第百話:少女は何を拾う①
かつて砲撃を受けて破壊された高いビルの下を、一体のロボットが歩いている。
二足歩行だが、人間の姿は模しておらず、機械の外装が身を包んでいる。
ロボットはそこで立ち止まると、高いビルを大きく見上げた。
上層階の窓の辺りに、ボロボロになった体長三十センチほどのクマのぬいぐるみが引っかかっていて、体からはみ出ている綿が風に吹かれて揺れている。
ロボットは、悲しいという感情を抱いたが、表情は豊かではないため、眉の形を少し変えただけだ。
「きっとあの部屋には、とても愛されていた子どもが住んでいたに違いない」
壮年の男性の声でそう言ったロボットは、自分の胸の辺りをまさぐると、カバーを下から上に開けた。
そこには電子ピアノが内蔵されている。
彼は鍵盤に手を添えると、鎮魂歌を静かに弾き始めた。
曲はその街に響く。
機械による数十年前に起きた侵攻によって滅ぼされて、廃ビルとがれきの山ばかりになった、たくさんの人が亡くなった街に。
かつて公園だった場所に、高さ十メートルほどの木が一本生えている。
それは広葉樹で、寒い季節になると葉を落とし、微生物や虫によって土がつくられ、木を中心に雑草や小さな花がたくさん咲いていた。
その一角にしゃがみ、ロボットは雑草の根元を右手でかきわけた。
年月をかけて植物がアスファルトを割り、その奥に存在し続けていた土に、どこからか種が飛んできて自生し、圧倒的な繁殖力によってその数を増やしている。
「自然が……元の形を取り戻そうとしているのかもしれない」
木を中心としたそのエリアは、小さな林のようで、その範囲は少しずつ拡大していた。
ロボットは、また電子ピアノを弾いた。
それは穏やかな気持ちになる音楽で、効果音で川のせせらぎや小鳥の音が流されている。
はるか昔、ここは森だったのだが、それが人間によって開発され、人間が滅ぼされ、そして森へと戻っていく光景を、ロボットはしっかりと人工知能に記録したのだった。
「これはすごい……」
ロボットは、高台からそれを眺めた。
かつて、それは高速道路が通る巨大な橋だった。
この街のあちこちから入れるようになっていて、街の中心を通過し、隣の街へと行けるようになっていた。
現在、その橋は崩落していて、かつての道を示すように、点々と柱とその上の道路が残されているだけだ。
「砲撃で壊された跡は見当たらない……。柱に巻き付いているのは植物だろうか。あれが橋を壊したのか……?」
戦時中、橋は敵のロボットが侵攻するのにも使われていたため、あえてその周囲は攻撃されていなかった。
だから、橋の近くに建つビルにも、爆弾やミサイルの跡はあまりない。
しかし、植物はそれらを長い年月をかけて浸食し、橋すらも壊してしまっていた。
「湖……」
崩落した橋が、その真下にあった地下街を突き破り、くぼみとなった場所に雨水や地下水が溜まって、小さな湖ができている。
よく観察すると、湖の周囲にはコケがびっしりと生えていた。
「人間の営みがあった証は、一体何年先まで残るだろう。人間一人一人に、いくつもの物語があったはずなのに、それも失われるのか……」
ロボットは寂しい気持ちになる音楽を弾く。
彼は、物語を話す者。
悲しいお話、楽しいお話、色んなお話を旅先で人間やロボットから聞いて、それを別の地に住む者たちに伝える仕事をしていた。
大きながれきの塊を避けつつ、小さな破片や砂利を踏み潰しながら、彼は誰もいなくなった街を通り過ぎた。
何度も休みながら、十キロほど歩き、やがて小さな村に着いた。
木の板をいくつも組み合わせてつくられた家が、広い広い麦畑の周辺に点在している、とても人口の少ない村だった。
金色の穂がじゅうたんのように地面を埋め尽くしていて、農業用の無人機械が麦を刈り取っている。
ロボットの見る限り、畑の周辺にいるのは、五十代ほどの男性一人だけだ。
タブレットを持ち、複数の農業用機械を操作している男性に、ロボットは声をかけた。
「私は物語を話します。よろしければ、お聞きになりませんか」
突然現れた見慣れないロボットに、男性は少し怪しむ顔をした。
「物語? 悪いが俺は仕事で忙しいんだ。……あー、子どもたちなら聞いてくれるかもな。今、山の麓にある河原で遊んでるはずだから、行ってみるといい」
男性はその方角を指さして助言すると、タブレットに視線を戻した。
「分かりました。ありがとうございます」
男性の言う通りに、二キロほど先にある河原に行くと、十歳前後の子どもが五人、川に向かって石を投げて遊んでいて、三十代ほどの女性二人が、彼らを見守るように、少し後ろで立っている。
「私は物語を話します。よろしければ、お聞きになりませんか」
藪の中から現れたロボットに、大人も子どももギョッとした顔をしたが、ロボットの優しい声と口調を聞いて、少し警戒を緩めた。
「物語? どんなの?」
一人の男の子が近づいてきて尋ねる。
「子どもでも楽しめる童話です。私は、物語をお話しすることで生計を立てています。終わった後、何でもいいので頂けると幸いです」
ロボットの言葉に、
「分かったわ。村に戻って、日持ちするパンをあげる。あなたは食べないだろうけど、それを他の町で売ったらいいんじゃない?」
大人の女性が明るい声で言った。
「感謝します。どこでお話ししましょうか」
「ここでいいんじゃない?」
「かしこまりました。それでは始めます。どうかリラックスしてお聞きください」
子どもたちは、丸イスほどの面積のある石に腰かけ、大人は子どもたちの後ろに立つ。
ロボットは胸のカバーを開けて電子ピアノを見せ、ポロンと穏やかな音楽を弾き始めた。
「これは、ある魔法使いの女の子のお話です――」
2へ続きます。




