第百八話:少女と街と装甲車⑧
翌朝のこと。
ユキたちは出発の準備をしていた。
「辛い話をしてくれてありがとう。今後のあなたの幸せを祈るわ」
ユキがそう言うと、
『こちらこそ、話を聞いてくれてありがとうございます。良かったら、また来てくださいね』
ティナは、壁の裂け目まで見送ってくれた。
そうしてレッカーは、砂ぼこりを巻き上げながら、次の目的地に出発した。
ユキたちは、山を越えて数十キロ先にある大きな街にいた。
そこに、動画撮影を依頼した会社がある。
端末の地図を頼りに向かい、ユキは二十階ほどあるビルの入り口に入った。
三十分後、端末を返却し、会社の外に出たユキは、悩んでいた。
「ん…………」
事務所前の駐車場に停まっているレッカーの運転席に戻ると、ユキは目を閉じて胸の前で腕を組んだ。
「どうしたのお姉ちゃん。行かないの? 用事は終わったんでしょ?」
マオが首をかしげる。
「用事は終わった……のかしら」
〈終わったじゃないか。報酬はもらったんだろ? せっかくだから、それでマオに美味しいものを食べさせればいい。この街は広い。いくらでもお店はある〉
レッカーが提案した。
「そう、ね。ただ、ティナが……」
〈ティナがどうした?〉
「今、端末を返した時に、担当者が言っていたのよ。『あの装甲車には、出ていってもらうか、捕獲して人工知能を取り外すかすることになるだろう』って」
〈まさか、会社側はティナのことを初めから知っていたのか?〉
「わたしたちには秘密にしていたみたい。不審な装甲車がいると分かったら、誰も動画撮影を引き受けてもらえないと考えていたようよ」
〈なるほど。それはそうだ。俺たちだって、マオを連れている以上、怪しい車がいると初めから分かっていたら、この仕事は引き受けなかった〉
「そうね。それで、その話を聞いてから、ティナのことが気になって……」
〈まさか、あの荒野に戻って何かするつもりか?〉
「彼女は、あの場所を彼女に無断で立ち入ろうとする者を排除しようとしている。軍も出動することになっていて、最悪の場合破壊措置をする可能性もあるって。だから、おとなしくするよう説得を……」
〈なぜそこまでする必要がある。俺たちとあいつは、もう赤の他人だ。ここでこの話をキレイさっぱり忘れて、新たな旅を始めても、誰かから何か言われるわけじゃない。それに、逆上してあいつが俺たちに突っ込んでくる可能性もある。やめておけ〉
「……」
するとマオがユキのすぐ近くに座って、ピッタリと体をくっつけた。
「ねえ、ティナに何かあったの?」
「ええ、そうよ」
「だったら、助けに行こうよ」
「どうして?」
「だって、一人ぼっちでかわいそうだもん。困ってるなら助けないと」
マオのその言葉に、ユキとレッカーは、ハッと気づかされた。
「そうよね……」
〈待て。助けるというのは分かるが、それでも俺たち自身が行く理由は? 訳を会社に話して説得してもらう事も出来るはずだ〉
「ティナの悲しみは、彼女の話を一晩中聞いたわたしたちにしか分からないと思うから」
〈……分かったよ。ただし、俺たちが危なくなったらすぐ逃げる。それでいいな?〉
「ええ、もちろん」
ユキたちは、再びあの荒野に向けて出発した。
五時間ほどかけて荒野に戻ってくると、そこにはすでに軍用車両が多数いた。
壁の裂け目の外二百メートルの範囲に、取り囲むように展開している。
レッカーが近づいていくと、当然止められた。
ライフル銃を持った人型ロボット二体に、阻まれる。
『都合により、民間人は立ち入り禁止です』
「装甲車の件ですよね? わたしは彼女の知り合いなのです。話がしたいので通してもらえませんか」
運転席のウインドーを開けて、ユキが言った。
二体のロボットは、顔を見合わせた。
『なぜ装甲車のことをご存知なのですか』
「昨日から今朝にかけて、ここで会ったからです。色々話を聞きました」
片方のロボットが、こちらから目をそらして、五秒間ほど上官と通信をした。
『実は、装甲車にここから立ち退いてもらいたいのですが、強硬手段に出るべきか上の者が協議をしていた所なのです。お知り合いなのでしたら、ぜひ説得をお願いしたい』
ロボットがそう言ったのを聞いて、レッカーがもう一度確認する。
〈いいんだな? 本当にティナの所に行くんだな?〉
「……ええ。危なくなったら逃げる。約束するわ」
ユキがうなずいてみせると、ロボット二体は道を開けてくれた。
そしてユキたちは、壁の裂け目の中に入っていった。
壁の中に軍隊はいなかった。
今朝と同じく静かで、時折鳥の鳴き声がするだけだ。
「いたわ……」
今日もティナは、家の近くに鎮座していた。
〈慎重にな〉
レッカーが忠告する。
