第九十一話:ユキのメンテナンス
普段から倹約家のユキであるが、その彼女がたくさんお金をかけることがある。
その一つは――
「いらっしゃいませ~。私は今日あなたのメンテナンスを担当する、ジルです。どうもよろしくね~」
男の声で、見た目が人型作業ロボットの技術者が、軽い口調であいさつした。
ユキがいるのは、全て白い壁紙の四角い部屋。
部屋には、ロボットのメンテナンスのための機器が色々設置されていて、そのどれもが新品のように清潔だ。
彼女は今、柵のない担架の上に仰向けに寝かされていて、服は一切着ていない。
担架の横から垂直に伸びた棒が、関節でいくつも折れ曲がり、その先に付いている大きな丸い形の照明が、ユキのちょうど真上から彼女を照らしている。
「まるで人間の手術室みたいですね」
彼女は素直な感想を述べた。
「まあ、実際にここで人間の治療もしてるからねぇ。いざとなったらすぐに人間用の機器を用意できるし」
ジルと名乗った技術者は、担架の前のイスに座っていて、そこからはユキの頭頂部が見えている。
彼は、ユキの頭部を舐めるように見つめた後、この部屋の端で丸イスにちょこんと座って、不安そうにこちらをじいっと観察しているマオを見た。
「あの子はどこか悪いところはない? 私、一応人間も診れるんだけど」
「いえ、結構です。マオはいたって健康ですから。今日はわたしだけをお願いします」
ユキは冷静にそう言った。
「分かりました。そしたらさっそく始めるね。まずはあの機械の中をくぐってもらうよ」
ジルは、ユキの足の先にある、アーチ状の機器を指さす。
「あれはスキャン装置ですか」
ユキが尋ねると、
「そうそう。あれを使って、あなたの内部の異常を、大まかだけど発見できるの」
軽い調子で答え、ジルは担架を押してその機器の中へユキを入れた。そして機器のスイッチを押す。
すると、グイングインと音がし、その機器が撮影を始めた。
「はい終わった~。結果はすぐ出るからね。どれどれ……おおっと?」
機器の液晶画面に、ユキの内部構造が少し粗目な画質で映し出された。
動力回路や、四肢を動かす油圧装置、人間の頭蓋骨に似た形の頭部を見ることができる。
「……何か異常でも?」
液晶画面の画像を拡大してそれを動かしながら、「ええ……」「これは……」と声を漏らして観察するジルに、ユキは冷静に尋ねた。
「え? あ、いやいや。あまり見たことない部品が多数使われているから、珍しくて……。あなた、どこで作られたの?」
「別の国です」
「別の国……。ほうほう。でも、それにしても、すごい。量産型の規格じゃなくて、研究者の誰かが極秘に開発した試作機……? なるほど。私はこういう組み方はほとんど見ないなぁ。ほうほう。これはこれは……」
ジルは途中から、ユキに返事せずに独り言を言い始めた。
「あの……ジルさん。どこか異常でもあったのでしょうか」
「……ユキさんといったね。膝の関節部が少し摩耗してるようだから、治療剤を塗るよ。クリーム状になっててね、その中に含まれるとっても細かい粒一つ一つに形状記憶機能があって、それがあなたの人工皮膚を閉じた後も、内部で修理してくれるんだ。それをやるね」
「そんな便利なものが……。どこで売ってますか」
「これは工業用だからね。人間のもので例えると、病院でしかもらえない薬みたいなもの。だから簡単に手に入るわけじゃ……。まあ闇ルートで高額で取引されているっていう話は、聞いたことあるけど」
ジルはユキの頭の近くに立つと、担架を引っ張って機器から出した。
そして、壁の端に寄せて置いてある機器を、それらの小さな車輪をカラカラと転がしながら、担架の横まで持ってきた。
「さて、これから膝のあたりの人工皮膚を切っていくね。と、その前に……」
ジルが振り返ると、彼のすぐ近くにマオが立っていた。ユキの寝ている様子を、つま先立ちしてのぞいている。
「マオ、何してるの?」
