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第七話:ユキの過去①

 最初は聴覚だけだった。すぐそばで子どもの声が聞こえる。キャッキャッと甲高い。声変わり前の男の子のものだ。「まだ目開けないの?」と誰かに聞いている。

 男の子より少し奥の方からは、キーボードを叩く音がしている。それを叩いている人の声は聞こえず、わずかな衣擦れの音がするだけだ。少なくとも二人が近くにいる。

 次に触覚が目覚めた。周りの空気の温度を感じ取った。二十二度だった。人間がちょうど過ごしやすい温度で、特別暑いことも寒いこともない。人工知能には季節は冬であると記録されているから、ここは一定に室温が管理されている場所なのだろう。そして私はふかふかの床に仰向けで寝かされているらしい。床というよりベッドの方が状況説明には適切かもしれない。触覚だけではそのベッドの材質が人工的なものかそうでないのかは分からない。

 目の前が少しずつ明るくなってきた。今まで暗闇だった所の中央に白い点が浮かび、それが広がっている。十秒経った後には視界から黒が消え、白い天井が目に飛び込んできた。視力が健康的な大人並みになると、真上の天井に蛍光灯があるのが見えた。もうすぐ替え時だ。

 指が動かせるようになると、体全体が動けるようになるまでには大した時間はかからなかった。私の左側は所々が灰色にすすけた白い壁で、寝ているのはやはりベッドの上だった。右側に首をひねると、部屋全体の様子が大よそつかめた。このベッドと、その反対側の壁に寄せて置かれている二台のパソコンと、そのパソコンから伸びている一本の細いコード以外には何もない部屋で、こぢんまりとしている。パソコンの前には、男が一人イスに腰かけて画面をにらむように見ている。白衣を着ていて中肉中背だ。そして彼の周りを、八歳か九歳ほどの男の子がうろうろしている。表情から察するに、楽しみにしているが待ちきれなくて不満でもある、と言ったところか。

 私は、自分の声帯機能がきちんと働くのを声を出さずに確認すると、彼らに語りかけてみることにした。

「こんにちは」

 ガタッと音を立てて男がイスをひっくり返して振り返り、男の子も驚いた顔でこちらを見た。男は四十代前半くらいだ。

「しゃべったね」

 男の子が興味津々な風に私を指さして男を見上げた。

「よし、成功だ。これでようやく完成だ」

 よほどうれしいのか右手でガッツポーズを決めた。

 二人は、うかがうように慎重な面持ちで一歩ずつ近づいてきた。きちんとあいさつしなければというプログラムに従い、体を起こして足をベッドから投げ出して座った。

「ねえ、ぼくの言葉分かる?」

 そろりそろりと近づいてきながら男の子が緊張したように尋ねてきた。

「はい。私はあなたの言葉が分かります」

 頭の中にある言語を組み合わせて声として出力した。

「すごい。まるで人間みたい」

 男の子は物珍しげに私のすぐ目の前に立った。この背の高さから考えて、彼の身長は平均的な八歳の身長よりも一センチ高く、九歳の身長よりも四センチ低い。体は全体的に華奢だ。紺色のセーターにGパンを着ている。

「俺の最高傑作だ。こんなロボットは世界中のどこにもないはずだ」

 男は子どもの右横に立って私に顔を近づけてきた。

「質問に答えてくれ。君はどんなロボットか自分で分かっているか?」

 彼は私の身元を聞きたいようだ。頭の中を探って適切な言葉を形成する。

「私は、あらゆる仕事ができる万能ロボットです。現在は、あなた方二人の食事づくりと洗濯、掃除、そして子どものお世話の仕事をするようにインプットされています」

「その通りだ。君にはこの家の大体の仕事を任せる。俺は君をつくった博士だ。これからよろしく」

 男は右手を差し出した。握手を求めているようだ。この場にふさわしい力を計算し、彼の手を握り返した。

「ほら、お前も」

 男は子どもの背中を押した。強張った顔の男の子は小さい手を出して、差し出したままの私の手を握った。男の手と比べて体温が高かった。

「立てるか?」

 男が再び手を伸ばしてきた。だが、私は自分一人で立てることを示すためにそうした。よしよし、と彼は二回うなずいた。

「パパ、この名前は何?」

 私を指さして子どもが男に疑問を投げかけた。私も自分のデータベースを探ったが、自らの名前はまだ存在しないと判明した。

 パパと呼ばれた男は、そうだなぁと悩むようにしてパソコンの置いてある壁に面した窓を見た。ガラスを通して、灰色の雲から氷の結晶が落ちてきているのが見える。

「そうだ、ユキにしよう。この子はユキだ。そうしよう」

 パパは私にそう名付けた。

「ユキ? ユキって、あの雪?」

 子どもは首をかしげた。

「その通り。名前はかんたんで覚えやすいのが一番だろ? お前の名前のように」

 パパは誇らしげな顔で息子を見下ろした。

「前にも聞いたよ。ヨウっていうぼくの名前は、太陽が出てた夏に生まれたからなんでしょ?」

「何だ。不満か?」

 パパはうかがうように子どもを見つめる。

「ううん、別に気にしてない。もう名前が付いちゃったんだから、仕方ないよ」

「そうかそうか。物分かりがいいな。さて、早速ユキには仕事をしてもらおうか。立って」

 ジェスチャーで私に立つようにパパが言ったので、言う通りに直立する。

「最初は何をしますか。何でもやります」

「何でもかい? ふふん?」

 彼は鼻の下を伸ばして何かを企むような顔をした。私のデータベースによれば、これは男が女に対して性的な感情を抱いている時にする表情だ。

「パパー、えっちな顔をしてるー、また」

 ヨウくんはケラケラ笑っている。

「冗談だ冗談。いくら俺でもロボットに発情したりはしない。たぶん」

 まあ、そんなことはさておき、と話しを変えて、

「ユキの最初の仕事は、この家の設備がどうなっているのかしっかり記憶してもらうことだ。食事づくりや洗濯のやり方は、その都度教えるよ」

「ぼくが案内するよ。いいでしょ?」

 ヨウくんが私に背を向けてパパのすぐ前に立って見上げた。

「そうだな。家事に関しては、俺よりヨウの方が詳しいしな。お前は家事のことを説明してくれ。俺は設備について話すから」

「うん、分かった」

「それじゃユキ、行こう。歩けるか?」

 パパに真っすぐ目を向けられる。一見すると彼はニコやかにしているが、わずかな筋肉の動きから緊張していると分かる。

「はい。問題ありません」

 右足を上げて一歩前に出した。そのとたん、二人が「おお!」と拍手した。

「じゃあ、まず台所から行くね。ついてきて!」

 ヨウくんが私の右手を握った。やはり温かいが、最初に握手した時には無かった汗がにじんでいた。


2へ続きます。

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