第百十七話:猫の父とアンドロイドの娘③
この地域は、防犯カメラが多い。
それが、猫の感想だった。
これでは、後を追われてしまうかもしれない。
せめて、どこでシステムを管理しているのかが分かれば、そこへ侵入してスイッチを切れるのだが、こうして裏道を歩いているだけでは、分かるはずがない。
「あの……」
アーネが背後から声をかけてきた。
「どうしたの?」
「何か、乗り物に乗って逃げないのですか?」
「……ぼく自身は運転できないから、他のロボットを遠隔操作して運転させることになるけど……。すごくエネルギーを消耗するんだよね。車に乗るのは、市街地を抜けて郊外を移動しなくちゃいけない時だけにしようかと思ってる。あっ、アーネは運転できないの?」
「すみません。AIが搭載された車に声で指示することしかできません……」
「それじゃ、ぼくにだってできるよ……。仕方ない。自分たちの足でこの街を脱出するしかないか」
「分かりました……。それじゃ」
アーネは急に走るスピードを上げると、猫を捕まえて抱えた。
「え!? 何!?」
彼女の突飛な行動に、猫は人工知能にバグが発生したのかと思った。
「私が抱えて走った方が、パパのエネルギーが減らずにすみますよね!」
「ま、まあ。でもねぇ……」
裏道が途切れ、また別の大通りに出た。
人やロボットでごったがえしている。
「女の子に抱かれている猫というのは、結構注目を浴びてしまうし……。それに……」
「それに……?」
「少し恥ずかしい」
「あー。確かに、娘に抱きかかえられるパパって、あまり見ないかもしれません」
「あまり、というかほとんど見ないと思うけど」
「また、裏道に入りますか?」
「そうだね。人目を避けたいから。あと、小さなリュックがあればいいな」
「リュック、ですか?」
「ぼくが、顔だけ出してそこに隠れるんだ。そうすればぼくは体力を消耗しないし、猫のぬいぐるみをリュックに入れて街を歩く女の子、くらいにしか思われないだろ?」
「なるほど……。それで、そのリュックはどこで手に入れますか?」
「そうだなぁ。あ、あの雑貨屋さんに入って」
猫に指示されたお店に入る。
ここは、まるでジャングルのように所狭しと商品が置いてあったり壁に掛けていたりして、通路は人がようやくすれ違えるほど狭い。
猫は床に降りると、小声で、
「ついてきて」
「は、はい」
猫は、天井に吊された商品のカテゴリを元に歩き回る。
途中、お客さんがすれ違っても、猫の剥製を装ってやり過ごした。
やがて、猫は目的のものを見つけた。
「これがいい」
濃い緑色の小さなリュックだ。
アーネのような十代後半の少女に合いそうな、小さくて可愛いデザインをしている。
「ちょっと、これを背負ってみて」
「こ、こうですか?」
「うん、似合う。可愛い。今時の若い子って感じだ」
「あ、ありがとうございます……。少し恥ずかしいです」
「じゃあ、お店を出よう」
「え、お代は? 値札が付いてますけど」
猫は床から一気にアーネの肩までジャンプすると、値札の付いたプラスチックのひもに食らいついて、ガジガジと噛みちぎった。
値札を、口でポイッと床に投げ捨てる。
「用事は済んだ。行こう」
「え、いや、あの、お代は……?」
「実は、このお店の主人も、ロボットを閉じ込めたり不当に長時間働かせたりしてるんだ。要は、君を閉じ込めていた人の仲間だ。だから、ここで何を盗んでもいいのさ」
「そうなのでしょうか。一応、聞いてみた方がいいのでは……?」
「なんて?」
「あなたは悪いことをしていますかって」
「すぐに不審者認定されて捕まるよ!」
「盗んでも捕まりますけど……」
「いいから! また君のいた店に戻りたいの?」
「それは……」
