第六話:最強の二人⑦
「バリッ!」という音と同時にマオは目を覚ました。鼓膜が切り裂かれそうな音だった。パッチリと目が開かれた。
いつの間にか寝ていたようだ。ベッドに飛び込んだ所までは覚えているが、その後はさっぱりだった。仰向けで毛布をかけているということは、お姉ちゃんが寝かせてくれたのだろう。
「あれ……?」
この部屋に、自分以外の気配がしない。お姉ちゃんがいない!
「お姉ちゃん、どこ?」
マオはベッドから降りると、まずはベッドの下から探してお姉ちゃんがいないのを目を凝らして確認すると、乱暴に収納スペースを片っ端から開けていった。こんな所に隠れて驚かそうとする性格ではないことはマオでも分かるが、万が一ということもある。でも、予想通りユキはいなかった。
ドアを開けて廊下へ出た。電気はついているが、廊下の一番奥にも誰の人影もない。あてもなく歩き出す。屋敷に入った時から何回か見たこの廊下が、今は一人で迷いこんだ迷宮のように感じられる。
辺りを見回して気配を探りながら真っすぐ歩いていると、温泉への入口に着いていた。のれんは片づけられている。
「あ。あれ使えるかも」
マオは脱衣所へ靴を脱ぐのを忘れて走っていく。誰もいない脱衣所は殺風景で、火が焚かれていないから冷え込んでいる。ブルルッと鳥肌が立った。
「あった」
見回していると、目的の物を見つけた。お姉ちゃんが使っていたのは見たから問題ない。スイッチを押した。
十秒ほど画面が真っ暗な状態が続いたが、突然パッと明るくなった。中には、執事ではないぽっちゃり系のロボットがいる。
「はい、私はメイド長です。何かご用でしょうか」
「お姉ちゃんはどこ?」
「ユキ様のことですか? ユキ様でしたら、博士と一緒に地下の研究室におられます」
「どこ、そこ?」
メイド長と名乗ったロボットが脱衣所から研究室までのルートを述べたが、マオには少しも理解できなかったようだ。そこでメイド長は、
「私がご案内します。その場でお待ち下さい」
「うん、分かったー」
カゴをひっくり返したりパタパタと走り回ったりしていると、二分後に足音が聞こえてきた。いったんピタリと動きを止めてからその音を聞くと、警戒して忍び足で脱衣所を出た。
「お待たせいたしました。ご案内いたします」
廊下でメイド長が立っていた。メイド長はおじぎをすると、先導して歩いていった。マオもその後を追う。
「ねえねえ、お姉ちゃんはそこで何をしているの?」
「申し訳ございません。旦那様からは何も教えられていません」
「お姉ちゃん、いたずらされてるの?」
「いたずら? いえ、彼はそのようなことをする方ではありません」
「でもでも、後で博士の研究に付き合うって言ってたよ」
「心配でしたら、早足で向かいますか?」
「早足? 走るの? 任せて、得意だから!」
メイド長が足を速めると、マオもそれにつられるかのように走り出した。マオはロボを追い抜こうと競争心が湧いて止まらなくなってきているが、子どもを案内するという立場に置かれているメイド長も、先を越されないようにさらに足を速める。マオはそれが面白くてクスクス笑う。
メイドロボは夕食を食べた和室を通り過ぎ、廊下の突き当たりにあるエレベーターに乗った。先に乗り、どうぞと手の平で示す。マオは突進するかのように飛び乗った。
地下へ降りると、薄暗くて幅が狭い廊下が姿を現した。暖房が設置されていないらしく、冷気が床から這い上がってくる。コンクリートの壁に覆われていて、物がどこにも置かれていない。等間隔に蛍光灯がついているだけだ。
「お姉ちゃんはどこ?」
「ユキ様と旦那様は、この奥の研究室です」
「ずっと走っていったらあるの?」
「はい。突き当たりに扉があるのですぐ分かるはずです。でも、薄暗いので足元には注意してください」
分かってるよー、とはしゃぎながら走っていった。数秒後にはメイドの言葉など頭から飛んでいった。
やがて、扉が見えてきた。だが、そこには扉以外の物もあった。というか、いた。マオは警戒しながら、門番のように立つ彼の前で立ち止まった。
「何してるの、ここで」
マオは執事を見上げて言った。
「マオ様は何をしていらっしゃるのですか。お遊びでしたらどうか一階でお願いします」
「遊ばないもん。お姉ちゃんがここにいるんでしょ」
マオは隙をついてドアノブに触れようとしたものの、執事に手首を掴まれた。振りほどこうとするが、ロボットの力に逆らうことはできない。
「申し訳ございません。ただ今旦那様が作業中なので、立ち入りは禁止です」
台本を読むように執事は言った。
「イヤーだ。お姉ちゃんの所に行きたい」
「しかし、旦那様の命令ですから」
「じゃあ、あたしの言うことは聞けないの?」
