第六話:最強の二人②
おじいさんの車はリムジンだった。黒塗りの車体が夕焼けに照らされてキラリと光っている。
広い通りを東に向かって走っていく。さすがに大きい道路なので車がたくさん行き交っている。普通車やトラックが混じって走っている。レッカーもその間を縫うように走る。
十分ほど経った後に目の前に見えてきたのは丘だった。小さい山にも見える。そこは住宅街として開発されており、丘の斜面の真ん中を切り裂くように道路が伸びて、その周りに家々が立ち並んでいる。背後からは夕日の光がまだ照っているが、前方の空はとっくに暗くなっている。星もちらほらと見え始めていた。
登り坂を五分ほど進んでいくと、右側の家々が突然途切れ、細い金属の柵が現れた。点き始めた街灯に照らされた黒いそれは、先が槍のように尖っている。
柵の向こうは、散策路になっているようだ。茂みが道をつくっていて等間隔に広葉樹が立っている。そしてその奥には、三階建のお屋敷が見えている。お城のようなデザインで、建物の左右に屋根の尖った矢倉のような建物があった。
「広ーい!」
マオがさっそくはしゃぎだした。この広い庭で走り回りたくてたまらないに違いない。すっかり暗くなっていて街灯が照らされているだけなので敷地の奥までは見えないが、歩いて一周したら一時間くらいかかりそうだ。
「後で時間があったら、この敷地を探検しましょ」
柄にもなくユキがそんなことを言ったのは、ロボットの開発者という人間がどんな庭を持っているのかが気になるからだった。侵入者撃退のために何らかの対策はしているはずだ。
おじいさんのリムジンがスピードを緩めて右に曲がり、門の前に止まった。レッカーは路肩に停車した。ここが入口らしい。すぐに近くの電話ボックスのような建物から人型のロボットが姿を現した。迷彩の服を着ている。薄暗くても、手にライフルを持っているのは分かった。ここは検門を兼ねているらしい。リムジンの後ろのウインドーが開いてスーツの腕だけ出てきた。持っているのはおそらく身分証明書だろう。それをロボットに見せている。ちょっとの間だけ顔も出し、こちらを指さした。ロボットが納得したようにうなずいている。そのロボットは博士の車をCTスキャンするかのように一周見て回った。そして金属の門が開かれた。腕が引っ込むと、再び走り出して門の向こうに入っていった。
ユキはその門が開いているうちに中に入ってしまおうとアクセルを踏んだ。ハンドルを切って門の前まで来たが、すぐに門は閉められた。警備は厳重だ。つい舌打ちをしそうになる。マオの目の前だからそれは自重した。
おじいさんを見送った検門ロボットが、今度はユキたちに近づいてきた。一流の兵士のようにまるでスキが無い。真後ろから音も無く敵が忍びよって来てもすぐ標的にライフルを構えることができそうだ。敬礼すると、レッカーのドアを軽く二回叩いた。ウインドーを開けろということらしい。すぐに全開にした。
「お話は旦那様から聞きました。お客様ですね。ようこそいらっしゃいました。すぐに門を開けますので、少々お待ち下さい」
そう言ってロボットは一歩下がると、門がゆっくりと開き始めた。
「どうも」
ユキは軽く頭を下げた。アクセルを踏んで少しずつ門へ近付いていき、完全に開ききるのを待つ。
「バイバーイ!」
マオは笑顔で手を振った。ユキにもマオにもロボットは無反応だ。サイドミラーを見ると、中へレッカーが入りきったのを確認したのか、そのロボットは電話ボックスみたいな監視所に戻っていった。感情が無く、最低限の人工知能しか搭載していないようだ。
屋敷の玄関辺りに着くまで一分半かかった。屋敷の前はロータリーになっていて、真ん中には十メートルはありそうな木が立っている。その根元にはわずかばかりの芝生が敷き詰められている。リムジンが止まったのを確認すると、ユキもブレーキをかけた。おじいさんが後部座席から出てきたのを見てから、自分たちも外へ出る。彼が「お疲れ様。遠かったろう」とねぎらいの言葉をかけてきた。
「いえ、冒険みたいで楽しかったです。少なくともマオは喜んでいます」
ね、とマオを見下ろすと、楽しかったー、と手を万歳させた。喜びを体で表現しているのだ。
「それは良かった。じゃあ、入ってくれ。ようこそ、いらっしゃい」
リムジンが徐行しながら奥へ走っていく。車庫に入っていくのだろう。屋敷の隣にガレージらしき建物がある。レッカーも勝手についていく。
「車はどこに置いておいたらいいですか?」
「ああ、気にすること無いよ。警備ロボットが運転して地下車庫に入れておくから」
「ありがとうございます。レッカー、分かったー?」
走っていこうとするレッカーが急ブレーキをかけて停止し、ハザードランプをチカチカさせた。「不満はあるけど君が言うなら仕方ないな」と伝えている。
