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第百話:少女は何を拾う⑦

 玄関を入ってすぐ、リビングがあった。

 木のテーブルに、椅子が二つ。

 ローテーブルにソファーがあって、レンガで出来た暖炉を向いていた。

 暖炉とは反対側の壁には、ヘンリーと女性の二人で写った写真が、三十センチほどの大きさの額縁に入れられて飾られていて、その近くには、大きな角の付いた大人の鹿の首のはく製が、壁に取り付けられている。

 キッチンもあって、食器や調理器具はきちんと片付けられていた。


「きれいな家」


 マオがこそっとつぶやいた。


「そうね」


 ユキも小さな声で相づちする。


「まあ、そのソファーにでも掛けてくれ」


 ヘンリーがそう勧めたので、グリーも加えた三人は、お言葉に甘えて腰掛けた。


「ユキさんと言ったな。君は人間か?」


 キッチンでコーヒーを淹れる準備をしようとしたヘンリーが、こちらを見ずに尋ねる。


「いえ、わたしはロボットです。人間なのはマオだけです」

「……そうか。それならコーヒーはインスタントにしよう。二人ならドリップでも、と思ったが」


 彼はユキに対する返事ではなく、独り言のようにつぶやき、ドリップに使う機械を隅にしまい、コーヒーカップを一つだけ用意し、ビンに入ったコーヒーの粉をティースプーンで三杯入れ、ケトルからお湯を注いだ。


「静かだね」


 四人もいるのに沈黙が支配していることに耐え切れず、マオが皆に聞こえる声で言った。

 ヘンリーは、コーヒーの入ったカップを持って、三人と少し離れたところにあるテーブルに置き、椅子に座り、


「静かではない。雨音が地面や屋根に落ちる音がするだろう。風も吹いてきて、建付けの悪い窓ガラスがカタカタと音を鳴らしている。家の中でも、僕がコーヒーを淹れたりカップをコースターに置く音、ユキさんやマオちゃんの衣擦れの音、もしかしたら、ユキさんやグリーさんには、マオちゃんの息遣いも聞こえているかもしれない。まったく静かではないんだよ」


 少し笑みを浮かべながら、ヘンリーは言った。


「さすが小説家ですね」


 ユキが言う。


「……ああ、知っていたか。まったく有名ではないのに、なぜ知っている?」

「実は――」


 ユキが説明しようとすると、グリーがさえぎって、


「私がユキさんとマオちゃんに、先生のお話をお話ししました! 実は私は吟遊詩人みたいなことをやっていまして、各地を旅して色んな民話や逸話を聞いて、それを話して回っているのです。先生の『夢を見せてくれる魔法使い』が特に好きで、お二人もとても気に入ってくださいました」


 とても興奮した声で言った。


「そうだったか。僕のファンがいたのか。それは嬉しいが……。そのお話か……」


 ヘンリーは、一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに沈んだ表情になった。


「何かあったのですか? 実は私は、このお話の続きが知りたくて旅を始めました。続きは読めますか」


 グリーは、ある家の教育ロボットだったこと、主人の一人娘がそのお話をとても好きだったこと、今は病気で亡くなってしまっていることを話した。


「君も辛いことを体験してきたんだな。話してくれてありがとう。せっかくだ、どうして僕が筆を折りかけているか話そう。ユキさんもマオちゃんも、どうか退屈しのぎに聞いてくれ」

「ええ、ぜひお聞きします」


 仕事相手の機嫌を損ねないために、ユキは興味があるように言った。


「妻が病気で死んだ。だから書けなくなった」


 一息でそう言うと、ヘンリーはコーヒーを一口飲む。

 再び家の中に沈黙が流れる。

 さっきまで気にならなくなっていた雨風の音が、四人の耳にこびりつく。

 ヘンリーが、コーヒーを一口飲んでため息をつく。


「それに、そのお話の続きは、男の子が自分の足について葛藤するシーンから始めようと思っていたのだが、妻が死んでから、誰かが傷つくお話を書くのが辛くなった。だから、どう書くか分からなくなって悩んでいる。ただ、その展開以外に思いつかないんだ」