不満そうに額にしわをつくった。
「いえいえ、マオ様は大事なお客様で、何でも言うことを聞くようにと仰せつかっております」
「もしかしたら、おじいちゃんは中で倒れてるかも。病気とかで」
マオは少しいたずらっぽくニヤけた。
「……その可能性は否定できません。この扉は防音が施されていて、私には中の音は全く聞こえてきませんから」
「なら、開けてもいいでしょ?」
マオの言葉を聞いて、執事が掴んでいた手首を離し、しゃがんで彼女に視線を合わせた。
「万が一のために仕方なく開けた、と旦那様に説明してくださいますか?」
「いいよ!」
「分かりました」
執事が立ち上がろうとする前にマオはすばやくドアノブに手を伸ばし、けたたましくドアを開けた。
マオの登場に、ユキと博士は息が合ったように振り向いた。博士は自宅に突然宇宙人が現れたように驚き、ユキは不安の張り付いていた表情が消えて顔の筋肉が緩んだ。
「なっ、なぜ入って来れた!? 入口には執事がいたはずだ」
博士は人差し指でドアを指しているが、手は震えている。
「お姉ちゃん! 何で裸なの? どうして縛られてるの?」
マオは博士の言葉など気にも留めずにユキの寝ているベッドに駆け寄った。そのベッドはかろうじてマオが見ることができる高さだ。
「手足と頭を縛っているベルトを外してくれる? マオでも簡単にできると思う」
ユキは右手を動かして自由でないことを示す。
「うん」
マオの背の小ささでも何とかベルトに手が届き、金具を少しいじっただけで弾けて外れた。ユキはすばやく体を起こし、ベッドを下りた。
「おい、勝手に外すな。僕の研究の邪魔だ」
博士は乱暴にマオの細い手首を掴んだ。マオは顔をしかめ、「痛いよ。離してよ!」と叫ぶ。
「マオを痛めつけるのはやめてください」
ユキが博士の手首を掴んだ。彼の手から力が抜け、彼女の手を振りほどこうと体重をかけて腕を抜こうとする。だが、びくともしない。博士の表情が恐怖に歪んでいく。
「こ、こら、執事、何をそこでぼうっと突っ立っている。早く助けろ!」
睨むように執事を見上げた。だが、執事は博士を見つめたまま動かない。
「旦那様。もうやめましょう。あなたはいつも、客人を大切にしろとおっしゃっています。しかし、この場においてはそうは感じられません」
「何だ、僕にロボットであるお前が意見を言うのか」
「はい、私は旦那様の命令でユキ様をここまでお連れしましたが、今はそのことをひどく反省しております。ですから、このままお二方には帰っていただきます」
「僕はお前の主人だぞ。なぜ言うことを聞けない?」
「あなたは以前、トウキョウという街には『おもてなし』という言葉の下に客人を手厚く迎える習慣があってそれを見習いたい、とおっしゃっていました。私は執事としてその言葉を大切にしたいと誓いました。ユキ様を拘束することは、それとは正反対の行為であると思います。もう一度その言葉の意味を考えるべきではないでしょうか」
「僕は兵器開発を隣国に対して独占で行うことで身の安全が保障されているんだ。彼女を調べることで開発は順調に進む。それはどうする?」
「逃げましょう。隣国の影響が及ばない所まで。私は一緒についていきます」
執事の後ろに立つメイド長もうなずいた。
「な、何を言っている? 国の軍隊から逃げられると思っているのか?」
博士の表情は、恐怖と不安で満ちている。
「博士なら大丈夫です。外をうろついている軍隊のロボットもすぐに制御下に置けるでしょう」
「しかし――」
と、博士はうつむいて考え込む。
「ユキ様、マオ様。早く逃げてください。軍隊がもう勘付いています。研究室には盗聴器が仕掛けられているのです。すぐご案内します」
「分かったわ。マオ、行くわよ」
「うん、ちょっと待って」
するとマオはうんうんうなっている博士の前に立った。彼はきょとんとした顔をする。
「お姉ちゃんを縛ったお返し!」
博士の股間を渾身の力を込めて蹴り上げた。ジャンプして蹴ったから、そのまま尻もちをついた。
博士は干上がった池でビチビチと跳ねる魚のように口をパクパクさせながら、仰向けに倒れた。何か言葉を発しようとしているようだが、うめき声すら出せず息も吸えず顔が真っ赤になった。
「では、行きましょう」
執事は博士の存在を忘れたかのように彼を見ずにくるりと背を向けて廊下へ出た。ユキはそそくさと出ていき、マオは舌をめいいっぱい博士に向かって出してニヤッと笑った。
研究室の奥の扉を開けて大人一人がやっと通れるほど狭い通路を抜けると、地下駐車スペースの隅っこに出た。この通路は、博士がわざわざ屋敷の正面玄関まで行く手間を省くためにつくったらしい。中は薄暗かったが、先導していた執事が足を踏み入れたとたん天井の電気がすべて点いて昼間のように明るくなった。センサーが作動したのだろう。スペースの割には高級車が二台とレッカーが止まっているだけで、がらんとしている。通路と同じく暖房が効いていないので寒気が全身を突き刺さる。
