第八十九話:リーナとジーン⑤
次の日の朝、マオはレッカーのフロントガラスからまっすぐに入ってくる太陽の光で目が覚めた。
「ん……」
マオは、運転席で目をつぶるユキの膝枕で寝ていた。
体を起こしたマオは、胸の前で腕を組んでいるお姉ちゃんに触れようと思ったが、自分たち二人以外に車内に気配がするのを感じ、左側にある助手席の方を見た。
「あ、そうだった」
マオは小さくつぶやいた。
寝ぼけていて忘れていた。今日はリーナとジーンが一緒だったのを思い出した。
助手席の一番ドア側の座席にジーンがいて、リーナは彼に寄りかかって眠っている。
起きているときはポニーテールにまとめていた髪は、今はほどいて背中までまっすぐ垂れていて、毛先が曲線を描いている。
力の入っていないリーナの右腕が、マオの方へ投げ出されていて、あちこちに傷のある手の甲をよく見ることができた。
リーナのように比較的年の近い子と交流することがあまりないマオは、ふと彼女のその手が気になった。
座席の上をもぞもぞと四つん這いで移動し、リーナの手のすぐ近くに座った。
そして彼女の手に顔を近づけて、まじまじとのぞきこむ。
骨ばっていて静脈が少し浮き出ていて、古い傷があちこちにある。爪は歯でかじったようにガタガタに切られていた。
だが、肌はみずみずしく、朝日を浴びて光っているようにマオには見えた。
マオは自分の右手の甲を見る。リーナほどではないがほっそりした手で、青い血管はあまり見えず、つい最近転んで擦りむいた傷がまだ残っている。爪はお姉ちゃんによってちゃんときれいに切られている。
顔や背丈だけじゃなく、このような細かいところまで自分と違うことに、マオは感心していた。
そして、つい触りたくなり、右手の人差し指でそっとリーナの手の甲をなぞる。
温かさと骨ばっているのときめ細かい肌のすべすべした感触を、自分の指の腹で感じていると、
『寝込みを襲うとは、君はいい趣味をしているね』
マオは座席の上で四つん這いのまま飛び跳ねそうになった。自分の毛が逆立っているような感じもした。
「ジーン……?」
『そうだよ。まだリーナは寝ているから小さな声で話そう。マオちゃんはリーナの手が好きなの?』
「よく分かんない。きれいだとは思うけど」
『きれい? こんなに骨が目立って傷もいっぱい残ってしまっているというのに?』
「うん、でもキラキラしてるもん」
『それは物のたとえかな。それとも光が当たってそう見えるってことかな』
「よく分かんない。どっちも?」
『どっちもかー。小さい子の考えることは難しいな。でもリーナのことを気に入ってくれてぼくも嬉しいよ』
「うん」
すると、二人の会話が耳に入ってリーナが薄く目を開けた。
彼女は、マオが顔を近づけているのに気づき、一瞬ギョッとした顔をした。そして、
「マオちゃんどうしたの……?」
ふわぁ、とあくびを一つした。
「ううん、何でもないよ」
マオは顔を横に振った。
『リーナの手がきれいだって話をしてたんだよ』
「ジーン、言っちゃった……」
マオが少し恥ずかしそうな顔をする。
「あたしの? 手が? きれいって? どういうこと? 傷だらけだよ?」
『それでもきれいなんだとさ』
「へえ、そう言ってもらえると嬉しいな。マオちゃんの手もきれいだよ」
リーナはマオをまっすぐ見て言った。
「ありが……とう」
マオは戸惑った表情で、たどたどしく言った。
そんな三人の会話を、レッカーは何も言わずに見守り、
「…………」
ユキは片目を開けて胸の前で腕を組んだまま、三人のことを見つめていた。
マオとリーナは、ユキが昨日の晩つくっていたシチューを朝にも食べ、用を足して、レッカーに乗って出発した。
まだ朝早く、角度によっては太陽が木々に隠れて見えなくなることもある。
気温は二十度を少し超えたくらいで、風も穏やかで過ごしやすい。
だから、仕事を済ませるには、リーナとマオにとってこの時間が一番良い。
森を抜け、岩と砂だらけの荒野を進むと、昨日みんなが出会った旧市街地が見えてくる。
がれきの積み重なる地帯を走っていても、生き物の気配は一切ない。
人の姿ももちろんなく、昔に使われていた自動車や家電製品の一部が転がっていることが、以前はここに人々の生活があったことを物語っている。
『右の方に廃ビルが建ってるのが見えるでしょ。そこにロボットが転がってたんだ』
ジーンの案内で、レッカーは目的地に向かっていた。
昨日とは違って、レッカーの荷台は生活に必要な備品をのぞいて空だ。
ただ、工場の作業ロボットが回収し忘れたネジが一本、ガタガタの道を進むたびに荷台の上を激しく転がっている。
