第百二十五話:薬とお尻【リーナ・ジーン編】②
男から渡されたメモに書いてあった住所の家に、リーナとジーンとアキは立っていた。
薄い壁で、ちょっと強い風が吹けば壊れてしまいそうなくらい、簡素なつくりをしている。
ジーンがドアを軽くノックし、
『こんにちはー』
と、感情の乗っていない声で、家の中に呼びかけた。
「本当にあの薬を運べば、お金がもらえるのでしょうか……」
アキが半信半疑な表情で、リーナに言う。
「さあてね。もし危ない組織だったら、ジーンがあれで撃ち殺してくれるよ、きっと」
リーナは、ジーンの左腕を指さした。
彼の左手の先は、拳銃に換装されている。
「はい……」
家の中から、一人の女性が現れた。
三十代ほどで、頬はやつれ、服はあちこちがボロボロ。
髪の毛にもツヤはなくボサボサだ。
ジーンは、左腕を背中に隠しながら言った。
『薬を届けに来たよ』
その言葉を聞いた瞬間、女性の表情が急に明るくなった。
顔中に血が集まり、頬が紅潮し、目が限界まで開かれ、ヒュッと大きく息を吸うと、ジーンに言葉をまくしたてた。
「本当ですか!? あなたたちが持ってきてくれたんですか!? 今あるんですか!? だったらお願い、早く出して下さい!」
一息で質問を重ねた女性は、全力疾走をした後のように肩を上下させる。
『あるある! あるからぼくの頭をグラグラさせるのはやめて! 今から出すから!』
ジーンは仮面を上げ、口をあんぐりと開けると、中から白い紙袋を二つ取りだし、女性に手渡した。
ここでようやく、ジーンの異様な姿と薬の取り出し方に驚いた女性は、警戒するように一歩下がったが、すぐに奪うように受け取った。
薬の成分名が書かれた紙袋と、中身の錠剤が包まれたシートに記載されている医薬品の名前を確認し、女性はパッとひるがえして家の中に走っていった。
バタバタと家の中を走り回る音が聞こえる。
パリーンとガラス製のコップが割れる音がした。
一瞬音が途切れたものの、すぐに走る音がまた聞こえてきた。
そして、
「薬が来たよ!」
女性の嬉しそうな声が、玄関の外まで響いてくる。
「あんなに叫んで、ビックリしました……」
アキは、胸の中で激しく動く心臓を落ち着かせるように、右手を胸に当てている。
「あの男のガセネタだと思ってたのに」
リーナが意外そうな顔をする。
『まだ分からないよ。この家の人がちゃんと報酬を払えるか』
ジーンが冷静に言った。
「あ、確かに!」
リーナが残念そうに言った。
二分ほど経ち、
『ちょっと催促しようか』
ジーンが一歩、開けっぱなしの玄関に入ったとき、女性が奥の部屋から顔を出した。
「皆さん、よろしければ娘に会いませんか? 娘がお礼を言いたいそうです」
女性はにこやかに言った。
リーナとジーンとアキは、顔を合わせると、無言でうなづいた。
『うん、一言あいさつくらいしていこうかな』
ついでに報酬も請求しよう、とジーンは思った。
部屋に入ると、ベッドに腰かけて水の入ったグラスを持った女の子がいた。
パジャマ姿で、長袖からのぞく手首やズボンから見える足首が、とても細い。
グラスを持つ十本の指は、今にも折れてしまいそうだ。
「あなたたちが、わたしのために薬を持ってきてくれたんですね? ありがとうございます!」
ペコッと女の子は、頭を下げた。
背中にかかっていた髪の毛が何房か、胸の前に垂れ下がった。
「早く元気になるといいですね!」
アキがジーンの横を通り過ぎ、女の子のすぐ近くにしゃがみ、視線を合わせて言った。
「家に来たのが、お姉さんみたいな優しそうな人で良かったです。怖い人だったらどうしようって思ってました……」
女の子は、苦笑いした。
一番部屋の入り口に近いところでリーナが、
(まあ、合ってる)
と、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「今、お茶など用意するので、お待ちください」
女性が部屋を出て行こうとする。
『待って。ぼくらは忙しくて、長居するつもりはないんだ。報酬だけもらえればいいよ』
ジーンが右手を伸ばして制止した。
「わ、分かりました。今お持ちします」
女性は慌てて部屋を出て行った。
リーナとジーンがひるがえして部屋の外に出ようとしているので、アキも立ち上がり、その場で女の子に背を向けた。
すると、
「あ、お姉さん、お尻汚れてる」
女の子は、アキのお尻をなで、チリやホコリを払った。
アキは、自分のお尻を触った。
「え、あ、本当ですね。実はさっき色々あって、転んで尻もちをついてしまったので、その時に付いたんだと思います……。ありがとうございます」
アキはニコッと笑った。
用事を済ませて、三人は家の外に出た。
外は夕日が沈みかかっていて、空の一部がオレンジ色に染まり、大部分はグラデーションを描きながら黒くなっている。
ジーンは玄関に立つアキに言った。
『さっき、女の子にお尻触られてなかった?』
「あ、はい。尻もちついたときに付いていた汚れを取ってもらっていました」
『さすがに、男に触られたときみたいな、変な声は出さなかったね。「うひゃああん!」って、素っ頓狂な叫び声だったもん』
「マネするのやめてくださいよ、ジーンさーん! あの時は本当にビックリしたんだからしょうがないじゃないですか-!」
すると、一番前を歩くリーナが、振り返った。
「ねえ、あたしがアキのお尻を触ったら、また『うひゃああん!」って声出す?」
「言いませんよ! リーナさんが私のお尻を触ってくるのはいつものことですから」
「それもそうだ!」
三人は、夕日とは反対方向の、すでに暗くなってきている方角に向かって歩いて行き、やがて闇夜に消えていった。
次話をお楽しみに。