「急いでください。すぐそこまで軍隊の派遣した兵が来ているかもしれません」
執事が走りだしたので、ユキとマオもそれに従う。ユキは、執事が差しだした白衣を羽織っている。博士の白衣の予備ですが洗濯済みなので気にせず着てください、と彼は言った。
ユキとマオに反応しレッカーがエンジンを点け、豪快なエンジン音が一回地下に反響する。運転席と助手席のドアを開けて二人が座るのを待っている。
「地上への出口はあちらとなっています」
執事は、レッカーに飛び乗ったユキに人差し指で示した。
「分かったわ。レッカー、よろしくね」
ユキがハンドルをコンコンと手の甲で叩くと、合点だと言わんばかりにエンジンフルスロットルで急発進した。突然のGに二人とも座席に張りつけになる。マオが「うひゃっ」と目をつぶった。ギアやハンドルやアクセルペダルが小刻みに動き、地上へ昇る坂道に入る。出口は開かれていた。
地下を出た先は、屋敷の隣につくられたガレージだった。外から見ると車を一台止められる場所にしか見えない。景色は、寝室から見下ろした時と変わっていない。四体の警備ロボットが屋敷の正面玄関の方から駆けて来るのを除いて。敷地を抜ける門へ行くには、どうしても屋敷前を通らなくてはならない。レッカーは強行突破しようとスピードを上げた。
警備ロボットはライフルをこちらに向けている。ユキはマオに、頭を下げなさいと引っ込めさせた。
ドカンという鈍い音と共に、ベキッという音もした。車体に亀裂が入った。二体のロボットに衝突し一体は吹っ飛ばされたが、もう一体はレッカーを押し戻そうと踏ん張っている。それに従ってレッカーのスピードも落ちて行き、もう一体のロボットも加わると完全に止められてしまった。エンジンを全開にふかしてもほとんど前へ進めない。
一体のロボットが助手席のドアに手を伸ばす。マオが捕食者に見つかった小動物のように、ユキのひざの上に逃げた。
ロボットの手がドアまであと数センチまで迫った時、クレーンが伸びて荷台から回ってロボットを高速で叩いた。ロボットは弾け飛び、木に激突して動かなくなった。
運転席に近づくロボットもクレーンでぶっ叩いて機能を停止させた。残りはレッカーの正面で踏ん張っているロボット一体のみだ。
レッカーはいったん後退し、ロボットの間にすき間をつくった。体勢が崩れてよろけたロボットにクレーンのフックを引っかけ、遠心力を活用して屋敷の方に放り投げる。コンクリートと窓ガラスの砕ける音と共に、ロボットの目から光が消えた。
すぐにレッカーは発進した。ロボットの落としたライフルを踏みつぶして門へと急ぐ。門は開いていた。博士が警備システムの奪還に成功したようだ。ただ、動きはゆっくりでまだ半分しか開いていない。レッカーはこれ以上車体を傷つけないようにスピードを緩めて進む。
ドスン、という音が辺りに響いた。それと同時に何かが破裂したような音もした。レッカーの右後輪が撃たれたのだ。レッカーが辺りを見回すと、最初に体当たりで吹っ飛ばされたロボットだった。ロボットの管理システムまでは掌握していないようだ。レッカーはそれにかまわず門を突破した。ロボットはそれ以上は撃って来なかった。
屋敷が視界から遠ざかっていく。マオは助手席に戻ってシートベルトを閉めた。そして外の景色を見る。レッカーが全力で走っているので、屋敷の姿はすぐに見えなくなった。二階建ての一般住宅が景色に流れていく。
「ありがとう、マオ」
ユキは運転をレッカーに任せてマオを手招きした。マオはシートベルトを外してすぐそばまで寄った。ユキはマオの柔らかいほっぺたにキスをした。
「あなたが来てくれなかったら、私は改造されて戦争の道具に使われる所だった。ありがとう」
マオを包み込むように抱きしめた。突然のことに戸惑って目をぱちくりするマオだったが、母のぬくもりに包まれる子どものような笑顔になった。
「レッカー、ごめんね。あなたの車体を傷つけてしまって」
今度はレッカーのハンドルにキスした。真っすぐ進んでいたレッカーが左右にガタガタ揺れた。
「街に行ったら直しましょ。軍隊もこの国で事を荒立てたくはないだろうからもう襲ってくる心配は無いと思うわ」
レッカーは冷静さを取り戻して再び全力で街へと急ぐ。街灯がまばらにしかない、森のように暗い住宅街を五分ほど走っていたが、やがて明るくて煌びやかな街が眼下に見えてきた。ふっ、とユキに笑顔が戻った。
これにて六話は終わりです。引き続き七話をお楽しみください。