ユキはレッカーを停車させ、外に降り、ゆっくりと彼女に近づいていく。
『誰かと思えば、あなたたちでしたか……』
ティナの声には、ピリピリとした緊張感が含んでいた。
「外の状況には気づいてる?」
ユキが尋ねると、
『もちろんです。一時間ほど前、拡声器で私に声をかけてきましたから』
「ここに宿場町をつくる、という話を?」
『はい、そうです』
するとレッカーが、
〈一応ティナに確認しておきたいんだが、街をつくるというライアとティナの夢は、叶うんじゃないか? 宿場町ができるんだろ?〉
と説得を試みる。
すると、ティナの睨んだような視線を、レッカーは感じた。
『ここはライアと私の最後の楽園です。ここを赤の他人に荒らされるのはイヤなのです』
ユキが一歩彼女に近づいて言った。
「この状況を、ライアが見たらどう思うか考えてみて。あなたと軍隊が睨みあっているこの状況って、戦争そのものじゃないかしら」
『その通りです。だから彼らには出ていってもらいたいのです』
「単刀直入に聞くわ。あなた、ライアを失って、どうしたらいいのか分からないんじゃない? 」
『何ですって?』
「街づくりなんて、元軍用装甲車一台に成せることではないもの」
『それは……! う、でも……』
「世の中の仕事は、ほとんどが一人じゃできないことばかり。わたしは運送業をしているけど、レッカーがいなかったら運べないし、マオがいないと旅が楽しくない。荷物を運んだそれぞれの場所で荷下ろしをしてくれるロボットがいないと、作業が終わらない」
『……だったら、どうしろと?』
「一人でできないのなら、悩んでいるのなら、誰かに相談しなさい。ロボットは人間よりも優秀だけど、万能じゃないの」
『悩みなんて、赤の他人に言えるわけないですよ……』
「だったら、わたしたちに相談して。わたしたちは昨日から、あなたの話を聞いて一晩過ごした。赤の他人じゃないわ」
『そうですが……』
ユキがどんどん近づいていって、ティナの正面の車体に、手がそっと触れた。
「わたしも、かつての戦争で大切な人間を亡くした。だから、きっとあなたのことを分かってあげられる」
ユキの言葉をしっかり噛みしめたティナから、次第にピリピリとした空気が薄まっていくのが、ユキとレッカー、そしてマオにも分かった。
そして、車体前方部分にあるドアが開かれた。
『どうぞ。ライアがかつて書き残したノートがあります。そこに、街づくりの夢や計画が書かれています』
「分かったわ」
ユキは、ドアをくぐって車内に入った。
車内は、人間が五人ほど乗れるくらいの広さだ。
前方部分にある、席が二つ連結されたところに、人間の骨が一体横たわっている。
子どものもので、半袖に短めのGパンをはいていた。
「ここで眠っていたのね」
ユキは悲しそうな目をする。
『ノートは、操縦席の下に落ちています』
彼女の言う通り、ノートが落ちている。
ほこりをかぶったそれを拾い上げ、ユキはパラパラとめくる。
かんたんではあるが、道路や建物などの配置が書かれている。
「これを建設業者に見せてみてもいいかしら。もしかしたら、少しでも実現するかもしれない」
『……変な夢物語だと思われないでしょうか』
「そんなの、見せてみないと分からないわ。踏み出さないと何も始まらないでしょ」
『……分かりました。ぜひお願いします』
その後もユキはノートをめくって、中身を頭に記録していく。
すると、最後のページの方に、子どもの描いたイラストがあって、『ティナ』という文字から矢印が伸び、トラクターの絵を指していた。
『ライアが言ったのです。装甲車だと都合が悪いだろうから、あなたはトラクターになったほうがいいと。もし叶うなら、私の人工知能をトラクターに移植してほしいです』
「……いいの?」
『はい、ライアの望みですし、私もトラクターになって街づくりを手伝いたいです』
「……これも何とかならないか、開発業者に訊いてみるわ」
ティナの外に出てから、ユキは言った。
「わたしたち以外に、あなたと話をした人はいなかったの?」
『いましたよ。これまでに何回も、人間やロボットがここを訪れ、私の話を聞いてくれた人もいました。でも、ユキさんみたいにもう一度戻ってきて話をしてくれた人は、一人もいませんでした。だから、今私はとても嬉しいです。ありがとうございます』
「……わたしはただ、あなたが建設業者や軍隊によって処分されるのを防ぎたかっただけ。わたしが街づくりに貢献できることは何もないから」
『確かユキさんは、運送業を営んでいるのですよね。ここで働けばいいのでは……』
「ごめんなさいね。もう他の場所での仕事が決まってて、しばらくこの地方には来れないと思う」
