第百四話:誘拐された話【リーナ・ジーン編】⑤
四人は、どんどん山を下っていく。
天気はよく、カラッとした空気で、麓の街と比べて涼しく、過ごしやすい。
「ねえ、二人ってどの町から連れてこられたの?」
前を歩くリーナが、アキとケンを振り返る。
「私は、○○という小さな町です。早朝、父親といろいろあって、一人で散歩していた時に、急にこの車が真横に停まって、押し込まれたんです。その時すでに、ケンさんが先に後部座席に乗っていました」
アキの言ったその町は、リーナが誘拐された街の隣にある。
ケンは、そっぽを向いて黙っていたのだが、ちらっとリーナを見ると、こちらに視線をまっすぐ向けていることに気づいて、あわてて、
「ええと僕は、アキちゃんと同じ町に住んでるんだ。僕も早朝に外を歩いていたら捕まってしまってね」
ケンのことにあまり興味を示さなかったリーナが、こうして尋ねてきたことに意外で、びっくりした。
リーナは、ただ黙々と歩くのが暇だったから何となく訊いただけなのだが、ケンはそのことを知る由もなかった。
数時間歩くと、周囲がオレンジ色の光で照らされるようになり、東の空がちょっとずつ暗くなってきた。
「夏なのに、暗くなるの早くない?」
リーナが、額の汗を手首で拭う。
『遠くに標高の高い山があるから、それに光がさえぎられるんだよ』
ジーンが淡々と答えて、立ち止まる。
三人も、つられて立ち止まり、辺りを警戒する。
ハイテクなロボットであるジーンが、不審な音や物を感知したのか、と三人は思った。
だが、ジーンはのんびりと頭の仮面を上げ、口をあーんと開けて、中から地面に敷くシートと携帯食を取り出した。
「うわぁ! え、なんでそんな大きいものが、ジーンの口の中から出てくるの!? 一体どうなってるの!?」
ケンが驚いて思わず後ずさりする。
『秘密ー』
ジーンは特に感情を込めずにそう言うと、今いる茂みの中にぽっかりと木々の生えていない空間に、シートを敷いた。
「ここで、休むんですか?」
辺りをキョロキョロと見回しながら、アキが尋ねる。
『そうだよ。もう少しで暗くなるから、人間の君たちが歩くには危険だしね』
ジーンが三人に、大人の両手を合わせたくらいの大きさの、銀色のプラスチックの袋を手渡した。
「あー、またこれかー」
リーナが、げんなりした顔をする。
「リーナちゃん、これ何?」
ケンが片手でそれを持ちながら、表と裏を観察する。
特に商品名も原材料の類も書かれていない、無地のパッケージだ。
「乾パン。甘味がほとんどなくて、あまりおいしくないやつ」
『栄養がバランスよくとれる、とてもコスパのいい携帯食なんだよ? 味は別として』
「できれば、味も追及してほしかったよね」
そう言って、リーナはシートにあぐらをかいて座り、思いっきりビリっと袋を破いて、一口サイズのそれをポイと口に放り込んだ。
リーナが食べ始めたのを見て、二人はリーナの右と左隣にそれぞれ腰かけて、静かに袋を半分ほど破き、中身を一個だけ手のひらに出して、おっかなびっくりといった様子で、その三分の一ほどを食す。
「硬くて味のあまりないビスケット、かな。まあ、悪くない。携帯食だし」
評論家気取りの顔で、ケンが感想を述べる。
「…………」
アキは黙々と食べ続けている。
「おいしくないでしょ?」
リーナはお尻をもぞもぞと動かして、アキに少し近寄り、ニヤッと笑う。
近づいてきたリーナから、汗の混じった匂いがしてきて、二つ目の乾パンを口に入れようとしたアキは、少しドキッとして手を止めた。
「みんなで食べていると、おいしいです。悪い人から逃げていて、さっきまですごく怖かったですけど、少しだけ落ち着きました」
アキは静かにほほ笑む。
『水もあるよ』
ジーンが三人の目の前に、銀色のパウチに入ったミネラルウォーターを放り投げた。
三人はしばしの間、食事の時間を楽しんだ。
食事が終わったころには、すっかり辺りが暗くなっていた。
背の高い木が光をさえぎって、夕日が届かない。
乾パンと水の入っていた袋を片付けると、三人は手持ち無沙汰になり、落ち着かなくなる。
