の係員から、その街の中心部に大病院があると教えられたのだ。救急車を呼びましょうかと係員が切羽詰まった声で聞いてきたが、私が運んだ方が早いからと断った。何しろ、遊園地から街までは少し距離がある。私の分析で導き出された病気のことを踏まえると、ちょっとの時間すらもったいない。
普段ではありえないくらい乱暴な運転で街の中で伸びている大きな道路をたどっていくと、中心街で病院のマークを見つけた。大通りを走るスピードそのままで歩道を歩く老人を避けて広い駐車場に乗り入れ、入口に一番近い所に止めた。エンジンをかけっぱなしで運転席を出て助手席に回ってヨウくんを抱きかかえ、ドアをロックする暇も惜しいから鍵もかけずに走り、自動ドアの開くスピードがひどく遅く感じ、博士につくられてから初めての速さで受け付けまで走って行った。
「あの、この子が突然倒れたんです。だ、だから、診てください!」
いつもみたいに冷静になれず、とりあえず受付のロボットに怒鳴り散らした。
「はい、受付番号を発行いたしますので、少々お待ち下さい」
病院の事務を担当しているロボットは、機械から手の平サイズの紙が印刷されてくるのを待っている。
「急患です、待ってる暇は無いんです、早く先生を呼んでください!」
かろうじて言葉を発することができた。
「分かりました。あちらの治療室へお入りください」
ロボットは入口から奥へ真っすぐ続く廊下を指さした。そう遠くない所に治療室がある。
「どうも」
お礼を言える余裕がまだあったのかと自分に感心し、さっきから怒鳴っているから人々の注目を集めていることは承知しているがそんな視線は構わず病院内を走って行って、ドアが開けっぱなしになっている部屋へ飛びこんだ。
「すみません、この子が急に倒れたんです。実はちょっと疑っている病気があるので早急に検査してほしいです」
私が治療室へ入ると、そこにいた人間の看護師がギョッとした顔をして一斉にこちらを見た。注射しようとする手や治療道具を片づけている彼女たちの手が止まった。
「急患ですか?」
四十代後半と思われるナースが注射器を置いた。
「はい、お願いします」
「分かりました。ロボットと先生を呼んできて。急いで!」
声を張り上げて年下の看護師たちに命令すると、私から取り上げるようにヨウくんを抱きかかえ、そのまま廊下を走って行った。
治療室の近くの長椅子で待っていると、一時間後に白衣を着た人間の男が私に声をかけた。首からぶら下げている身分証には、医師であることが明記されていた。彼は緊張した表情をしている。
「ヨウくんは、どうなりましたか」
私は先生を待つのをもどかしく感じ、駆け寄った。
「今は薬が効いて良く眠っています。ただ……」
先生は目を落とした。医者にそんな自信なさげな表情はして欲しくない。
「続きは彼の病室でお話します。ついてきて下さい」
先生はくるりと背を向け、私から遠ざかって行った。
私には、彼の足取りが重く感じた。なぜだか論理的に説明することはできないが、人間のよく使う言葉だと、カンだろうか。
三階の病室でヨウくんは眠っていた。すうすうと寝息を立てていて、苦しそうではない。
この病室は一部屋に四人収容できる所で、今は隣と仕切られたカーテンの向こうに一人いるだけのようだ。ヨウくんは廊下側のベッドだった。外は快晴で、太陽の光が窓から入って来て部屋を明るく照らしている。
私は、ベッドの横にある丸椅子をヨウくんのすぐ近くに置いて座った。私が物音を立てても彼はまぶたをぴくりとも動かさず、つくりもののように横たわっている。よもや本当に人形ではないのかと疑って彼の首の付け根に指を当てると、温かい体温と共にドクンドクンという血液の流れを肌で感じた。生きている。約二時間前まで一緒に遊園地で遊んでいた博士の子どもで間違いなかった。顔のつくりは隅から隅まで記録されているので、別の誰かと勘違いしていることは絶対ない。
「看護師によると、あなたはこの子の病気について何か知っているようですね。ですが、先に私からお話します」
先生は一呼吸置くと、たった一言を口にした。
「ヨウくんは、ガンです」
先生は若干目を泳がせた。
