第百四話:誘拐された話【リーナ・ジーン編】⑥
翌日は、日が昇って間もなく出発した。
歩き始めてから三十分ほど経ったとき、
「あ、あの。僕ちょっとお腹壊したみたいで。悪いけど少しの間待っててもらえないかな」
ケンが、前を歩くジーンに近づき、耳元で小さく言った。
『えー、一刻も早く街へ行きたいんだけど……。仕方ないなぁ』
ジーンは、しぶしぶ立ち止まって、彼を待つことにした。
ケンが、檻から解き放たれた獣のように走り、茂みの中に消えた。
「ん……? ケン、何かあったの?」
ふわぁ、とあくびをしながら、リーナがジーンに訊く。
『うんちだってさ』
「えー! ちょっとジーン、汚ーい。もうちょっと包み隠して言ってよー」
『女の子ならともかく、特に興味もない男子に配慮する必要はないよ』
「ジーンって、男にきびしーねー」
すると、アキが小さく右手をあげた。
「あのー。ついでに私も……済ませていいでしょうか」
リーナとジーンは、顔を見合わせる。
『危ないから、リーナ付いていくといいよ』
「うん、そうだね。アキ、行こう」
アキは、顔を真っ赤にしながら、横に首をフルフルと振った。
「い、いえ、今回は一人で行きたいんです……」
『アジトからだいぶ離れたけど、奴らに仲間がいたら、もしかしたら出くわすかもしれない。見張りが必要だと思う。ほらリーナ、連れていって』
リーナは、もじもじしているアキの手をつかんで連れていく。
「え、あ、ちょっ……」
そして二人は茂みの向こうに消えていった。
目と耳を閉じていてくださいね、とリーナに恥ずかしそうに言うアキの小さい声が、ジーンに聞こえた。
『うんちかー』
誰もいなくなった山道で、彼はつぶやいた。
五分ほど経って、リーナとアキはジーンの所に戻ってきた。
「あれ、ケンはまだなの?」
リーナは周囲を見回す。
どこにもケンの姿が見当たらない。
『そうなんだよ。もう置いていこうかなぁ』
「そうする?」
リーナとジーンがケラケラと笑う。
「あと五分くらいしたら、みんなで探しに行きませんか?」
アキが言った。
「アキは天使みたいに優しいねぇ。まあ、一応探してみる?」
『分かった。じゃあ、ぼくが後で探しに行くから、二人はここで待っていて』
そうして三分ほど経った時、ケンのいなくなった方角から、ガサガサと音がした。
『やっとかー。……ん?』
ジーンは急に警戒態勢に入り、右腕を機関銃に換装した。
茂みを歩く人数が、一人ではないことに、ジーンが察知した。
「え、ジーンどうした――」
彼に尋ねようとしたその時、リーナは気がついた。
ケンのいなくなった方から、数人の人影が近づいてきている。
そして現れたのは、ケンと、その背後に立つ男が二人。
男二人は、腰に拳銃を保持していた。
リーナはとっさにアキの手をつかみ、一緒に走って木の陰に隠れる。
『その男たち、誰?』
ジーンが、リーナとアキを守るようにその場で低空飛行し、低い声色で尋ねる。
「僕の上司だよ」
淡々とケンが答えた。
『上司だって?』
「うん、僕は別の国から来たんだ。子どもを誘拐して国へ連れて帰って、兵士に育てるために」
『人間を兵士に? 戦いはぜんぶロボットにやらせればいいじゃないか』
「僕の国は衰退がどんどん進んでいてね、高額なロボットを購入する資金も、メンテナンスする設備もないんだ。だから、人間が戦うしかない。それに、子どもも役に立つみたい。爆弾を巻き付けて街の中をうろつかせて、警戒されずに目的地まで行かせて、テロを起こせる」
『うーむ、君の国はなかなかゲスなことを考えるなぁ。まあ、確かに有効な作戦ではあるけど』
ケンが口を開こうとした時、
「もういいだろ。さっさとそのロボットを壊して、女の子二人を気絶させて、連れていこうぜ。こちらは、そのロボットに二人も殺されたんだ。そうなんだろ、ケン?」
彼の背後に立つうちの一人が、不機嫌そうに言う。
ケンは、その男に振り返った。
「はい、そうなんですけど、このロボットはとてもハイテクなので、なるべく壊さずに持って帰って、分解して調べたら、国のためになるんじゃないかと思うんですけど」
