第百四話:誘拐された話【リーナ・ジーン編】③
「お腹空いた」
リーナが口を尖らせた。
「今ってお昼くらい? 僕らが男二人に車へ押し込まれたのが、午前中だったから」
男の子は、床をコロコロと転がる綿ぼこりを右足で軽く蹴りながら答える。
「わざわざ閉じ込めてるんだから、ご飯はくれる……はず……」
自信なさげに女の子も言った。
「確かにそうだね。命が欲しいなら、誘拐されたその場所で殺しているはずだし。何かの理由でぼくらを生かさなければならないとしたら、食事は出すはず」
男の子が自信ありげに言う。
するとリーナが男の子を、不審人物を見るような目を向けた。
「何か君、妙に落ち着いてるよね。どうして?」
「どうして、とは? ぼくはこの中では多分一番年上だからね。こういう非常事態の時こそ、年長者は冷静でいなくちゃと思っているんだ」
「あ、そう」
「それに、ぼくの名前はケンだ。『君』って呼ばれると、すごく心に距離があると感じるからさ。名前で呼びあおうよ」
別に、距離を縮めようとは考えていないリーナは、眉間にしわを寄せて、面倒くさそうな顔をした。
あ、あの! と女の子が、少し裏返った声で二人の会話に入った。
「わ、私の名前はアキ……といいます……。三人でこんなところに閉じ込められているから、せめて仲良くなりたい……」
女の子は、途中からリーナを見て、
「それに、さっきはトイレについてきてくれて、ありがとうございます。とても心強かったです」
ほっぺたと耳を赤らめながら言うアキに、リーナは少し戸惑う。
こんな風に、面と向かってお礼を言われることは、ほとんど経験したことがないからだ。
「あたしはリーナ。よろしくね」
リーナはアキだけを見て、戸惑いながら言い、彼女に右手を差し出した。
「リ、リーナさんの故郷では、あいさつをする時に、握手するのですか?」
アキが首をかしげる。
「うーん、忘れた! 多分、別のどこかで覚えたんだと思う」
リーナのほっそりとした手を、アキが握った。
アキの手は、冷えているけれど、とてもふっくらしている。
「いいなあ」
とケンが、うらやしそうに二人の握手するところを見る。
「お前とは、しないよ?」
手を離したリーナが、彼をにらむ。
「リーナちゃん、だんだん口悪くなってない?」
やれやれ、と彼は苦笑いをした。
すると、地下室のドアの向こうから、足音が聞こえてきた。
三人は、一斉にそちらを向く。
足音はどんどんと大きくなり、やがて止まった。
そして、
「飯だ。食え」
まず、何も持っていない男がドアを開けて、そのすぐ後ろに、トレーを持った男が続く。
トレーには、二種類のパンと、紙パックの牛乳が載っていた。
男は、一番近い所に立っていたケンに、食事を渡す。
「……」
リーナは、ドアを見ていた。
今、それは開いている。
彼女の運動能力なら、全力で走れば、一気に男たちのすき間をぬって、階段を上がって、外に脱出できそうだ。
だが、男たちが追い付いてきたら、終わりだ。
閉じ込めている時点では生かすつもりのようだが、逃亡の意思ありとなれば、すぐに方針を変えて殺されるかもしれない。
男二人の手にかかれば、リーナの首を一瞬でへし折ることもかんたんだ。
もし、変態な考えの持ち主たちだったら、殺す前に色々イヤなことをするかもしれない。
「はあ……」
リーナは、誰にも聞こえない小さなため息をついた。
旅をする中で、たくさんの事を見てきた彼女の脳内では、めちゃくちゃな事が走馬灯のように駆け巡る。
今、脱出するのはあきらめよう、と彼女は思った。
それに、ケンはともかく、アキをここに置いていくのはダメだ。
せっかく握手をして仲良くなった子が、自分の知らないところで命尽きる姿は、リーナは想像したくなかった。
「おとなしく、それでも食ってろ」
捨て台詞のように、トレーを持っていなかった方の男が言うと、もう一人の男を伴って、ドアの向こうに消えた。
足音が完全に聞こえなくなったのを見計らって、
「さて、食べようか」
ケンは、地下室のまんなかにある、木製の角テーブルの上に食事を置き、パイプ椅子に座る。
「毒とか……入ってないですか……?」
おっかなびっくりといった様子で、アキがケンに尋ねる。
彼は、丸いパンを一つ取って、半分に割った。
「おっ、これはあんぱんだ。ぼくの好きなやつなんだよね。……特に変な臭いはしないよ?」
彼は一口、ためらいなく食べた。
ゆっくり咀嚼する。
「うん、おいしい。毒は入ってなさそうだ。二人も食べたら?」
リーナは、ケンがあんぱんを食べ終わって、何も苦しむ様子がないことを確認してから、パイプ椅子に座って、同じ形のパンを食べた。
甘くておいしい。
「食べたことない具が入ってる。すごく甘いけど。これは何?」
「知らないの? これはあんこだよ。……あ、この国にはあまり出回っていないのかな」
リーナの疑問に、ケンが少ししどろもどろになりながら答える。
「ケンって、どこか別の国の出身?」
「そうだよ。隠し通すつもりだったけど、バレちゃ仕方ない。ぼくの国じゃ、ありふれたパンなのさ」
リーナとケンの会話を聞きながら、アキも同じパンを口に入れる。
「おいしい……」
口を手で押さえながら、アキが目をぱちくりした。
「落ち着いた?」
リーナが彼女の顔をのぞき込む。
「はい……。おいしいものを食べると、少しはマシになりますね」
アキが、クスッと笑った。
もう一種類のパンは、少し細長いパンで、具は入っていないが、生地にバターを練りこんで焼いたものだった。
三人はしばしの間、リラックスした時間を過ごした。
4へ続きます。