「十二指腸と甲状腺に転移しています。簡易的な検査だけでそれだけ判明したので、実際は他にも転移している可能性があります」
先生の発言には、自身の欠片を微塵も感じられない。声がほんの少し震えていて、額や手に汗がにじんでいる。ただ、人間には表情だけは平静に見えるだろう。白髪頭を形成した経験がそう見せているのかもしれない。
「おそらく、手術しても効果は無いでしょう」
その医者は終始ヨウくんの顔を見なかった。ずっとお腹の辺りに目を向けて視線をそらしていた。
「ということは、ガンは治らないと……?」
声に出せたのが奇跡に近い。
「はい」
今度は淡々と一言そう答えた。「彼の持っていた身分証明書をロボットに読み取らせた所、お父様の電話番号が判明しました。今、連絡を入れている所です」
「分かりました」
私は、それしか発することができなかった。
三十分ほど経つと、外からサイレンが聞こえてきた。音の主は急速に病院に近づいてきているから、てっきり急患を乗せた救急車かと思ったが、音の種類が違うと感じて窓の外を覗くと、大きな駐車場で一台のオフロードバイクをパトカーが一台追いかけていた。バイクの運転手はこの病院が目的地だったようで、正面玄関に止まるとヘルメットを脱ぎながら入って来た。物陰に隠れて顔は見えなかった。
五分ほどして廊下が騒がしくなった。医者の先生が首をかしげてドアを開けて顔だけ出すと、
「ヨウはここか!?」
ドアを蹴破るように開けて博士が部屋に転がりこんできた。ついさっき入口でバイクを止めたライダーの服装をしていることから、警察に追われていたのは博士だということになる。ヘルメットを持っていないから、病院のどこかに落としてきたのだろう。
博士はヨウくんのベッドにベッタリとしがみついた。息子を引き寄せて抱きしめようとしている。
「いけません、絶対安静なんです! あなたは一体誰ですか!?」
「俺は父親だ、さっき電話したのはお前さんの病院だろうが」
肩にぶつけられて転んで立ち上がった先生に、パパはつばを飛ばして怒鳴り散らした。医者に掴まれた手を無理やり引きはがす。
「し、しかし……」
そこまで言って、先生は言葉を切った。病院では静かにと注意しようとしたのだろうが、この場で言うべきことではないと判断したと思われる。
「買い物に行って何があった、ユキ? お前に言ったよな、ヨウを守れって。その命令はどうした?」
博士は私の襟首に掴みかかってきた。彼の表情は恨みの感情で満ちている。それしか読み取れない。目が血走っていて歯をギチギチと強い力で噛んでいる。ゴツゴツした手がいつ私の細い首を絞めるかは時間の問題だ。私の首には重要な配線がいくつも走っており、ちょっとでも傷つくと体の動作に支障が出る。人間の力で首が折れるとも思えないが、博士は私をつくった張本人であり、いささか心配ではある。
「ヨウくんはガンです」
私のたった一言は、博士の手の力を緩めるのに十分だった。彼は、ハッと私の目を見つめてまるで私がウソを言っていないか確かめるようにし、二十秒ほど彼の体が硬直し、それでも虚偽の発言ではないと分かると、崩れ落ちて尻もちをついた。
博士の視線はヨウくんへと移っていた。彼の座っている場所からは息子の顔は毛布の陰に隠れて見えないはずだ。パパもそれに気付いたのか、地べたを四つん這いで移動して息子のベッドにすがりつくようにしがみついた。
「お父様、私は息子さんを治療した医者です。お話させていただいてもよろしいですか」
膝で立ってヨウくんの様子をうかがっているパパに、医者は若干かがんで尋ねた。先生は無理やり勇気を振り絞っているような表情をしている。パパがうなずくのを見てから言った。
「娘さんからお話のあった通り、息子さんはガンです。十二指腸や甲状腺に転移していて、他にもガンが見つかる可能性もあり、おそらく手術をしても完全には治らないでしょう」
「……それは確かな話なのか」
「はい。間違いありません」
「そうですか……」
医者の話をヨウくんを見ながら聞いていた博士は、話しが終わって医者が病室を出て行ってからも一秒でも多く息子を見ていたいという風にしばらく見つめていた。
7へ続きます。




