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第六話:最強の二人③

「旦那様は、お風呂にとてもこだわりを持っていらっしゃいます」

 ユキとマオの前を歩く執事は、こちらを見ながらそう説明した。右腕でマオのコートを預かっている。「昔、遠い国のトウキョウという街へお出かけになった際、あるお風呂と出会ったのです。その時の気持ちを『宝物を見つけた海賊のようだった』と、物語に登場する盗賊集団になぞらえてわたくしたちに一時間も語ってくださいました」

「ということは、お風呂をその海賊にゆえんのある風に改装したということですか?」

 ユキは少し興味深げに尋ねる。

「海賊って何? 海賊のお風呂ってどんなの?」

 マオのいい所は、疑問を持った時に溜めこまずにすぐ誰かに聞くことだ。

 ははは、と執事は笑い声を出した。声だけで表情は変わらない。

「順番にお話しします。まずお風呂のことですが、ユキさんのおっしゃるような海賊風のお風呂にはなっておりません。高級な木材を使用した浴槽と、風呂桶という一時的にお湯を溜めておくものを施設内に備え付けてあります」

「風呂桶……。何回か見たことあるわ。ここからは遠い二つの街だったけど。それらはお互い近くにあった街だったから、はるか昔の文化を共有していてもおかしくないわね」

「お風呂場からは、外へ出られるようになっております。中のものよりは小さいもう一つ石造りの浴槽が設置されていて、天気が良ければ夜の街を眼下に見ることが出来ます。旦那様が訪れた国では、露天風呂と呼ばれていたそうです」

 露天風呂という言葉に、二人の少女は首をかしげた。全く聞き覚えのない単語だ。

「外にお風呂があるの? 風邪引いちゃうかもね」

 マオはケラケラと笑っている。これっぽちも風邪を引くことを心配していなさそうだ。

「いえ、温かいお湯に浸かっている間は全く寒くは感じないと、旦那様はおっしゃっています。また、ただのお湯ではなく、火山の地下深くで熱せられた地下水を使用しているので、しばらくの間は体が温かいままなのです。お湯に特別な成分が含まれているということが判明しました」

 ここまで聞いただけでも、かなり手間暇かかっているようだということが分かった。でも、どういうものなのか、言葉を聞いただけではよく理解できない。それを二人の表情で察したのか、執事はユキたちがしゃべらないことを確認した後でこう付け足した。

「その国には『百聞は一見にしかず』という教えが伝わっているようです。百回聞くよりも一回自分の目で見た方が理解が早い、という意味だとか。ぜひご自身の肌で確かめてみてください」

 執事が立ち止まった。迷路のように続く廊下がようやく途切れた。彼は横へ移動して彼女たちに入口を見せる。

「どうぞ、のれんをくぐって中へお入りください。すでに備品の準備は済んでいます」

 入口には赤い布が三枚ぶらさげてあり、それらにまたがって見たことも無い文字がデカデカと書かれていた。ユキがその布を指さして「これは何て書いてあるのですか?」とつぶやくように聞いた。

「これは“女”という文字です。トウキョウとその周辺のみでしか使われていない『漢字』という言語だそうです」

「何かこれ、人の形っぽく見えるね」

 そう指を指したのはマオだった。「この横棒から上に飛び出てるのが頭で、下は足みたい」クイズをやっと解けたような表情で、彼女はその文字をなぞるように人差し指を動かしている。高くて届かないから空中で模写している。

「ロボットであるわたくしには分かりませんが、きっとマオ様は芸術家の才能があるかもしれませんね」

 執事は目を細めて笑ったような顔をつくった。彼にはこれがせいいっぱいなのだろう。

「私も分かりません。ロボットだからでしょうか」

 ユキはフフッと人間らしい笑顔を見せた。

「わたくしはこれにて失礼いたします。お風呂場の中に呼び出しスイッチがあります。何かありましたらお呼びください」

 再び四十五度に腰を曲げておじぎすると、くるりと方向転換して元来た道を歩いていった。足取りは軽やかだ。

 彼を五秒間ほど見送ると、ユキはマオの肩に手を置いて見下ろした。

「さて、入ろうか」

「さんせー!」

 一番乗りー、とマオは手でのれんを弾いて中に入って行った。ユキは辺りを一度見回してから、揺れている布を手で押さえて浴場に足を踏み入れた。


 ユキは靴を脱いで靴箱に仕舞った。マオはそれを脱ぎ散らかして先にもう一つののれんをくぐって脱衣所へ行ってしまったので、仕方なく自分の分と合わせて二十足は収納できそうな木製の靴箱に入れた。それと同じ色をしたおそらく同じ材木を使った床の感触を確かめながら、マオの後を追うようにのれんをくぐる。

 脱衣所は、木の板で覆われた温かい所だった。見回してみると、部屋のちょうど真ん中にまきストーブが設置されている。パチッと弾ける音がした。天井からは蛍光灯の光が照らしている。

