第六話:最強の二人⑤
五分後に和服と呼ばれる格好で博士がやって来た頃には、すでに食事が全て並んでいた。全く見たことの無い料理だ。食材自体はいくつか知っている。
「お待たせした。さて、本当は食事を始める前にそれぞれどういう料理なのかを説明したいのだけど、百聞は一見にしかずという言葉があるように、実際に口に入れてみてから話した方が分かりやすくていいかもしれないから、もう食べ始めるとしようか」
素手で料理に触ろうとするマオとそれを止めるユキを見るなり、博士はそう言うと、手の平を自分の胸の前で合わせた。
「お腹が空いているのは分かるけど、良ければこの儀式には付き合ってくれないか。食材を作った大地と全ての人に感謝するという意味を込めて、いただきますと言うんだ。これも昔訪れた国で知ったことなんだ」
顔を上げて物珍しげに博士を見たマオは、彼をまねして手の平を合わせる。一方、ユキの所には食材は並んでいないものの、マオのお手本になるという意味を含めて彼女は手を合わせた。
博士は納得するように彼女たちを見てうなづくと、
「では、いただきます」
そのままおじぎをした。
「いただきます」「いた……ます?」
ユキは彼と同じように頭を下げたが、マオには意味が分からなかったようだ。首をかしげるだけだった。
博士が箸を取ってご飯を一口ほどすくって口に入れた。それを合図にするかのように、マオも箸を手に取る。最初に狙いをつけたのは、やはり温泉卵だった。
「それがマオちゃんから要望のあった温泉卵だよ。地下からくみ上げた温泉を使って――」
彼の説明がまだ途中だが、彼女はフフンと宝物を見つけたトレジャーハンターのように笑うと、箸ですくおうとした。ツルンという擬音語をつけるにふさわしいように、箸からこぼれ落ちて皿に落ち、液が数滴ほど辺りに跳ねた。外れの宝箱を開けたような顔をする。
「ハハハ。それはスプーンを使った方が食べやすいよ。そこにあるだろ?」
しわしわの指が差すマオのお盆の隅にスプーンが置かれている。ニコニコしているおじいさんの顔を無視して、彼女は慎重にスプーンですくった。そしてハヤブサが急降下するより速いスピードで口に入れた。
「甘い!」
たちまち満天の笑顔になった。一回食べたら止まらない。他の料理には目もくれずに、温泉卵ばかりかきこんでいく。
「そう言ってくれてうれしいよ。この卵は――」
博士は食材を説明するのをやめた。マオは食べるのに夢中で聞く耳を持たないし、食事にはまるで縁が無いというオーラを発しているユキに話しても仕方がないと思ったからだ。
「すみません。わざわざ説明してくださっているのに聞かないで」
手持ちぶさたになっているユキが頭を下げた。マオの代わりに謝ったのだ。
「いやいや、いいんだ。料理は言葉じゃなくて舌で感じるものだからね。おいしいと思ってくれればそれでいいよ。それより、ユキちゃん暇だろう? 申し訳ないね」
「もう慣れましたから。たまにマオの食事に付き合うこともありますが、私は有機物をエネルギーに変えることはできないので、ムダになってしまうのです」
「まあ、そうだろうね。仕方ない。良ければエネルギーを補給しないかい? 君の動力源を教えてくれないか?」
「私は水素電池で動いています。でも、さっき街でちょうど新しい電池を手に入れたので、必要は無いですね」
「それでも、またいつか交換するんだろう? 予備に一つ持って行ってはどうかな」
「え、しかし……」
「いいんだ。僕はお嬢ちゃんたちがやって来てくれて気分がいい。気前がいいのは今のうちだよ」
博士はフフッと笑った。
「ありがとうございます。お言葉に甘えたいと思います」
その代わりと言っては何だけど、と彼は話しを変えた。
「君のことについて知りたいんだ。質問するから答えてほしい。いいかい?」
「はい。答えられることなら」
ユキは軽くうなづいた。別に弱点を知りたいとかそういうわけじゃなさそうだから、博士の研究に役立つ範囲で話そうと考えた。
「質問の前にお願いがあるんだ。マオちゃんが寝静まった後でいいから、研究室に来てもらえないか。CTで君の体の中を覗いてみたいんだ。大丈夫、すぐ終わるから」
早口で慌てるようにそう尋ねた。彼の目は、知りたいという欲望で満たされたキラキラしていた。まるでマオが好物の食べ物を見ている時のような目だ。
