第百四話:誘拐された話【リーナ・ジーン編】①
リーナは、手足を縛られ、しゃべれないようにロープを噛ませられ、窓ガラスが目張りされた暗いワゴン車の後部座席に座らされていた。
目隠しはされていないので、車内の様子を観察することはできる。
窓ガラスに貼られた黒い布の端から、わずかに外の光が入ってきて、その周囲だけが見える。
後部座席のドアはチリやホコリで薄汚れていて、前方の助手席の背中は、布があちこち破れて内部のスポンジが飛び出ているところもあった。
ご丁寧に、リーナは席の左側にシートベルトをされているので、先ほどから車がガタガタと揺れていても、放り出されることはなかった。
左側の窓から、右側に視線を移す。
後部座席の真ん中には、リーナと同じか少し年上の女の子がいる。
女の子も手足を縛られてロープを噛ませられていて、リーナと目が合うと、不安そうにすがるような顔をした。
ただ、表情が何とか判別できる程度の明るさしかなく、髪形や服装などの細かい判別はできない。
一番右側にも誰かいるのだが、そちらの窓の目張りには一切隙間がなく、光が入ってこないため、性別が分からない。
輪郭だけぼんやりと見え、背の高さから、リーナよりも年上なのは想像できた。
運転席や助手席の様子を知ることはできない。布で仕切られているからだ。
先ほど、リーナをこの車に押し込んだ二人組が乗っているはずなのだが、一言も会話をしていないため、彼女には本当に彼らがいるのか、あるいはAIによる自動運転で他に人は乗っていないのか、分からない。
リーナは、どうにか布のすき間から外を見れないかと、もぞもぞと体を動かしていると、一瞬だけたくさんの木が並んで立っているのが見えた。
何となく、緩い坂道を登っているのとガタガタの道を進んでいるのを感じていた彼女は、その三つの情報を合わせて分析する。
どうやら自分たちは、誘拐された市街地から、山岳地帯に移動しているようだった。
それから二時間ほど移動した気がする。
気がする、というのはリーナの肌感覚だからで、リュックの中の端末を見ることができないからだ。
だいぶ角度がきつくなった坂を登り続け、ある時急に停車した。
車のエンジンが切られないまま、運転席と助手席のドアが開く音がし、そしてすぐに後部座席の左側のドアが開いた。
開きっぱなしになっていた瞳孔へ、一気に太陽光が入ってきて、リーナたちはまぶしくて思わず顔をしかめる。
目出し帽を被った大柄の人間が手を伸ばしてきて、シートベルトを外すと、リーナを強引に連れ出した。
足のロープをほどかれたが、手のロープはしっかりと掴まれているため、ふりほどいて逃げることはできない。
明るさに目がまだ慣れないまま、彼女は歩かされ、すぐに山小屋の中に入れられる。
屋内に入り、ようやく普段通りに見えるようになった。
木製のテーブルと切り株の形をしたイス、壁をくりぬいてつくられたレンガの暖炉、その他必要最低限の家具しか置かれていない。
他に何かないか探そうとしたが、その間もなく地下へつながる階段を降りるように言われ、そして三人とも地下室に監禁された。
「なんで?」
手と口のロープを外された女の子が、リーナと男の子のロープをほどいた後、ぼそっとつぶやいた。
すきとおった声だが、恐怖で震えている。
天井にドーム型のライトが設置されているため、お互いの姿がよく見える。
夏だから、三人とも半袖などのラフな格好をしている。
「一つだけ分かっていることがある。誘拐されて子どもだけでここに集められている、ということだ」
リーナより二、三歳ほど年上に見える女の子に対し、男の子は五歳ほど上に見える。
男の子は、声変わりして間もない少しハスキーな声で、冷静に分析した。
「そんな分かりきったこと、いちいち言わなくていいよ」
辛口な感想を述べた後、リーナは危険なものが周囲にないかどうか観察した。
木で作られた地上の建物とは違い、地下室の壁や天井、そして床はコンクリートでできている。
地下室は、五十メートル走ができそうなくらいの広さだ。
