第九十六話:さよなら、我が島よ⑨
「ここは……」
ラフは目を覚ました。
ふかふかのベッドの上だった。
天井からつるされたシャンデリアが、ツインベッドの真っ白いシーツを煌々と照らしている。
上半身だけ起こすと、寝ぼけた頭で彼女はぐるりと部屋の中を見渡した。
とても広い部屋だ。大きな衣装ダンス、大きな鏡のついた化粧台、そして壁の一面を占める本棚とそこに並べられたたくさんの本。
「あのアトリエより広いんじゃない……?」
港町のアトリエを思い出しながら彼女はつぶやいた。
窓は一切なく、明かりは天井のシャンデリアだけだ。
どこにもホコリやゴミは落ちていなく、つい最近まで掃除されているかのように綺麗な部屋だ。
室温も二十度くらいでちょうど過ごしやすい。
一言でいえば、どこかのお嬢様の部屋だ。
「……ん」
すぐ隣に寝ていたマオが目を覚ました。
マオの声に気づいてラフは、
「マオちゃん……? 大丈夫? ケガは?」
なぜ隣に寝ていたのか分からないまま、マオの体を頭のてっぺんから足の先まで観察したが、どこにも外傷は見当たらない。
「ないよ。あのね、あたしたち、ロボットにここまで連れてこられて閉じ込められたんだけど、お姉さん気絶してたみたいで、ここに寝かされたの。でね、あたしお姉さんが起きるの待ってたんだけど、全然起きないから、隣で寝ることにしたの。そしたらあたしも寝ちゃった」
ククッとマオは喉の奥を鳴らして笑った。
気絶。その言葉を聞いて、ラフは思い出した。
「そうだ。私、洞窟の中をロボットに運ばれている時、体勢が変わって頭に血が上ってきて、何か目まいがしてきて、それで……」
そのことに気づいたとたん、軽い頭痛がしてきた。
「大丈夫?」
マオがベッドの上で四つん這いになって、心配そうに上目づかいで顔をのぞき込んできた。
ラフがひどく顔色が悪く、額にびっしりと汗をかいているからだ。
「だ、大丈夫……じゃないかも」
ラフは仰向けで再びベッドに横になり、深く息を吐いた。
ふかふかの枕に頭を預けて天井を見上げる。
真っ白な壁紙にはシミや汚れは一つもない。
部屋の中心にあるシャンデリアを中心に、天井に光のグラデーションができている。
ただ、視界の物がグルグル回って見える目まいがしてきた今のラフには、その美しさを味わう余裕はない。
「えっ、どうしたの? 寝てれば直る?」
ラフの顔にマオは、自分の顔を近づける。
目をつぶったラフには、どれくらい近づいているのか正確には分かっていないが、時々マオの鼻息が自分の頬に当たっているから、キスできる距離なのかもしれないと感じた。
「……かもしれない。あ、水飲みたいかも……」
か細い声でラフは言った。
「水! 水道! ペットボトル!」
マオはベッドを飛び出し、部屋中を探し回った。衣装ダンスや化粧台の引き出しをすべて引いて中をのぞきこんでいる。
「そ……」
何とか目を開けたラフは、そんなところにはないと思うよ、と伝えたかったが、体中がだるくて声が出てこない。
やがて、部屋のどこにも水がないことに気がついたマオは、入り口のドアの前まで行き、
「開けて! 水が欲しいの! 水!」
背伸びをして、鍵のかかったドアノブをガチャガチャと壊れそうなくらい回し、ドンドンとドアを両手の拳で叩く。
少しして鍵が外され、ギイっとかん高い音を立ててドアが開き、外の廊下からロボットが現れた。
ロボットの見た目はさっきマオたちを連れてきた奴らと同じ形式だが、執事が着るような黒いスーツを身に着けている。
どう見ても人に見えないロボットがスーツを着ているアンバランスさに、マオは口をぽかーんと開ける。
『水ですね。今お持ちしますから少しお待ちください』
