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第八十三話:雪の中の罪人たち①

 一面銀世界となった森の中を、一台の荷台付きクレーン車が慎重に走っていた。

 周りに生えている木は、すべて広葉樹で、葉が落ちて裸になった枝の上に、少し雪が積もっている。

 そこに積もった雪は、綿のように軽く、少しの風で舞い上がって、あちこちでパラパラと地面へ落ちていた。

 雪は降っていないが、空はどんよりとした重い灰色の雲におおわれていて、強い風に乗って速く流れていく。

 はるか遠くに、どっしりとそびえ立つ山脈は、すべてが真っ白に染まり、頂上は雲に隠れて見えない。

 クレーン車が走る道は、街と街をつなぐ道のため、大型トラックがかんたんにすれ違えるほど広く、除雪も自動運転の車両によって済んでいる。

 クレーン車が進むたび、ギュっギュッと雪が踏み固められる音がした。


「雪、たくさん積もってるね!」


 助手席に座っている、五~六歳くらいの女の子が、平べったい鼻をウインドーにくっつけて、楽しそうに地面を見ていた。

 女の子は、もこもこな赤色のセーターの上に、何枚も綿が仕込まれた深緑色のジャンパーを着ている。ジャンパーのフードも生地が分厚く、ひもを引っ張って調節すれば、中に雪や風が入ってこないようにできる。


「マオ、外で遊ぶのは、街に着いてからね」


 運転席でハンドルを握る少女が、前を見ながら女の子に言った。

 少女の顔は十四歳ほどに見えるが、大人びた雰囲気がある。

 肌着の上に、紺色の作業着を着ているだけで、防寒装備は身に着けていない。少女はロボットなため、そういうものは必要ない。


「急いでるの、お姉ちゃん?」


 マオと呼ばれた女の子は、ウインドーから顔を離して、少女の方を振り返った。鼻の頭が結露で少し濡れていて、体温が高いため、ほっぺたがリンゴのように赤くなっている。


「そうね。今は午後三時二分だから、暗くなる前に街に着きたいの。夕方からこの辺りも大雪みたいだし」


 お姉ちゃんは、フロントガラスから外を眺める。マオを遊ばせるには、森のパウダースノーは絶好のおもちゃだ。もし高さ数メートルほどの雪山があったら、荷台に積んでいるソリを使って、遊ばせてやれる。ただ、雪玉をつくるには、この雪は向いていない。


「絶対だよ? 街に着いたら、絶対一緒に遊んでね?」


 マオは真剣なまなざしで、お姉ちゃんを見た。


「ええ、約束する」


 そう言って、お姉ちゃんは次にハンドルをコンコンと軽く叩く。


〈何だ?〉


 クレーン車が尋ねる。


「今、街からどれくらいの距離?」


 お姉ちゃんが訊くと、クレーン車は数秒ほど考え、


〈午前中に出発した街から、これから向かう街までの距離は、六十キロだ。もう五十五キロ以上走ったから、あと四キロ超だな〉

「さすがレッカーね。あなたが数えていると思って、わたしは距離の計算はしてなかったの」

〈当たり前だ。早く街へ着くために、森林地帯での最適な速度を出さなくちゃいけないからな。猛吹雪の森の中で一晩過ごすなんて勘弁だ〉

「ええ、そんなことになったら、レッカーも動けなくなるし、マオが凍えるわ」


 二人の会話に自分の名前が出たことに気づき、マオは再び助手席のウインドーから顔を離して、お姉ちゃんを見る。


「なんか呼んだ?」

「ううん、呼んでないわ。もし大雪で動けなくなって森の中に泊まることになったら、マオが凍えるから、早く街に着こうって話してたの」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんにくっついていれば」