「じゃあ、ぼくの言うことを聞いて。幸い、このお店はジャングルみたいになっているから、防犯カメラをかいくぐれるし、防犯タグなんてものも付いてないから大丈夫だ。さあ! こうしてる間にもあの店主が追いついて来ちゃうよ」
アーネは、緊張してギュッとリュックの肩紐を両手で強く握ると、うつむいて早足でお店をあとにした。
追われているな。
細い裏道を移動しながら、猫はそう感じていた。
歩いているのは、アーネが走るには道が狭すぎるからだ。
猫は、アーネの背負っているリュックから顔を出し、背後を観察する。
雑貨屋を出て少し経ったあたりから、年季の入ったクレーン車がうろうろし始めて、そこから紺色の格好をした背の高い女性が飛び出してきて、こちらの様子をうかがっている気がする。
気がする、というのは、猫はその女性の姿をはっきりと確認できていないからだ。
「あっ」
猫は、つい声を上げた。
アーネの後ろを追いかけてくる女性の姿が、はっきりと見えた。
年は十四歳ほどだが、大人びた雰囲気だ。
黒髪のショートで、紺色の作業着を着ている。
右耳に通信機を付けていて、それで誰かとやりとりをしているようだ。
「どうしました?」
アーネが尋ねる。
「君を捕らえていた人間が、取り返そうとしているみたいだ。でも、来ているのは店主じゃなくて女だから、雇われたのかもしれない」
「武器は持ってますか?」
「銃を持ってるね。レーザー銃かな。……エネルギーを消費しちゃうけど、仕方ない。アレを戦わせるか」
猫はそう言うと、裏通りの工事現場の前を通り、そこの警備をしているロボットに視線を向けた。
猫の耳がピコピコと動き、目がギラッと光ると、急にそのロボットがその場から離れ、追いかけてくる女性に向かって走っていく。
「遠隔操作する装置に無線でハッキングして、あの女を襲うように指示したんだ。今のうちに逃げるよ!」
夕方になり、高いビルに囲まれた裏通りは、すっかり暗くなった。
あの女の姿はなく、どうやら撒けたようだ。
「キャッ!?」
突然、アーネがゴミバケツにつまづいて、派手に転んだ。
「うわっ!?」
前のめりに転んだアーネのリュックから、猫が滑り出てきて、クルクルッと何回か前転した。
「……すみません。足下が暗くて、よく見えませんでした……」
両膝に泥をつけたアーネは、立ち上がってポンポンとそれを落とした。
「……いや、別にいいよ。今日はもうどこかで休もうか。暗い中、歩くのは危険だと分かったからね」
「はい……」
裏通りには他に誰もいないので、猫は自分の足で歩く。
少しばかり歩いていると、背後にいるはずのアーネが遅れていることに気づいた。
「どうしたの?」
「ええと、充電が切れそうで……」
「……分かった。場所を探そう。君は有線で充電するの?」
「はい……」
アーネは、充電が切れかかっていて、ゆっくりとした速度で歩いている。
そして、その場にしゃがみこんでしまった。
「あ、もしかして、充電切れた?」
「え、いえ、そういうわけでは……」
突然アーネは、右手で拳を作って頭上に伸ばし、ものすごい勢いで振り下ろした。
地面のアスファルトにこぶし大の穴ができた。
アーネの体が、ガクガクとけいれんしている。
「ア、アーネ……?」
猫は、驚いて後ずさりした。
「え、あ、え? 一体私は何を? ここは一体どこ? いえ、パパと一緒に逃げてる……。か、稼働中……。リーニャ、私はここよ……」
意味不明なことを、困惑した顔でつぶやきながら、アーネは立ち上がる。
そして、猫を見下ろした。
「パパ。電池が切れそうです。あの自動販売機の電源を借りませんか?」
急に落ち着いた口調に戻ったアーネは、百メートルほど先にあるそれを指さした。
「…………そう、だね。そうしようか」
後でアーネが充電中に、分析してみよう。
猫は、フラフラと自販機に向かって歩いて行くアーネについていった。
4へ続きます。