そう言って、ロボットはゆっくりとドアを閉め、再び鍵をかけた。
数分後、鍵とドアが再び開き、四角いトレイの上に、取っ手と注ぎ口のついたガラス製の大きな水入れが一つとガラスのコップを二つ載せて、ロボットが入ってきた。
執事ロボットは、ベッドの近くにある小さく丸いテーブルの上にそれらを置き、コップに水を半分ほど注いで、二人に差し出した。
ベッドに腰かけていたマオは、目をパチクリさせながらそれを受け取り、クンクンと中身の臭いをかぐ。特に変な臭いはしない。
一方、差し出されたコップに気づいて、あわてて体を起こしたラフは、手を伸ばして受け取り、中にゴミなどが浮かんでいないか確認して、一口飲んだ。
「どう?」
マオが眉の間にしわを寄せながらラフの顔を見る。
「おいしい水」
ラフは冷静に答えた。
それを見て少し警戒心を解いたマオは、コクっと小さい音を喉から鳴らして一口飲んだ。
「飲める水だ」
マオは、怪しい者を見る目で執事を見た。
『王女様方、何かしてほしいことはございますでしょうか。なんなりとお申し付けください』
執事の言葉を聞いてラフは、「王女様?」と小さくつぶやいて首をかしげる。
「ねえ、何でもしてくれるの?」
マオが質問する。
『はい。なんなりと』
「じゃあ、ここから出して」
『申し訳ございません。リィ王女様のご要望でもそれはできません。今、外には敵がたくさんいて危険なのです。どうか、ミレーヌ王女様のこの部屋でご辛抱ください』
おじぎする執事を見て、ラフは口を開く。
「あなた、今王女様って言った? それって誰の事?」
『あなた方の事でございます。ミレーヌ王女様、リィ王女様』
執事は順番に手で、ラフとマオを示した。
「私がミレーヌ王女? マオちゃんがリィ王女? どういうこと?」
『体調がすぐれず記憶が混濁しているのでしょうか。お二人はこの国の王女様です。長い間お姿が見えず、私共は大変心配しておりましたが、この度ご帰還されてうれしく思います。再びお仕え出来て光栄です』
表情のつくれない執事は、声だけでその感情を表現した。
マオは意味分からないという顔をしている。
ラフも、全身の血の気が引いている中、何とか考えるが、お酒を飲んだ後のように頭が回らず、口をパクパクさせるだけで何も言葉を出せない。
『それでは、体調が回復するまでごゆっくりお休みください。部屋の近くで待機しておりますので、ご用があれば申し出ください』
執事は一礼して、部屋を出ていった。
ギャーギャーと騒がしかった森が急にシーンとなるように、部屋の中に静寂が流れる。
マオとラフは、ベッドに腰かけながらお互いの顔を見つめていたが、沈黙を破ったのはマオだった。
「あのロボット、何言ってたか分かんない」
「私も分からなかったよ……」
ラフはコップに残った水を一気飲みすると、立ち上がってそれを丸テーブルに置き、またベッドに座り、ハアッとため息をつく。
「お姉さん、ここはどこなの?」
「洞窟の中にあるお部屋かな……? それにしては立派で手が込んでるけど」
「お姉ちゃんが言ってた『王国』ってやつ?」
「王国……」
そういえば、あの研究者二人が王国のことで何か大事なことを言っていた気がする。
ラフは何とか思い出そうとする。
だが、あの時は王国の歴史に興味がなかった状態だったから、右から左に話がだいたい抜けていた。
何か頭の中に残っている言葉はないか、とラフは目を閉じてウンウンとうなりだす。
もしかしたら端末に書き残してる物があるかも。
そう思ったラフは端末を取り出すが、ふと思う。
「これ、今使えるかな」
彼女は端末を操作し始めた。
10へ続きます。