「それもそうだけどなぁ。まあ、そいつを突破しないと女の子も連れていけないのは変わりないから、とりあえず四肢をぶち壊してみるか。無力化できるだろ」
その男が、背中にベルトで背負っていた機関銃を正面に持ってきて、構えた。
その瞬間、男よりも速いスピードで機関銃を構えたジーンは、そいつにたくさんの穴を開けた。
「ちっ……!」
とっさにもう一人の男は、横に走り、今度は腰に差している拳銃をすばやくジーンの頭部に撃った。
カツンッ、という音を立てて、弾が弾かれる。
「なんだと……!」
拳銃を捨てて男は、機関銃を構えようとした。
しかし、ものすごいスピードで飛んできたジーンが体当たりして、男はあおむけに転ばされる。
そして、対処するヒマもなく、左手を拳銃に換装したジーンに頭を撃たれて、絶命した。
「えっ……?」
あっという間に仲間が殺されたことを理解できず、ケンは立ち尽くした。
彼はジーンの後ろ姿を見ていて、ハッと自分も武器を持っていることを思い出し、拳銃を慣れない手つきで持つ。
鉄球が胸に激突するような感覚がして、拳銃を弾き飛ばされたケンは、一メートルほどふっとばされた。
数秒間息ができなくて、彼は顔が真っ青になり、そしてゼエゼエと荒い息を吐く。
あおむけで寝転ぶケンの真上に飛んできたジーンは、その場所でホバリングしながら言った。
『ぼくはリーナを守るために人間をこれまで何人も殺してきた。でも、まだ子どもは殺したことがないんだ。さすがのぼくも子どもを殺すのには抵抗があるんだけど、仕方ないよね。リーナを危険にさらしたんだから。せめて、一発で終わらせてあげる』
ジーンは、左手の拳銃を彼の頭にまっすぐ向ける。
「ちょ、ちょっと待って! 国には僕の親と弟がいて、人質として軍隊で働かされていて。僕は軍隊に無理やり連れてこられて、こうして別の国から子どもを誘拐する手伝いをさせられているだけなんだ。僕が死ぬか逃亡をして国に帰らなかったら、家族が殺されるんだ。だから……」
『それ、ぼくに関係ある?』
銃口をケンの前頭部にピッタリと付ける。
ケンが死んでも、特に家族が殺されはしないのだが、どうにか生き延びるために、彼はとっさにうそをついた。
だが、ジーンにはまったく通じず、彼はヒッと悲鳴を上げた。
「ちょっと待ってください!」
アキが、木の陰から顔をのぞかせていた。
『どうしたの? 危ないから隠れていて』
ジーンは、ケンから視線をまったくそらさずに言う。
「ケンさんはまだ、私たちに銃口を向けていません。慈悲を与えるべきです」
歯をガチガチと鳴らして声を震わせながらも、アキは必死に訴えた。
『いや、まあ、別にぼくだってこいつの命には興味がないし、二度とぼくらの目の前に現れなければいいわけで……』
「なら、武器を取り上げてケンさんをロープで縛って、街の警察に引き渡すのはどうでしょう」
『君、おとなしそうな顔をして、なかなかワイルドなこと言うね。でもそれだと、こいつは自分の国に戻れなくなって、家族は殺されてしまうと思うけど、それでいいの?』
「う……。そ、それは……」
アキが言葉に詰まったのを見て、リーナが口をはさんだ。
「じゃあ、武器を取り上げてここで解放したら? 国への帰り道くらい分かるでしょ」
その言葉を聞いて、ジーンはケンの手に握られている拳銃をつかみ、没収した。
そして、リーナとアキの方まで飛んで後退し、地面に着地する。
『聞いてた? そういうことになったから。どこへなりとも、行っちまえ!』
左腕の拳銃を彼に向けたまま、ジーンは吐き捨てるように言った。
ヒエエエ! と裏返った声で悲鳴を上げ、ケンは銃を捨て、アジトのある方角に向かって、何度か転びながら走っていった。
「あいつ、どうなるかな」
再び歩き出したリーナがつぶやく。
『知ったこっちゃないね。赤の他人の人生にまで気をかけていたら、ぼくのCPUがいくつあっても足りないよ』
もうあまり興味なさそうに、ジーンが答えた。
「どうか、家族の元に戻って、幸せになってほしいです……」
アキは、胸の前で手を組んで、神に祈るように目を閉じる。
「アキは本当に天使みたいだね。うん、気に入った! ねえ、あたしたちと一緒に旅しない?」