ユキが、寝ながら顔だけマオに向けて言った。
「あ、あのね。見たくて!」
「何を?」
「お姉ちゃんの中身を!」
「え? どうして? わたしの中身? 面白いことでもある? 切られて痛そうだからイヤって言うのかと思ってたわ」
「だってさっきお姉ちゃん、言ってたじゃん。『高いお金払ったから安心していいわよ』って」
「ま、まあ、この会社は有名で各地に支店があるし、高いお金を払えば高度な修理を受けられる、という意味で言ったのだけど。だから、心配はしてないってこと?」
「ちょっと怖いけど、お姉ちゃんが『心配しないで』って言ってたから、信じることにする」
ユキがまた何か言おうとした時、
「あの、私も今日は他にも修理の案件が入ってるから、もうそろそろ始めたいんだけど」
作業の準備をすっかり整えたジルが、ユキとマオを順番に見ながら、明るい口調で言った。
「あ、そうですね。お願いします」
ユキは、マオに言いたい言葉を引っ込め、おとなしく横になることにした。
すると突然、ジルの背部からさらに四本の細いアームが出てきて、それぞれのアームの先で、近くの台に置いてある器具を持った。
「はい、切るよー」
ジルは、アームの一つに持っているメスに似た刃物で、ユキの右ひざの上あたりをすばやく切った。
「わっ」
マオは思わず両手で目を覆ったが、指の間隔を少し開けて、患部をのぞいた。
ジルがどんどんひざ周りの人工皮膚を、縦に横に切り、それを他のアームの先で持っているピンセットで固定し、内部がしっかり露出するようにしている。
「うんうん、私が見たことない組み方だ。直接見ると、だんだん興奮してくるよ。フフ、ウフフ……。なるほど、こう組むことで油圧がしっかり伝わるようにしているのか。お、このスプリングすごい! 頑丈ながら伸縮性が高い金属……。うーん、ずっと君の内部構造を隅から隅まで見ていたい」
そんな独り言を言いつつ、彼はちゃんと作業を続けていく。
「君、もっと近くで見るかい?」
ジルがマオの方に顔だけ向けて尋ねた。
マオは、こくっとうなずくと、少し警戒するように、そろりそろりと足を動かして、ユキの足の近くまで来た。
ジルは、太いアーム一本ででマオを持ち上げ、作業をしながらマオに説明した、
「この油圧装置が動いて、足を曲げ伸ばししていてね、その近くにあるスプリングがその負担を抑えている。そして……」
マオにとってはかなりマニアックな話が続き、あまり頭に入ってこなかったが、露出されたひざ周りが面白くて、じいっと見ている。
ジルの話がひと段落した後、マオは、
「お姉ちゃん、血出てないね」
自分の患部を観察していたユキは、マオの言葉にくすっと笑い、
「わたしはロボットだもの。血なんてないわ」
「痛くないの?」
「痛くないわ。ロボットだもの」
「なんか、ひざだけロボットで、他のところは人で、不思議」
ジルは、感心したようにうんうんとうなずき、
「それだけお姉ちゃんが人そっくりに作られているってことだね」
と言った。
やがて処置が終わり、切られた人工皮膚もふさがれ、
「お疲れ様。まだひざ周りに傷が見えるけど、薬の効果でだんだん目立たなくなってくるから」
「はい、今日はありがとうございます。なぜかマオも満足しているようで、そちらもありがとうございます」
「また異常を感じたら来てね。次は全身を診られたらいいな」
「それは、わたしが全身壊れてしまうことを意味するので、それは絶対避けたいです」
「まあ、そうだよね。ハハハ! 君の内部全身画像はしっかり保存されているから、それを毎日眺めて予習することにするよ」
「……それは本当に予習のためだけですか?」
「…………」
ユキは、少し変な人を見る目をジルに向け、軽く頭を下げて、その場を後にした。
施設の外に出た後で、
「あのロボット、変態さん?」
とマオが言い、
「ある意味そうかもね」
ユキは冷静に答えた。
次話をお楽しみに。