部屋の隅にはダブルベッドが二つあり、シーツや掛け布団はしわくちゃだが、最近洗濯されたみたいに汚れはキレイにされている。
真ん中あたりに木製の大きな角テーブルが一つあって、パイプ椅子がその周りに四つ置かれていた。
「薄暗くて怖い……。部屋の隅からネズミでも出そう」
女の子は体を縮こまらせる。
「あれはもしかして、太陽の光かな」
男の子が、天井の端っこを指さす。
リーナが走っていって、その真下から光源を見上げた。
縦約十センチ、横が二十センチくらいの長方形の穴が開いていて、金属の棒が檻のように何本も打ち付けられている。
「ちょっとだけ、外の景色が見えるよ」
ふり返って、リーナが二人に言った。
「あそこから逃げられるのは、小動物くらいか」
ハア、と男の子はため息をつく。
「少し、寒い……」
女の子は、腕を胸の前で交差させて、袖から露わになった二の腕の肌を手で擦っている。
「地下だから室温が低くなるのかも。何か貸してあげたいけど、ぼくがこのシャツを脱いだら、上半身裸になっちゃうな」
やれやれ、といった様子で、彼は紳士ぶりをアピールした。
「じゃあ、あたしの上着貸そうか?」
リーナが背負っていたリュックを降ろし、チャックを開けて折りたたんでいた長そでの上着を取り出した。
「いいんですか?」
おそるおそる、女の子はその上着に手を伸ばす。
「うん、洗濯したばかりだから綺麗だよ」
女の子にそう言った後、今自分が着ているシャツを貸そうとした男の子を、軽蔑するような目を向けた。
「あ、ありがとうございます……」
あと数センチで上着を受け取れる距離まで手を伸ばしていたが、急に女の子はその手を引っ込めた。
「どうしたの?」
リーナが尋ねる。
「ト、トイレに行きたくて……」
女の子はもじもじしながら、辺りを見回した。
「あれじゃないかな」
彼が指さしたのは、部屋の角をトタンの壁で区切った空間だった。
こちらから壁の奥に何があるのかは一切分からない、という不安に駆られた女の子は、今にも泣きだしそうな顔でリーナを見た。
「一緒に行く?」
リーナの問いかけに、彼女はコクンと小さくうなづいた。
リーナを先頭に慎重に歩いていく。
人の気配はしないが、危険な場所を幾度も訪れたことのある彼女は、ジーンから教えられた心構えがしっかりと身についていた。
壁に背中をつけ、彼女はそうっと奥をのぞきこむ。
床に四十センチほどの丸い穴が開いているだけの空間で、便器もトイレットペーパーもない。
穴は人工的にきれいに切り抜かれていて、奥をのぞき込むと、細長い穴のはるか下に、ちょろちょろと水が流れているのが見える。
「地下水、でしょうか」
リーナの右肩に掴まって一緒にのぞき込む女の子は、思ったより深い穴を見てすくみ上がった。
「ここでやるしかないみたい」
リーナは横を向き、二十センチほどしか離れていない女の子の顔を見て言った。
「はい……」
女の子は息を呑み、ゴクリと喉が小さく上下した。
「それじゃ」
リーナは壁の外に出ようとする。
「ま、待って……!」
女の子は、誘拐されてから初めて大きな声で叫んだ。
空間の入り口辺りで立ち止まったリーナがふり返る。
「何?」
「……すぐ近くに……いてほしくて」
「どうして?」
「……怖いから」
「音、聞こえちゃうと思うけど」
「こんな薄暗い所で一人ぼっちになるの、嫌……」
「えーっ。いや、うん分かった。壁の向こうに立ってる」
「わ、私が声かけたら、ちゃんと返事してくださいね」
「耳、ふさがなくていいの?」
「……はい……」
体を震わせながら言う女の子を見てリーナは、年上のこの子を可愛らしいと思った。
頼られるのはいい気分になるので、ついニヤついてしまう。
一方、女の子にはリーナのその顔が、優しく微笑んでいるように見えて、年下のこの子がとてもお姉さんっぽく見えた。
壁の向こうに立って、左肩だけわずかに見えているリーナの後ろ姿を見て、女の子は安心して、背を向けてスカートをまくって下着を足首まで下げる。
「君、耳をふさいで! ふさがなかったら殺す!」
というリーナの大声と、
「え、わ、分かった!」
男の子の慌てた声が地下室に響いた。
2へ続きます。




