第九十三話:物言わぬ友達
どこまでも続く草原地帯の中に、半径五十メートルほどの範囲だけ草が生えていなく土がむき出しの場所を見つけたユキは、今晩はここでキャンプをすることにした。
気温は十度くらいでそよ風が吹き、雲一つない空には星がたくさん散りばめられている。
そんな星空の下で、ユキはたき火をして、金属の器具に吊るされた小さい鍋の中身を温める。
「シチューだよね! グツグツって音がしてる。いいにおいもするよ!」
地面に敷いたブルーシートの上に座っていたマオが、厚い生地のジャンパーの衣擦れの音を立てながら、においにつられて四つん這いでたき火に近づいていっているのを、
「火傷するからちゃんとブルーシートに座ってなさい」
ユキが慌てて首根っこをつかんで引き戻した。
〈まあ、こんな寒い中食べるシチューは旨いだろうから、待ちきれないのは分かる。食事はできないが〉
マオの気持ちを察して、二人の背後でエンジンを切って休んでいるレッカーが言った。
「そうね。人間はこんな時おいしいって感じるでしょうね。わたしも食事はできないけれど」
ユキはボソッとつぶやく。
あと一分ほどでシチューが出来上がろうという時、地平線の向こうから地面の近くに一つの明かりが灯り、ブルンというエンジン音が小さく聞こえてきた。
それに最初に気づいたのはユキで、
「誰かしら」
自分たちの正面からこちらにまっすぐ近づいてくるその乗り物に、彼女は立ち上がっていつでも懐のレーザー銃を取り出せるように身構える。
レッカーも、いつでも動けるようにエンジンをかけた。
辺りには、乗り物のエンジン音とシチューの煮え立つ音だけがしていた。
その乗り物は大型バイクで、それは二人と一台から十メートルほど離れた場所で停止した。運転手はバイク用の黒いつなぎを着ていて、その生地は分厚くて体型が分からないため、中の人の性別を知ることはできない。
「やあやあ私は怪しい者じゃないよ。どうか警戒を解いてほしいな。待ってね、今ヘルメットを脱ぐから」
女性の声でそう言って、バイクの運転手はヘルメットをとってバイクのサドルに置く。
その中から、二十代前半くらいの鼻の高い整った顔が現れ、ブロンドの長い髪が弾けるように飛び出した。
女性は両手を上げ、敵意がないことを示しながらゆっくりとこちらへ歩いてきて、数メートル離れた所で立ち止まり、
「私は旅人でね、このカモーラと一緒にこの広い国を見て回ってるんだ。あ、この子の名前はこの国で有名なコーヒーの名前だよ。知ってるかな」
訊いてもいないのに自分のバイクのことを陽気に話始めた女性の表情を見て、ユキは少し警戒を緩める。
「わたしたちも旅人です」
初対面の者に詳細なことを話す必要はないので、最低限なことをユキは言った。
「そっかー。旅っていいよねー。君たちは二人だから楽しくお話ししながら旅してる感じ?」
女性は、二人と一台を舐めるように見る。
するとマオが、
「レッカーもいるよ! お姉ちゃんがレッカーの言いたいこと教えてくれるから、三人でおしゃべりできるもん」
煮えだって泡立ってきた鍋をちらちら見ながら言った。
「おお、いいねぇ。ということはそのクレーン車は人工知能を積んで、お姉さんとは言葉が交わせるわけだね。うらやましいなぁ。カモーラも人工知能は積んでるんだけど、発声機能が故障しちゃってさー。なかなか部品が見つからなくて、一か月以上声が聞けてないんだよ。ああ、この子は一体私に何を話したいんだろう!」
女性は、草原地帯のはるか向こうにかすかに見える山脈を指さして、
「あの山々を越えていった先にある街に、どうやら部品がありそうなんだ。だから、そこまで行ってみるつもり。まあ、今晩はあの山の麓辺りで休むかなぁ」
女性が話し終わると、この場には再びエンジン音と煮え立つ音しかしなくなる。
二人のうちどちらかが口を開くのを待っていた女性だったが、十秒ほど待ってがまんできなくなり、
「ねえ、君たちはこれからどっちの方角に向かうの? もし方向が同じだったら一緒に行かない?」
「あっちです」
ユキは、女性の向かう先の正反対の方角を示した。
それはうそではなく、本当に仕事でそちらへ向かう途中だ。
「あらら、そうなんだ。じゃあここでお別れだね。残念だなお友達になれそうなのに。でも、次会う時はきっとカモーラの声を聞かせてあげられるね。それじゃ、私急ぐから!」
そう言って女性はバイクに戻ってヘルメットをかぶり、少し手を振るとブルンとアクセルをふかして山脈の方へとバイクを走らせていった。
少しずつエンジン音とライトが小さくなり、やがてここから確認できなくなると、ユキはため息をついてブルーシートの上に座った。
「ああ、シチューが……」
煮え立つ音に気づいてすばやく鍋のふたをとったユキは、中身が少しこげていて落胆の声を出す。
〈食料代がもったいないな〉
やれやれというようにレッカーが言った。
「こげててもいいから食べる!」
興味関心が完全にシチューに戻ったマオが、ブルーシートの上に座りながらユキを見上げて言う。
「なら、ちょっと食べてみる?」
こげたじゃがいもを、苦い顔をしながら食べているマオを横目に、ユキは訊いた。
「レッカー、あのカモーラっていうバイクの言っていた、わたしたちロボットにしか分からない言葉、あの人に伝えたら喜んだかしら」
〈どうかな。あの人は直接おしゃべりするのが好きみたいだったから、俺たちが介して言葉を伝えても、あまり喜ばないかもしれないぞ〉
「……そうかもしれないわね」
ユキとレッカーは、カモーラが発していた言葉を思い出しながら、女性が消えていった方角を見つめた。
次話をお楽しみに。