「……いいですよ。温泉を貸していただいて、マオに食事を出してもらっているのですから、少しくらいは」
「おお、ありがとう。助かるよ。申し訳ないね。さて、お互いの昔話でもしようか。まずは僕から」
温泉卵を食べ終わり、ご飯、味噌汁、鮭の切り身、肉じゃがの順番でパクついているマオは、しばらく口を聞きそうにない。ゆっくりと話しが出来そうだ。
博士の話しは、彼の大学時代が中心だった。人間に役立つロボットを作りたいという目標を持って勉強していたことを語り、そのうち、大学で知り合った女の子への片思いの話やロボットの実験で挫折しそうになった時に手を差し伸べてくれた友人の話を、それぞれ十分ほどかけて聞かせた。時折感情的になる場面もあった、その時はさすがにマオも箸を持つ手を止めて不安そうに博士をうかがった。ごめんよ、と彼は笑って話しを続けた。
四十分ほど経った時には、座卓の上はとっくに片づけられていて、食後のデザートであるみかんが丸いカゴに入れて置かれているだけとなっていた。マオが二個目のみかんに手を伸ばした時、博士の話は終わり、ふうと疲れたように少し長い息を吐いた。
「すまない。長くなってしまったね。聞いてばかりは退屈だろう。ユキちゃんのお話も聞かせてくれないか」
興味しんしんといった様子でロボット少女を見た。
「分かりました。なぜ私が旅商人をしているかという話ですが――」
ユキは、始まりの街での記憶を呼び覚ます。
「私は××××という街で、廃材を集めて工場に持って行き報酬を得るという仕事をしていました」
ユキの話がいったん中断したのを見計らって、博士は口を挟んだ。
「××××という街には聞き覚えが無いなぁ。少なくともこの辺の街ではないな」
「私を雇ってくれたのは、とても面倒見のいい工場主でした」
「ふむふむ」
「彼は、工場で働くロボットの不具合を見抜く特殊技能があり、少しでもそれが見つかると休みを取らせて回復に努めさせてくれました」
「続けて」
「ある日、遠くの街から人間が工場へやって来たのです。三十代の男でした。珍しい金属を持ってきたから買ってくれと言ってきたのです。それを見て驚きました。まだ鉱石の状態だったのですが、とてもレアで需要が高く、そのくせ供給はほとんど無い種類だったのです」
「ほほう。ということは、自分でも高級な金属を探したいと思い立ったわけだね」
「最初はそう考えていました。でも、その男性を見て気づかされました。宝物を見つけたような嬉しそうな表情をしていたのです。その顔は今でもはっきりと記憶しています。それまでは、荒廃したビル群を縫って目当ての物を探すだけの毎日を送っていましたから、正直言って退屈していました。この男のようにすばらしい体験をしたいと考えました」
ユキの表情も、その商人の男のように生き生きとしている。口調は静かだが、顔色は紅潮してきている。
「ロボットがそんな考えを持つとは……。もう、君は人間そのものだよ。僕から見てそう思った」
「お世話になった工場主には申し訳ないと思いましたが、街の中にしか無かった自分の世界を広げたかったのです」
「そうか。若者らしくていいね。僕も見習わなくちゃ」
「そしてその街で出会ったのが――」
「ねえー、お話終わったー?」
見ると、カゴいっぱいに積まれていたみかんが半分くらい無くなっていた。マオの手元にはたくさんのみかんの皮が転がっている。終始無言で食べ続けていたらしい。
「ごめんよマオちゃん。みかん、おいしかったかい?」
「うん。甘くておいしい」
「それは良かった。ここにあるみかん、全部持って行ってもいいよ。旅先で食べると良い」
マオは残りのみかんを引きよせてカゴごと胸に抱えた。
「マオ、お礼は言った?」
「ありがとう……」
少しうつむき加減にそう言った。
「ハハハ。いいんだ。どんどん持って行きなさい」
博士はおもむろに自分の腕時計を覗いた。ああ、と残念そうな声を出す。
「申し訳ない。これからまた仕事をしなくちゃならないんだ。この屋敷は好きに見て回るといい。鍵の掛かっていない所は自由に入ってもいい。何なら、庭を散歩してもいい。夜でも街灯で明るいからね」
そう言って立ち上がると、出口で一度おじぎしてから去っていった。
入れ替わるように執事ロボットが入って来て、
「食事を終えられましたら、客室へ案内いたします。部屋の外におりますので、いつでも申して下さい」
と、また姿を消した。
6へ続きます。