それを見たジーンが、
『もう寝ようか。明日は早朝から歩くし』
と、口の中から大人も使えるサイズの寝袋を一つと、もこもこな生地でできたとても大きなタオルケットを一枚出した。
「その寝袋、あたしが野宿する時に使ってるやつ」
リーナがそれを掴もうとすると、
『じゃあ、アキとケンはこのタオルケットを一緒に体にくるんで寝てね』
ジーンの言葉を聞いて、アキとケンは、え、とお互いを見つめ、しどろもどろになる。
「ぼ、僕はいいけど、アキちゃんは……」
アキは遠慮がちに、首を横に振っている。
するとリーナが、小さくため息をついて、寝袋を掴んでケンに差し出した。
「今日はあたしの寝袋を貸してあげる。君とアキを一緒に寝かせるわけにはいかないでしょ」
ケンは、
「まあ、僕は構わなかったんだけど、アキちゃんがイヤなら仕方ない。遠慮なく借りるよ」
彼はリーナから受け取ると、それをシートの上に置き、潜りこむ。
そして、リーナはアキとピッタリくっつくようにして座り、自分のリュックサックを引き寄せた。
「あたしと一緒に寝よ? これなら大丈夫でしょ?」
リーナは大きなタオルケットをバサッと広げて、自分とアキの体にかけ、アキの肩を抱きながら、一緒に横になった。
リュックサックを横に置いて枕代わりにし、リーナはその端っこに頭をのせる。
「はい……。では、失礼します……」
アキも同じようにそれに頭をのせ、右肩を下にして、体を横にした。
リーナは左肩を下にして横になっているため、顔が向かい合わせになる。
お互いの匂いが鼻腔をくすぐった。
アキはその匂いに包まれ、まるで母親か姉と一緒にいるかのように安心し、そっと目を閉じる。
リーナが体を動かして、もう少しだけ近づくと、アキの温かい体温をさらに感じた。
リーナ自身の体温も合わさり、タオルケットの中がポカポカしてきた。
タオルケットの中でリーナがもぞもぞしていると、アキのふっくら柔らかい手が自分の手と触れて、アキの手が一瞬ピクッと反応したものの、そのまま二人の指が触れ合う。
顔と顔の距離が二十センチほどしかなく、お互いの規則的な呼吸音まで聞こえてくる。
森は穏やかで、木々はわずかにサワサワと音を立てているだけ。
動物の鳴き声も聞こえず、とても静かだ。
月の光が、木々のわずかなすき間から細く差し、リーナたちのいる空間を照らしている。
草原の匂いが地面のすぐ近くからしてきて、寝室のアロマのように二人の心を穏やかにさせた。
「アキ、もう寝た?」
小声でリーナが訊いた。
「まだ起きていますよ」
さっき食べた乾パンのにおいがするリーナの吐息が自分の顔にかかり、アキはちょっとくすぐったそうにした。
「誰かと一緒に寝るのって、こんなに温かいんだね。人間と一緒にくっついて寝るのは、すごく久しぶりだから」
リーナがちょっと恥ずかしそうな表情をして言う。
「そうですね。心もポカポカします。怖い気持ちも、少しは和らぎますね」
自分の顔と耳が熱くなってきているのを、アキは感じた。
リーナさんに見えていないといいな、と彼女は思う。
はるか昔、お母さんと同じ布団に入って寝ていた記憶を、アキは何となく思い出した。
だから思わずリーナに、
「あの、リーナさんの胸に顔をうずめて眠っても、いいでしょうか……」
と、緊張して声を少しだけ震わせながら尋ねる。
リーナはキョトンとした顔をするが、
「あたしより年上なのに、甘えん坊だね。可愛い。いいよ。どうぞー」
アキが自分の胸に顔をくっつけてくるのを、静かに受け入れた。
アキの頭から、汗とシャンプーの混じった匂いが香ってくる。
数分経って、アキの寝息が聞こえてきたころ、
「あたし、こんな甘えん坊なお姉ちゃんが欲しいかも」
リーナは小さくつぶやいて、それから眠りについた。
ジーンは三人の近くにいて、周囲に耳をすまし、時折グルっと見回し、警戒していた。
一方、ケンは寝袋の中で端末を握りしめながら、これからどうしようか、手を震わせながら考えていた。
6へ続きます。次が百四話の最後です。