「そうそう。おとなしくしてね」
ユキがレッカーから視線をそらすと、おじいさんがレッカーの後姿を物珍しげに眺めていた。
「びっくりしたよ。まさか車が意思を持っているなんて。その発想は無かったなぁ」
博士がぶつぶつとひとり言を言いながら玄関のドアを開けた。車に人工知能を持たせることの意義を考えているのだ。
玄関の外にはメイドか執事が立っていて主人の帰宅を待っているものとユキは思っていたが、おじいさんは自分で重そうなドアを開けた。
「ずいぶん重そうなドアですね」
ユキはさりげなく尋ねた。
「このドアには防弾機能が付いているんだ。これは……、あ、いや、用心のためさ、用心……」
言葉を濁らせて、先に少女二人を中へ招き入れた。これが紳士のたしなみというやつか、とユキは少し納得した。
「ようこそいらっしゃいました。ユキ様、マオ様。本日はエドモンド・カーリー邸へお越しいただきありがとうございます。わたくしはここの執事ロボットでございます。お二人のお名前は、先ほど電話にて旦那様からお聞きいたしました。お二人の世話役を申しつけられております。何なりと申しつけください」
執事はドアを開けてすぐの大広間にいた。ユキたちから二メートルほど離れて立つそのロボットは、身長が一メートル八十センチほど。顔は機械そのものだが、アクセサリーのようにちょび髭が付けられている。
「こんばんは」
ユキが軽く会釈したので、執事も「こんばんは」とおじぎした。彼は四十五度ピッタリに腰を曲げている。
「ほら、あいさつして」
右横に立つマオにそう言った。吹き抜けになっている天井、赤いじゅうたん、壁に掛けられた金色の額縁に入れられた絵画、天井からぶら下がっているこれもまた金ぴかのシャンデリアなどを、何かを探すように見ていて落ち着きがない。お姉ちゃんの声に、ハッと気がついたような顔をし、執事を見上げた。
「こんにちは」
西側の窓を見た。分厚く見えるガラスを通して、オレンジ色の光が入って来ている。マオはそれを見てから言った。まだまだ遊び足りないとエネルギーを溜めているような表情だ。
すると、エドモンドさんがユキたちの前に立って笑った。
「お二人のあいさつがそれぞれ違うんだなぁ。これは傑作だ」
「確かに、マオのあいさつはおかしいですね。もう四時半です。この季節なら夜と言った方が正しいでしょうに」
ユキは冷静に分析して博士と執事に語った。しかし、博士は首を横に振った。
「マオちゃんは何も間違ったことは言ってないよ。この子にとって四時半というのはまだお昼なのだ。外で遊んでもいいと考えている時間だ。ユキさんにとってはそうではないのかもしれないがね」
「……そうなの?」
秘密を聞くようにマオに尋ねた。「うん」と即答された。出会ったばかりのおじいさんに心を見透かされて動揺している風に見える。
「どうやらそうみたいですね。勉強になりました」
ユキは照れ笑いして頭を掻いた。
「それは僕もだ。この年になっても子どもから驚かされたのだから」
二人で静かに笑った。それが落ち着いたのを見計らって、執事が主人に耳打ちをした。
「旦那様、お風呂のご用意は出来ております」
「そうか。分かった」
一呼吸置き、博士は少女二人にこう進言した。
「お嬢さんたち、これからお風呂に入ったらどうだい? 見た所、少し泥を被っているようだ。食事の時にその姿ではせっかくの美しさがもったいない」
「えっ、それは……」
ユキは、本来ホテルにチェックインしたらすぐシャワーを浴びる予定だった。だが、彼にこうして招待してもらった。それに、食事を出してくれると言っていた。この体のままでは、せっかくの料理の見栄えを損なうかもしれない。自分は食べないけれど。そういう配慮は一応できる。
「マオ、お風呂だって。どうする?」
自分の中で答えはほとんど決まっていたが、確認のため聞いてみた。
「入る、入るー!」
すると、マオは一人で走っていってしまった。まずいとユキは感じ、すぐさま止めた。「どこに行くのよ? 場所分からないでしょ」
「走って行ったらあるんじゃないかと思って」手をつかまれて止められたことが不満なのか、口を尖らせている。
「どうやらマオちゃんは早くお風呂に入りたいようだ。すぐお二人を案内してくれ。僕は夕食までやることがあるから、それまで頼む」
「かしこまりました。どうぞこちらへ。着替えはわたくしたちでご用意いたします」
軽く会釈してついてくるように言うと、執事はマオが走っていった方と反対に歩き始めた。ユキはマオが勝手に離れて行かないように手をしっかり握り、繋がれている当人はほっぺたを膨らましてふてくされてしまった。
3へ続きます。