やがて、目的の場所に着いた。マオたちがすぐに外に出ようとすると、
「待って。先にわたしとジーンが行って、ロボットの状態とか周りの様子とかを見てくるわ」
ユキは、マオとリーナをそう制した。
二人はすぐにでも外へ行きたそうに不満そうな顔をしたが、しぶしぶ納得して座席に再び座った。
レッカーに、
「きちんとカギ閉めておいてね」
と言い残して、ユキは外に出て、ジーンの後ろをついていった。
数分経って二人が戻ってきて、
「大丈夫よ。二人とも出てきて」
ユキが助手席のドアを開けて言った。
「マオちゃん行こう!」
リーナがマオの手を引っ張って、一緒に助手席から飛び降りた。
ユキはレッカーに、
「バックでついてきてくれる?」
〈ああ、分かった〉
そして一同は、ジーンを先頭に今日の戦利品に向かった。
三十分後、一同は戦利品を荷台へ回収して出発していた。
「まさかこんなに品質のいいロボットが拾えるなんて」
ユキは上機嫌にハンドルを握りながら言った。
〈珍しく表情が緩んでるな〉
「あ、ついついね。多分、これを売って売り上げを半分に分けたとしても、一週間くらいは仕事しなくて済みそうだし」
その会話を聞いていたジーンも、
『今回はお礼を言わなくちゃ。ぼくらも少しの間はぜいたくできそうだよ』
「こちらこそ。わたしもマオにおいしいものたくさん食べさせてあげられるもの」
リーナがマオを見て、
「なんか、いっぱい儲けたみたいだね」
「そうなの? お姉ちゃんが仕事してる時こんなにうれしそうなの、久しぶりにみたかも」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、期待してもいいってことだ」
そのようにして、車内は二組に分かれて、これからもらえるお金の使い道について、楽しそうに話していた。
それから十分ほどがれきの中の道を走っていて、あと少しで町が見えてきそうになった時、
〈ん?〉
レッカーが何かに気づいて急ブレーキをかけた。
「わっ!」
マオとリーナは前のめりになるが、シートベルトのおかげで座席から転がり落ちずに済んだ。
ユキは両足で踏ん張って、体勢が崩れないようにし、すばやく辺りを観察する。
〈ユキ、盗賊かもしれない〉
レッカーは張り詰めた声で言った。
がれきの影から四人の男が飛び出してきて、行く手をふさいでいる。
男たちは皆、がれきと似たような灰色の作業着を着ていて、全員が小銃を所持している。
ユキがよく見ると、男たちの背後にレッカーと同じくらいの大きさの荷台付きクレーン車が、がれきに隠すように停車していた。
「荷物を渡せ! 全員、おとなしく出てこい!」
レッカーから一番近いところに立っている男が、こちらに向かって小銃を向けながら叫んだ。銃口はまっすぐレッカーの運転席に向けられている。
ユキは、自らの人工知能をフル回転させ、この状況に対処できる方法を考えていた。
盗賊は、小銃四丁。他にも持っている可能性もある。
それに対して、こちらはユキの懐に入っているレーザー銃一丁のみ。あとは、レッカーのたいあたりとクレーンを振り回す攻撃くらい。
しかも、戦うなら二人の子どもを守りながらでなければならない。
道は、レッカー一台が通れるくらいしか幅がなく、曲がり角もない。盗賊を避けながら進むのは難しい。
ユキはまだ作戦を立案できていなかったが、マオとリーナとジーンに、
「皆、とりあえず座席の下に隠れて耳をふさいで」
マオは慌てて、お姉ちゃんの言うとおりにした。
しかしリーナは座ったまま、
「ねえジーン、できそう?」
『できる。奇襲できれば』
「やっちゃって。遠慮なく」
ジーンとそんな会話をし、
「ユキさん、助手席のウインドー、全開にしてもらってもいい?」
「え、何するの?」
「今から、やるから」
「やるって?」
「いいから開けて」
「……分かったわ。こちらに危険はないのなら」
「もちろん。ジーンは完璧に仕事をこなすよ」
ユキは言われた通り、ウインドーを全開にした。
すると、ジーンが両手の先をすばやく小銃の銃口に換装し、頭からプロペラを出して車内から飛び出した。
〈あ、おい!〉
レッカーは思わず叫んだ。
外に出たジーンは、一瞬で銃口を一番近くに立っている男に向け、数発発砲した。
急所に命中し、男は倒れる。
間髪入れずにジーンは、高速で飛行して両手の銃口を駆使してたくさん撃ち、あっという間に盗賊の命を奪った。
「ジーン……」
ユキは、ハンドルからゆっくりと手を放した。
そして、急所から血を流して倒れ、ピクリとも動かない盗賊たちを見つめた。
6へ続きます。




