第九十五話:月明かりとカラス
とある森の中で、ユキたちが車中泊しようとしていた時のお話。
日が落ちる少し前、今夜の拠点近くを散歩していた時、ユキが立ち止まって空を見上げた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
ユキが急に立ち止まったため、手をつないでいたマオが、前方につんのめって倒れそうになった。
「カラスかしら」
ユキはつないでいない方の手で、西の空を指さす。
夕焼けの光を体に受けたたくさんのカラスが、空を埋め尽くしながらこちらに飛んできている。
「うわぁ、すごいね。ねぇ、こっちに来てない? すごいすごい!」
するとユキは、回れ右をしてマオを連れてレッカーの方へ小走りし、車内へ避難した。
〈どうしたんだ?〉
とレッカーが尋ねる。
「フンを落とされたら困るから」
〈なるほどな。それにしてもすごい数だ。この森がねぐらなのかもしれないな〉
「そうね。広大な森だし」
遠くを飛んでいたカラスは、あっという間にレッカーの上空に着き、旋回する者や木々にとまる者でいっぱいになった。
そしてダミ声の鳴き声が、まるでオーケストラのように全方向から聞こえてきた。
「うるさーい!」
マオが耳をふさいで叫ぶが、あまり見慣れない光景が面白く、興奮してはしゃいでいる。
〈ユキ、どうする? 移動するか? ここじゃカラスの声がうるさくて、マオが休めないんじゃないか?〉
「そういっても、この辺りは五十キロ先まで森だし……。真っ暗な森の中を走り続けるのは色々危険だと思うわ」
〈うーむ……。仕方ないか〉
「本当は外でたき火を起こして料理を作る予定だったけど、今夜は携帯食でがまんしてもらいましょう」
そうして、ユキはマオに事情を説明し、一口サイズのチョコレート味のブロック状の栄養食を食べてもらった。
この場所に到着してから一時間以上たち、空はすっかり星空で、満月が昇っている。
月明かりが木々の頂上付近を照らしていて、夜露にぬれたそれらがキラキラと光っている。
ただ、木々が光をさえぎり、地上にまでは届いていない。
カラスたちはほとんど鳴かなくなったが、たくさんの目がギラギラと、車内の明かりで光るレッカーを見ていた。
食事も終わってあとは寝る時間を待つだけとなった二人と一台は、空に広がるキラキラを静かに見ていた。
風は穏やかで、わずかに木々が擦れあう音がするだけだ。
「お姉ちゃん、カラス鳴かなくなったね」
マオがウインドー越しに辺りをキョロキョロと見回す。
マオたちからは、カラスの姿は暗闇で隠されていて、全く見えない。
木々の輪郭をした黒い塊が、全方向に広がっているだけだ。
「そうね。もうカラスも寝る時間なのかもね」
「じゃあ、あたしも寝るー」
マオがそう言って、座席の上にあおむけで寝転んだ。
そして、ユキが車内の明かりを消した時、
〈前方から車が疾走してくるぞ〉
レッカーが言った。
ヘッドライトを点けた、山道も余裕で走れるような普通自動車が、けたたましいエンジン音を響かせ、森の中に突っ込んできた。
「銃声!?」
ユキが頭を低くし、とっさにマオをかばう姿勢をとる。
何かが弾けるような、パンパンパンという音も聞こえる。
車は、レッカーの十メートルほど前で、土ぼこりをあげてドリフトをしながら停車し、運転席から人が一人出てきた。
すると、眠り始めていたカラスたちが、ギャアギャアと怒るような鳴き声をあげて、一斉に飛び立った。
「カラスの声うるさーい!」
マオが寝転びながら、自分の耳をふさいで叫んだ。
〈運転席から出てきた男、写真撮ってるな〉
レッカーが冷静に言った。
皆の前方には、大きな満月が昇っている。
カラスたちはその方向に向かって飛んでいて、体にその光を浴びて黒光りしている。
翼を動かすたびに光沢が変わり、その無数にある眼も、月明かりでギラギラしていた。
そんなカラスたちの後ろ姿を、四十代くらいの男が端末に付いているカメラ機能で撮影している。
一分ほどそうしていて、やがて男は満足した表情を浮かべ、端末を懐にしまうと、車に乗り込んでカラスを追うように、再び疾走していった。
数分後、再び静かになった森の中。
周りに黒い塊しかない、明かりが消えたままの車内で、
「あー、うるさかった」
すっかり眠気がなくなったマオが体を起こして、ため息をついた。
〈なんだったんだ、あの男は〉
「月明かりの空を無数に飛ぶカラスを撮りたかったのかも」
〈迷惑な話だ〉
マオが、ねえねえとお姉ちゃんに言った。
「カラスより人の方がとってもうるさいね」
むすっとした顔で言ったマオに、
「そうね」
ユキは、車が消えていった方角を、しばらくの間まっすぐ見ていた。
次話をお楽しみに。