え!? とジーンとアキが同時に叫んだ。
「た、旅、ですか!?」
「うん、アキと一緒にアジトで過ごして、色々楽しかったから! 見た目はお姉さんっぽいけど、おとなしくて可愛い所もあって、あたしにない考え方してるし、もっと仲良くなりたいって思ったの。何か、ここで別れるのはもったいない気がする!」
「…………」
「ね、ね、いいと思わない? あたし、欲しいものは全部手に入れる主義なの。あなたのことが欲しいの」
なんと返事をしたらいいか迷い、アキは周りの景色を見る。木々が開けてきて、下界に広がる街が見えてきた。
アキの住む町は隣だが、似たような景色だ。
長い時間をかけて、人々の住む家は簡素な造りに変わっている。
コンクリートから木製、どこかからかき集めたトタンで作られたすき間だらけの小屋……。
「ごめんなさい……。私、家に帰りたいです」
アキは、リーナをまっすぐ見て、決意に満ちた表情で言った。
「そっか。そうだよね。赤の他人より、家族の方が大事に決まってるよね……。変な事言ってごめんね。忘れて!」
リーナは、寂しそうな顔をして、目をそらす。
そんなリーナの顔を見て、アキはフフッと笑みを浮かべた。
「家に帰って支度してから、です」
今度は、リーナとジーンが同時に、え!? と叫んだ。
『ちょ、ちょっと何で何で!? ぼくらと旅をしたいの? アキみたいな色白できれいな肌じゃなくて、むしろ日焼けで一年中薄黒くなった汚いガキンチョと、謎のハイテクロボットと、旅をしたいの? なぜそう思えるの?』
「ねえジーン、ぶん殴っていい?」
『いいけど、リーナの手の骨にヒビが入るだけだよ』
アキは、深呼吸を一回してから言った。
「ジーンさんはとても強くて頼りになるし、リーナさんは年下で可愛いけどお姉さんみたいに私に接してきて優しいし、家族なんかよりも、とても好きです」
「好きって言われると、照れるよー。でも嬉しいけど」
「あ、あの……。リーナさんの国ではこれをするのかは分からないんですけど、私も少し恥ずかしいんですけど、この素敵な出会いにキスさせてもらえませんか?」
「キ、キス? え、それはこの辺だと、友達にもするもんなの?」
「……特に親しい相手には、親愛の意味を込めてします。あ、もちろん、ほっぺたです」
「ほっぺたかぁ。なんだ、びっくりしたー」
あのさぁ、とジーンが口をはさむ。
『アキは家族がいるんでしょ? こんな素性のよく分からないガ……女の子とハイテクなロボットと旅をするなんて、許してくれないんじゃない?』
「いいんです。私の家族は、浮気性で酒癖が悪くて私にも手を出そうとする気持ち悪いオッサンしかいないので。お母さんは数年前に家を出ていきました。それに、私の町もどんどん衰退していて、このままここにいても未来はないなって思っていたので。ちょうどいい機会です」
うーむ、とジーンが唸って、
『分かった。同行を許そう。ただし、これだけは覚えておいて。ぼくたちはたまに、法律に触れる方法でお金を稼ぐことがある。それを容認すること。別に君にやってもらおうとは思ってないけど。約束できる?』
「はい。大丈夫です。私は怖がりで、どれくらい力になれるか分かりませんけど、約束します」
アキの言葉を聞いて、リーナがニヤッと笑った。
「やった! これから一緒に楽しいことしようね。よろしく!」
リーナが立ち止まって、左手を差し出してきた。
「よろしくお願いしますね」
アキは、それを優しく握った。
『で、アキはそのオッサンに、何と言って家を出てくるつもり?』
ジーンも立ち止まって尋ねる。
「そうですね……」
むむむ、と彼女はうつむいて少しの間考えて、
「『実は誘拐されていて、今戻りました。これからまた誘拐されてきます』と」
アキは、小さな子どもがいたずらを思いついたように、ニタっと笑う。
「え、それってあたしとジーンが誘拐犯ってことにならない!?」
リーナが驚いた顔をする。
「その通りですよ。リーナさんとジーンさんは、私を一生誘拐してください!」
アキは、迷いのないまっすぐな瞳で、リーナとジーンを見て言い、少し姿勢を低くして、二人のほっぺたにそれぞれ軽くキスをした。
次話をお楽しみに。




