第百二話:誰かがいた【リーナ・ジーン編】
バラック小屋のドアを開けたリーナは、中で中年の男が一人死んでいるのを見た。
ボロボロの木のテーブル、プラスチックのお皿と、食べかけの肉料理。
天井から一つ吊るされた電球が光っていて、その光が男の遺体の影を床に映し、そして舞台に一人たたずむ俳優のように彼のそばに立つ加害者を際立たせるように照らしていた。
「あなたが、殺したの?」
リーナは、感情がまったくこもっていない声で尋ねた。
彼女の目の前には、十歳くらいの少女がいる。
継ぎはぎだらけの薄汚いワンピースを着ていて、同じく汚い靴には穴が所々に開いていて、親指がのぞいていた。
男を殺した少女は、体を震わせながらこくんとうなづいた。
『君の体が震えているのは、寒いのにそんな薄い恰好をしているからかい? それとも、人を殺してしまったからかな?』
ジーンは、中で人が死んでいると気づいた瞬間、すばやくリーナと少女の間に割って入り、相棒の安全を確保していた。
「……どっちも」
少女は、震える唇をどうにか動かし、返答する。
「ジーン、その男の死因は分かる?」
『うーん、毒殺だろうね。口から泡と食べ物を吐いているし、首を掻きむしった跡もある。テーブルの下に、倒れたイスもあるしね。君がつくった食事なの?』
ジーンは、一切少女から視線を離さずしゃべる。
「……うん」
それから十秒ほど沈黙が流れたが、ジーンが口を開く。
『じゃ、そろそろ失礼しようか。こんなボロボロの家じゃ、大して盗めそうなものはなさそうだし。まさか、だれか住んでるって思わなかったし』
「そうだね。あんまり長居してると、この人を殺した犯人扱いされるから」
二人は、開けっ放しのドアにゆっくり下がっていく。
少女がもし何か武器を持っていても対応できるように、背中は一切向けない。
「ま、待って……!」
少女が、息を絶え絶えに少し辛そうな声で呼びとめる。
「何?」
リーナが少し警戒する表情をする。
「わたしが殺したことは、内緒にしてほしい……」
少女の言葉を聞いた二人は、一瞬視線を合わせた。
「そんなことしないよ。あたしたち、他人だもん。誰かにチクってもメリットないし」
『その代り、君たち二人の家に勝手に入ったことは許してほしいな。お父さんと君とで仲良く暮らしている、この家に』
ジーンは、チラッとテーブルの上にのっている写真立てを見た。
死んでいる男と、男を殺した少女が、仲良く写真に収まっている。
「そ、それは……! だってお父さん、『お前は病気で死んだお母さんの代わりだ』って言って、色々イヤなことしてきたし……。もう恥ずかしくてイヤでイヤで……」
二人の前で、初めて少女は声を荒らげ、悔しそうに奥歯をギリッと噛みしめる。
「……まあ、あたしたちには関係ないし。そんなこと話されても、ピンとこないし」
『君はこの家で一人になるのかい? だったらお役所に一言伝えておこうか? 誰が殺したかは言わないからさ。君くらいの年の子を預かってくれる施設が、どこかにあるかもしれない』
二人の話を聞いた少女はうつむいた。
天井の光のせいで、彼女の顔には影ができていて、表情がよく見えない。
そして少女は、テーブルに置いてある料理用のナイフをすばやく手に握り、リーナに向かって突進してきた。
少女には涙の跡が頬まで残っていた。
彼女は歯を力いっぱい食いしばり、死んだ魚のような目でリーナの急所である胸辺りを見て、刃先をそこに定める。
子供らしからぬ、悪魔のような形相をしている少女に対して、
『やれやれ』
ジーンは、右手を拳銃に換装し、二発撃った。
一発はナイフを手から弾き飛ばし、もう一発は彼女の右の靴に命中した。
床を転げまわって、血が出ている右足を押さえながら、少女は泣き叫ぶ。
『行こうか、リーナ』
「え、行くの? 手当くらいしないの? この周りに他に家は建ってないし、助けなんて来ないと思うよ?」
『いいよ、別に。リーナに対して危害を加えようとするやつに、慈悲なんて必要ない』
「たぶんこの子、まともに歩けなくて、そのうち死ぬんじゃない?」
『……じゃあ、街に着いたら、役所に置手紙でもしていこう。そんなにすぐには死なないだろうし』
「そうしようそうしよう!」
あたしたちいい性格してるね、そうだね、と二人は話しながら、家を出てドアを閉めた。
そして家の中からは、かん高い叫び声が、いつまでも聞こえていた。
壁を通して聴くそのくぐもった声は、地獄の亡者のようでもあった。
次話をお楽しみに。




