第九十六話:さよなら、我が島よ④
フェリーが停泊したのは、島の南側に整備された港だった。
「この港は王国時代からあったのを、私の親せきが整備しなおしたものでね。島のほとんどは切り立った断崖絶壁だから、島に入るにはここしかないんだ」
フェリーと島をつなぐ橋を渡るレッカーの車内で、ラフが解説する。
ユキは周囲を観察した。
橋を渡りきると、コンクリートで整地された広場があった。
広さはレッカーが二十台ほど停められそうなほどで、広場の隅には木製の小さな事務所が建っている。
事務所の前には、底にたくさんのタイヤが付いたポリバケツのような形をした警備ロボットが三台いて、レッカーが島に立ち入った瞬間、ものすごい速さで三台とも近づいてきた。
『生体認証を行います。関係者は顔をお見せください』
三台はレッカーの運転席側・正面・助手席側に立って行く手をさえぎり、運転席側の一台がポリバケツの胴体に付いたたくさんのカメラを運転者に向けている。
「ユキさん、ちょっと失礼」
ラフは座席の上を四つん這いで進み、運転席に座るユキの太ももに両手を置いて支えにし、上半身をぐいーっと伸ばして、レッカーが開けたウインドーからロボットに顔を見せた。
ロボットは無数のカメラで、ラフの顔の凹凸を三次元的に分析し、島の関係者として登録されている顔として認識した。
『ラフ様、島へお入りください』
ロボットはそう言い、事務所の方へ戻った。他の二台も同時に戻っていく。
ラフは顔を引っ込めて、ユキとマオの間の席に戻ると、
「セキュリティ高いでしょ?」
と誇らしげに言った。
「あのロボットたちの装備は?」
ユキが冷静に尋ねる。
「何だったかなぁ。機関銃は搭載されてるって聞いたけど、後は知らないなぁ。島の入り口を守るための最低限の装備はあるって言ってた」
ラフは思い出しながら答えた。
〈それで、これからどこに向かえばいいのか聞いてくれないか〉
レッカーがユキに言う。
「ラフさん、早速荷物の搬入作業をしたいのですかいいですか。家に案内してください」
「うん、そうだね。今なんとなく、島を探検したい気分になってたけど、まず仕事を終わらせなくちゃね。ようし、案内するからその通りに進んで。道は知ってるから」
レッカーは、ラフの指示通りにゆっくりと走り出した。
海岸の広場のその先には広大な森が広がっている。
レッカーは、森の中に伸びた一本道をゆっくりと進む。
道はまったく整備されていなく、車が何回か通って草が踏み潰されてできた轍がわずかに確認できる。
獣道のような道を進むと、ガサガサと雑草や木の枝がレッカーの車体で押しのけられていく。
ユキは運転席の窓から空を見上げる。
大陸から南側に位置するこの島は、トゲトゲの葉っぱが特徴のシダ類が多く自生していて、森の中にいると空を視界の半分ほど覆いつくすくらい上に伸びていた。
そうして十分ほど進むと、急に森が開けて広い草原が現れ、その隅に小屋のような小さな家が建っていた。
「定住する家にしては小さいでしょ? 昔、この島を管理する時、親せきの人が一晩くらい泊まれるように建てたものだからね。あ、でも結構頑丈で、ハリケーンが来ても一度も壊れたことないんだ。まあ、周りにある森が雨風から守ってくれてるのもあるけど」
わが家が見えて気分の高まったラフが解説する。
レッカーが家の玄関の前に横づけし、プシューと音を立てて停車した。
〈あー、疲れた。少し休んでいいか〉
レッカーがだるそうな声で言う。
ユキは運転席から降りて荷台に昇り、
「その前にクレーンで荷物を降ろしてもらえると嬉しいのだけど」
苦笑しながら言った。
〈ああ、分かった〉
ユキはクレーンのフックに荷物にくくりつけられたロープの輪っかを引っかけ、それから地面に降ろしてもらうという作業を繰り返した。そして荷物をてきぱきと家の中に搬入していく。