 ヘンリーの言葉を飲みこんで、グリーは言った。


「私は、先生のお話が読みたいです。先生の決断を知りたいです。だから、今私がこうしてほしいなんてことは言いません。先生がお辛い思いをされて、心が痛いです。でも、私はお嬢様の墓前に、その物語の続きをお届けしたいのです。実は、私はユキさんの助手というのはうそです。本当は、このお願いをしたくて、ここまで連れてきていただいたのです。どうか、どうか――」


 グリーは、話している途中から立ち上がり、椅子に座っているヘンリーの前まで来ていた。

 そして、深く頭を下げた。


「この世にはいないお嬢さんに私の物語を伝えたい、というのはとても光栄なことだ。でも私も辛い。今すぐ物語を書くのは難しいし、他人の書いた小説を読むのすら厳しい」


 すると、ユキはおずおずと手を挙げた。


「一つ聞いてもいいですか。あの作業小屋は、何をするための小屋ですか」

「……私は猟師もやっていてね。獲物を解体するための専用の建物がほしくて、建てようと思ったんだ。寝泊まりする家の中で解体すると、臭いがきつくて」

「わたしは、自然が好きです。マオやレッカーと旅をして、色んな自然を見て回るのが好きです。ヘンリーさんが獲ってきた小鹿が、家の裏手の倉庫の中に干してありました。入り口が少し開いていたんです。そこで思うのですが、その小鹿には親がいたのではないですか」

「何?」

「小鹿を殺されて、親鹿はどう思ったでしょう。きっと悲しかったはずです。とても心が痛んだでしょう」

「それがどうした? ユキさんは、かわいそうだから僕に猟師をやめろと言うのか?」

「違います。それはあなたの生活がかかっているから、仕方のないことです。そうではなく、親鹿は何を想い、次にどうしたか、です」

「何をしたか?」

「野生の生き物というのは、強いんです。何があっても、切り替えて生きようともがきます。一方、ヘンリーさんの書いたお話の男の子は、これから辛い思いをするのでしょう? その後、男の子はどうするのですか? わたしも、あなたの決断が知りたいです。男の子と女の子の人生を決めるのは、あなたなんです。マオも、このお話の続きが気になっているようです。わたしからもお願いします」


 ユキは、ソファーに座りながら頭を下げた。

 ヘンリーは、圧倒された表情で、グリーとユキを順番に見た。

 そして、深い深いため息をつく。

 彼はすっかり冷めきったコーヒーを一気に飲み干して、音を立ててカップを置いた。


「ちょっと待っていてくれ」


 低い声でそう言った彼は、立ち上がって、リビングの奥にある書斎兼寝室に向かう。

 ごそごそと音がし、少しして両手で絵本や冊子を抱えて戻ってきた。


「僕の好きな物語だ。好きに読むといい。僕の作品もいくつかあるから、気が向いたら読みなさい」


 そう言い残して、ヘンリーは書斎に閉じこもった。


「ほこりかぶってる」


 ローテーブルに置かれた絵本の山の一番上を、人差し指ですべらせて、マオはそこについたほこりを見る。


「せっかくだから読みましょう。わたしが読み聞かせするわね」

「うん、いいよー」


 二人はソファーにくっついて座り、間で絵本を広げた。


「私も読みます!」


 グリーは二人のいるところまで戻ると、適当なところから絵本を引っこ抜いて、ソファの端に座って読み始めた。

 ユキが読み聞かせする声、マオがそれに反応して驚いたり質問したりする声がリビングに響く。

 それは書斎にまで聞こえてきていて、古くてボロボロになった背もたれの椅子から、ギイっと音を立てて立ち上がり、閉めていたドアを少し開き、ユキとマオが一緒に楽しく読み、グリーが黙々と読みふけっている様子を、ずっと見ていた。



8へ続きます。

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