 二人の正面には木製の二段の棚があり、一番上の段はユキの腰くらいの高さにある。そして、それぞれの段に一つずつ網目状のカゴが置かれていた。固い植物を編んだものかと思い触ってみたが、よく似せたプラスチックだった。中には、着替え用と思われる服が入っていた。

 それを広げたユキは首をかしげた。袖が短い。これはまあいいとして、足の下まで裾が長いのはどういうことだろう。紺色にいくつものストライプの線が施されたデザインで、背中にふにゃふにゃとした三本の縦棒が、中途半端に描かれた円から伸びている。生地が薄いから、お風呂で相当体が温まるのではと推測した。何より、ズボンと下着が準備されていないのが気になる。お風呂からあがった後は、このヘンテコな服一枚だけで過ごせということだろうか。すぐ脱げそうな服を着させて、博士は何がしたいのか。

「ちょっと待ってマオ――」

 いったんお風呂に入るのは止めにしようと持ちかけようとした。しかし、当の彼女はすでにセーターもズボンも下着も全部脱いで生まれた時のままの格好をしていた。早くお姉ちゃんが服を脱ぐのを、エサをお預けされている犬のように待っている。

 仕方ない。マオだけは先にお風呂に浸かってもらって、自分は下着と替えの服を取ってこよう。ユキは作業服のファスナーを上げて、呼び出しボタンを探した。マオは、主人の後にひっついて歩く子犬のようについてくる。入口の近くにすぐ見つかった。赤いボタンを押して、スピーカーに話しかける。はい、とさっきの執事の声が返ってきた。ボタンの隣の四角の画面に、彼の姿が写っている。執事はモニター室らしき所にいるようだ。

「すみません。替えの下着と服を忘れていたのでいったん取りに行きます」

 数秒の間が空き執事が、失礼ですがと申し訳なさそうに言った。

「お二人の体のサイズにあった下着は、こちらでご用意させていただいています。後ほどお渡しいたします。替えの服は脱衣カゴの中にある浴衣をお使いください」

「ゆかた? あれはゆかたって名前なんですか?」

 執事の声が、納得したようなはっきりとした風に変わる。

「はい。そちらも、の国で見たものを真似てつくらせた服になります。部屋着のようなものとお考えください。右側の襟を下にして重ね、カゴへ一緒に置かれている紐で結んでください」

「……分かりました。せっかくなので着てみたいと思います」

 聞いたこともない国の文化に初めて触れるように言った。実際その通りなのだが。

「ごゆるりと、お楽しみください。また何かございましたらいつでもどうぞ。すぐお答えいたします」

 ユキは青いボタンを押した。オフと書かれているから押してみると画面が真っ暗になった。誰かが作業服の裾を引っ張っている。

「ねーねー、早く入ろーよー」

 粘っこい声色でマオが上目遣いで見上げていた。商品にしつこくクレームをつけるお客の雰囲気を感じる。

「分かってるわ。ちょっと見慣れない服があったから聞いてみただけ」

 二度と用は無いという風にユキはカゴの所へ戻り、ファスナーを下げて作業服を脱ぎ、半袖と下着を取る。上半身裸のまま、そう言えばシャンプーや石けんはどこにあるのだろうと辺りを探すが、たぶんホテルみたいにお風呂場の中に設置されていると予想し、ズボンとパンツも全部さっさと脱いでしわにならないように折り目で適当に畳み、カゴの中に服を全て入れ、二枚あるうちの小さいほうのタオルを手に持った。

「お姉ちゃん、その服なあに?」

 マオは、ユキのカゴのすき間から覗いている紺色の生地を指さした。

「何って、浴衣のこと? あなたの所にも同じのが入ってるはずよ。大きさは違うだろうけど」

 試しに探してみると確かに、乱雑に積まれたマオの服に埋められた浴衣が見つかった。「ほら、あった。カゴの中に入ってたのに気がつかなかったの?」

「うん」

 さも当然であるかのように胸を張っている。顔も自慢げだ。

「分からないわ……」

 これ以上会話を続けても説教っぽくなりそうだったので、この辺で切り上げてさっさとお風呂に入ることにした。入口を見つけて歩き出すと、左手を繋がれた。マオは、好物の食べ物が出された時のような笑みを見せている。絶対手は離さないと言わんばかりに、ユキの指に自分のそれを絡ませた。

 スライド式のドアを開けると、真夏の亜熱帯の空気が一気に体を包んだ。少しにおう。お風呂の中は一面のジャングル……というわけではもちろん無く、執事が言っていたように木でできた浴槽が正面に構えていた。三メートルほどの正方形だ。入口の横には、赤ちゃんしか入れなさそうな小ささの浴槽がユキの胸の高さほどにあった。湯がめいいっぱい張られている。小さい子どもには手が届かないかもしれない。これは木ではなく、同じくらいの大きさに切られた石を積んでつくられている。枠の上に水を汲めそうな物が置いてある。お湯に浸かる前にこれで体を洗えということかもしれない。自分に二回かけた後で、マオにも肩にそれぞれかけてあげた。