『そうでしたか。残念です。でも気が向いたらぜひ来てください。いつでも歓迎します』
「ええ、ありがとう。ティナ、これから忙しくなるわよ。覚悟はいい?」
『もちろんです。早く、外の軍隊に伝えてください。もう入ってきても大丈夫、と』
「ええ」
そしてユキはレッカーに戻ると、急いで壁の外へ向かった。
レッカーが遠ざかっていくのを、ティナは少し寂しそうに見つめていた。
ユキたちが去って、一年が経った。
「お、ここが整備途中の宿場町か!」
自動運転トラックの助手席でアシスタントの仕事をしている人間の五十代くらいの男が、赤茶色の大地にやってきた。
アスファルトは敷かれていなく、車がよく通る荒野の真ん中から、壁の裂け目の向こうにあるここまでの道は、重機で平らにならされているだけだ。
「今のところは、大型トラックがたくさん停められるスペースを平らにしてるだけか。まあ、でも水分補給ができるだけでも、ここはいい場所だなぁ」
すると、男の乗ってきたトラックの運転席から、自動運転を制御している人型ロボットが言った。
『この先、歩いて少し行ったところに、移住してきた人たちが住んでいるエリアがあるらしい。行ってみたらどうだ』
「そうですね。ちょっと覗いてきます。休憩行ってきます!」
『ああ、行ってらっしゃい』
男の歩く先には、岩を削ったブロックをいくつも組み合わせてつくられた家が、四つほどある。
家同士は数百メートル離れていて、その間には畑があった。
その畑の中で、ある一台の巨大トラクターが動いている。
車輪は人間の大人二人分の高さがあり、後部に畑の土を耕す機械をくっつけながら、ゆっくりと畑の中を移動していた。
「おーい、ティナ! そろそろ休憩しようか!」
同じ畑の中で仕事をしていた人間の若い男が、巨大なトラクターに声をかけた。
『はい! では私はいつもの場所に行きますね』
そう言って、ティナと呼ばれたトラクターは、畑から出ると、とても広いあぜ道を通り、整備されつつある村の郊外にある、高さ数十メートルの丘に向かった。
「あのトラクター、どこに行くの?」
五十代の男が若い男に尋ねる。
「おや、あなたは見かけない顔ですね。あ、もしかして休憩に来られたトラックの方ですか?」
若い男が、ぱあっと笑顔になる。
「ああ、そうだ。あのトラクター、人も乗せずにどこへ?」
「女の子のお墓ですよ」
「お墓?」
「数十年前にあのトラクターは、まだ何もなかったこの場所に、その女の子と一緒に、戦火の村から逃げてきたそうです。トラクターはその時には装甲車でした」
「へえ、装甲車からトラクターに人工知能を移したのか。数十年前だって? その装甲車、よくそんなに長い間ここにいたもんだ」
「女の子との約束があったそうです。ここに二人で街をつくる、という」
「……うーむ、ちょっと情報量が多くて頭が混乱しそうだ。もし良かったら、あのトラクターから直接話を聞きたい。いいだろうか」
「ええ、構いませんよ。ただ、ここに戻ってきてからでお願いします。今は二人っきりになりたいと思うので」
「ああ、分かった」
ティナは、丘のてっぺんに作られた、長方形の墓石の正面に停まっていた。
墓石には、ある少女の名前が刻まれている。
『あなたの後を追って壊れてしまおうと、長年考えてきました。でも私、ようやく決心がついたようです。あなたのいなくなった世界で生きていくことが。ユキさんたちと出会っていなければ、私は道路を整備する企業と軍隊によって処分されていました。あの方たちには感謝しかありません』
どこからかやってきた小鳥が二羽、墓石の上にとまった。
『見ていますか? つい一年前まで、ここには何もありませんでした。ですが、人間やロボットがやってきて、集落ができました。今はまだ村としか呼べませんが、街道の整備が進めばもっと外部との交流が盛んになり、発展していくでしょう』
上空を、茶色くて大きな鳥が旋回し始めた。
『安らかに眠って、とは言いません。私はあなたに、ずっとこの街を見続けてほしいからです。あなたは私の人工知能の中で生きています。あなたは私と共にあります。これからも一緒に生きましょう。私の脳と体が朽ちる、その時まで』
大きな鳥が、小鳥めがけて滑空してきた。
墓石の二メートルほど上まで落ちてきたが、そこで急にスピードを下げ、ゆっくりと墓石の上に降り立つ。
トラクターの目の前で、大きな鳥と二羽の鳥、三羽の羽が数本舞った。
二羽の小鳥は、大きな鳥をかわして飛び立っていた。
丘から村に吹き下ろすように、突如強い風が吹いた。
その風に驚き、大きな鳥は小鳥と反対の方角に飛び去っていく。
二羽の小鳥は並んでまっすぐ、村の方に飛んでいった。
次話をお楽しみに。