「マオちゃん、新しい家の中を見せてあげる」
「うん」
ラフはマオを連れて、家の中に入った。
中は壁で一切区切られておらず、大きな一つの部屋しかない。
入ってすぐのところにリビングがあり、木製の大きい丸テーブルと四つの丸イスが置かれていて、家の真ん中には薪ストーブが鎮座している。
台所はあるがトイレやお風呂はない。家の一番奥にベッドと小さな丸テーブルが一つずつ置かれている。縦長の衣装棚と大きなタンスも一つずつ。
床はすべて板張りだが、ベッドの周りだけ赤いじゅうたんが敷かれていて、スリッパが一組綺麗にじゅうたんの隅に置かれている。
ユキは、台所とは反対側の、何も設置されていない場所に荷物を搬入している。
「テレビがない」
マオがぼそっとつぶやく。
「テレビはね、実はここにあるんだ」
ユキが置いている荷物の上あたりの壁をまさぐり、ラフは壁を左右にそれぞれスライドさせた。
「テレビだ」
マオは目を丸くする。
「普段は見ないから、壁の中にしまってあるの。一応映るんだ」
スイッチを押すと、衛星放送が流れ始めた。
「おー!」
大自然の中にポツンと建つ一軒家の中で、マオがたまに泊まる都会のホテルで見るテレビと似たような番組が流れていることが面白くなり、感心してテレビに釘付けになった。
その間ラフは、搬入された荷物から画材道具を取り出し、大きな丸テーブルに並べ始めた。
そして五分後、
「荷物を運び終えました」
ユキが、エプロン姿に着替え終わったラフに声をかけた。
「うん、ありがとう。それじゃ私はでかけるから」
「絵を描きに行くんですか?」
「そう。筆を握ってなくて、さっきからうずうずしてたんだ」
ムフフ、と含み笑いをし、ラフは画材道具を持って外へ飛び出していった。
バタン、と玄関のドアが勢いよく閉まる音がして、マオはテレビから視線を離してそちらを見た。
「あの人、どこか行ったの?」
「ええ、絵を描きに行ったみたいね」
「一緒に行きたい」
「……ラフさんの邪魔にならなければね」
二人で外に出ると、ラフはレッカーの正面に立っていた。
「お、ユキさんマオちゃん見て見て。無機質な車体のレッカーとこの大自然との組み合わせが、すごくギャップがあって面白いと思わない? 描いてみていいかな」
ユキがレッカーに確認すると、
「好きにしていいそうです」
「やった! ようし、描くぞー」
ラフはニタニタと笑いながら、首からかけたボードに固定している紙の上に、鉛筆で下書きを描き始めた。
その姿を二人は少しの間見ていたが、
〈人間が二人近づいてくるぞ〉
緊迫した声でレッカーが警告した。
それを聞いたユキは、マオをレッカーの車体の陰に隠し、ラフの手を引っ張ってマオの隣まで連れてきて座らせる。
「えっ、何何?」
急に絵描きを中断されて、ラフは戸惑っている。
「人間が近づいてきています」
ユキが言った。
「ああ、そうなの? ……ああ本当だ。でも警備ロボットが道を通したなら、安全な人たちだよ」
うっすら笑顔を浮かべながらラフは言った。
「……なるほど、そうかもしれませんね。でも用心するに越したことはありません」
「大げさだよ。それにほら、あの二人の格好、たぶん大学教授だ」
人の目でもしっかり確認できるくらい近づいてきた二人の姿を、レッカーの陰からちらっと見てラフは言う。
ユキもレッカーの陰から観察する。
探検家のような作業着を着ている二人の男で、一人は六十代くらいでもう一人は四十代くらい。
すると四十代の男が少し大きい声で言った。
「怪しい者じゃないですよー! 僕は〇×大学の研究者です!」
そして男たちはレッカーのすぐ近くまで来て、六十代の男も言う。
「この島の学術的価値についてお話をしにやってまいりました」
5へ続きます。