 マオはこちらに背を向けてお風呂場をぐるっと見回していた。この空間は左側にかけて広がっていて、奥にはもう一つ浴槽がある。どちらもお湯は透明で、ラーメンのように湯気が立ち上っている。それらがお風呂場の熱気をつくりだしている。床には灰色のタイルが敷き詰められている。壁は脱衣所側以外は全てガラス張りで、外には少しの空間を挟んで三メートルほどの壁が立っている。

「どれでも好きなお風呂に入りなさい。私はマオの選んだ方でいいから」

「じゃあ、あっちにする!」

 せっかちな性格にしては珍しく、手前ではなく奥のお風呂を選んだ。たまに起こる気まぐれというやつだ。パタパタと音を立てて走っていき、浴槽の前で立ち止まると中をじいっと凝視した。歩いてやって来たユキが、彼女の手を取って滑らないようにしようとした時、マオはそろっと右足をお湯に浸けた。左足も入れたので、熱すぎることは無いようだ。そのまま首元まで沈んだ。

 マオの隣に腰を下ろしたユキは、お湯の感触を確かめるように自分の肩にかけた。普通のお湯とは違う。それはにおいで分かった。彼女の解析では、人体に無害な程度の硫黄であると出た。お風呂のドアを開けた時に香っていると感じたのは、これのせいだったか、とユキは分析した。

「変なにおいがするー」

 マオは鼻声で眉の間にしわをつくった。鼻をつまんでいるのだ。

「これは硫黄よ。火山近くに行くと、たまにこんなにおいがするの。今度一緒に行こうか」

「行かない。レッカーの中で待つからいい」

 ものの数分で上がってしまった。タオルでどこも隠すことなくユキのすぐ後ろで佇んでいる。辺りをキョロキョロと見て、次はどうしようか考えている。

「どこ行くの?」

 マオはさらに奥へ歩いていった。向こうは外しか無いように見える。もしかしてあれが、執事の言っていた外のお風呂だろうか。ドアを開けて奥へ消えた。

 一人にするのは心もとないので、ユキも後をついていくことにした。マオが忘れていったタオルを拾い、別にそれでどこも隠したりはせずに転ばないように足元を見ながら歩き、開けっぱなしのドアを閉めた。

 確かに外にもお風呂はあった。山からそのまま持ってきたような直径一メートルほどの岩だけでできていた。熱い空気を逃がさないためのもう一つのドアを開けると、たちまち無数の細い針が体に刺さるような感触がした。硫黄ではない別のお湯のようだ。お風呂まで続く平たい石をたどると、その奥にマオはいた。こちらを向いて座っている。ユキが来たことに気がつくと、口まで沈み、ブクブクと泡立たせた。お姉ちゃんが隣に座ると、首元まで浮上した。いたずらが見つかった子どものようにニカッと笑う。

「最初は寒いと思ったけど、温かいね」

 マオは肩を寄せてきた。大の大人が十人は余裕で入れそうな所だが、彼女はお姉ちゃんに擦り寄る。

「体を熱くさせる成分が含まれているのよ」

 そう言いながら、おでこの真ん中に垂れたマオの前髪を人差し指で横に分けた。口どころか頭まで潜ったのか、髪がぐっしょりだ。ほっぺたの水滴が一つお湯の中に落ちた。汗なのかお湯なのかは分からない。

「また難しいこと言う……。もっとかんたんに言ってよ」

 いきなり難解な問題を出された。

「体がポカポカになるせ――、ものが入ってるの。分かった?」

「違うでしょー」

 口を尖らせて、お姉ちゃんのひざの間に座った。そして背中を彼女の胸に預けた。マオの背中は、熱いと感じるくらいに温まっていた。

「あたしと一緒だから楽しいんでしょー」

 ケラケラと笑った。彼女の背中まで伸びる黒々とした髪が、ユキの胸からお腹にぺったりと張りつく。マオの髪からお湯のにおいがする。黙って指でこめかみの辺りを一回梳いてあげた。するすると指が滑った。ポチャンと再び水滴が落ちる。なあに、と振り向いた。採れたてのりんごのようにほっぺたを赤くしている。

「何でもないわ」

 ユキの返事を聞いたとたん、マオはクスクス笑い始めた。

「隠しごとはダメだよ。ちゃんと言わなくっちゃ」

「だって、何も言うことが無いんだもの」秘密がばれそうになって慌ててごまかすお子様みたいな表情を、お姉ちゃんはすぐに隠す。

 言いたいことはあったけれど、恥ずかしくて口には出せなかった。別に、今話しておくべきことではない。

 ユキは、マオに気がつかれないようにそっと胸に手を当てた。


4へ続きます。

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