「私はロボットだから、あまり温かくないわよ」

「でも、いいの。くっつきたいの」


 マオはシートベルトを外して席の上を四つん這いで進み、お姉ちゃんの足の間に座った。

 フッとお姉ちゃんは苦笑して、ハンドルから手を離し、運転をレッカーに任せ、両腕をマオの腰の前で組み、自分の胸に寄りかからせる。

 お姉ちゃんの顔の少し下に、マオの頭があり、そこから漂う匂いを鼻で分析すると、昨日ホテルで使ったシャンプーと、彼女の汗の匂いの成分だった。

 マオの頭のてっぺんの温度は、三十六度台後半の値で、試しに右手でそこをなでると、手のひらでその温度を感じることができた。


「フフン」


 とマオは笑い、お姉ちゃんに頭をなでてもらって、嬉しそうにしている。

 体温と匂い、これらが合わさってマオの「ぬくもり」だ、とお姉ちゃんは思った。

 お姉ちゃんにもレッカーにもないもの。マオにしかないもの。

 お姉ちゃんはロボットだから、人同士がくっついてお互いを温めあうようなことはできない。

 でも、彼女の内部機関を発熱させたり、抱きしめたりなでたりすると、マオの体温は少し上がり、呼吸が穏やかになって、表情も柔らかくなる。

 これがお姉ちゃんの「ぬくもり」で、マオに対する愛情の表し方だ、と確信していた。


 マオは、お姉ちゃんに後ろから抱きしめられて、心がポカポカしていて、そのことはちゃんとお姉ちゃんにも、数値として伝わっていた。



 街に着いた一行は、荷台に積んでいた荷物を、郊外にある倉庫で下ろしていた。

 レッカーは、クレーンでそれらを吊り上げ、地面へゆっくり下ろし続けていて、数台のロボットが倉庫へと運んでいく。

 その最中、倉庫の管理会社のアンドロイドが、レッカーの運転席の下にやってきて、


「ユキさん、明日の朝、またここへ来てもらえませんか。五十キロ離れた街へ運んでもらいたい物があるのです。今、端末で地図を出しますね。……この街です」

「しかし、一昨日からそちらの地方は大雪が降っていると聞いていますけど」


 ユキと呼ばれた少女は、確認のために尋ねた。


「その通りです。まだ確認できていないのですが、もし除雪が追いつかないほどの大雪だったら、運送は中止です。でも一応、明日来てください。時間ギリギリまで判断を待ちたいので」

「分かりました。ただ、レッカーの能力によっては、お断りすることもあるかもしれません」

「それは問題ありません。大雪なので、どの運転手も動きたくないのは一緒ですから。私どもも、危ない橋は渡せられないので」


 アンドロイドが倉庫へ戻っていくと、ユキは運転席のウインドーを閉めた。助手席に座りながら、さっきお店で買った温かいお茶をおいしそうに飲んでいるマオを見て、


「仕事が終わったら、どこかで雪遊びする?」

「するする! ここでする!」

「ここはダメ。トラックがたくさん出たり入ったりして危ないでしょ。その辺の空き地か公園でね」

「うん」


 マオは、雪が触れればどこでも良かった。



 荷下ろしが終わり、倉庫通りを出ると、街中に向かってレッカーは走っていた。

 少しして、あっという間に雪がフロントガラスに吹きつけてくるようになった。

 まるで雪でできた無数のカーテンの中を進んでいるようで、すでに二百メートル先はまったく見えなくなっている。


「音すごいね。ビュゴーって」


 マオはさっきから、風の音を口まねして遊んでいる。


「確かにすごい音ね。ビュビューって」


 ユキも口まねして、ヒマそうにしているマオに付き合っていた。


〈ユキ、遊ぶのもいいが、前をよく見ていてくれ。万が一、俺の目に雪が張り付いたら、大変だからな〉

「分かったわ。……そういえば、あなたの目ってどこにあるの? 今まで気にしたことなかったけれど」

〈おっと、それは企業秘密だ。とにかく、気をつけるんだ〉


 とりあえず、レッカーにはホテルへ向かうように言っているが、その前に公園か空き地に寄らないといけない。

 もはや、猛吹雪となりつつある外の景色を見ても、マオはまったく動じていないからだ。

 どこかで雪を触らせてあげないと、マオの内にたまったエネルギーが爆発して、どこかへ飛び出していきかねない。


「レッカー、あそこにある公園に停まって」


 ユキは、広めの敷地がある公園を指さした。


〈本当にこんな天気の中遊ばせるのか?〉

「ちょっとだけね」


 レッカーはハザードランプを点け、路肩に停車する。

 ユキは長靴に履き替え、先に外に出ようと、ドアを開けた。


「……!」


 ビシビシと彼女の顔に氷の粒が当たってくる。


「さむーい!」


 雪と共に突風も車内に入ってきて、マオは思わず体を縮こまらせた。

 ユキはレッカーの前方から回り込んで、助手席のドアを開けた。


「マオ!」


 お姉ちゃんはマオの両脇に手を入れて持ち上げ、外に出してやる。


「顔がいたーい!」


 まるで無限にマシンガン攻撃を受けているかのように、雪の粒が唯一肌の露出しているマオの顔にぶつかってくる。

 マオは自分の顔を、もこもこの手袋をはめた手でおおった。


「ねえ、今からここで遊ぶ?」


 ユキは一応尋ねる。

 そこはなかなか広い公園の入り口で、敷地の奥は高さ五メートルくらいの丘がある。

 しかし、ユキに見えているのはそれくらいで、本来あるはずのベンチや花壇などは、すべて降り積もった雪に隠されていた。

 しかも、完全なホワイトアウトの状態になっていて、二百メートルほど先にあるその丘は、輪郭がかすんでいて、もしそこに人が立っていたとしても、ぼんやり影が目に映る程度にしか分からない。

 ユキは試しに、長靴の片足を公園の入り口に踏み込む。道路と公園の境目は、除雪の有無ではっきり確認できる。

 ユキの足が、ひざ下まで埋まった。


「……」


 お姉ちゃんの声を聞いて、マオはおおっている手の指を少し開け、すき間から景色を見る。

 そして、


「遊ばない」


 すっかり元気がなくなって、マオはうつむいてそう言った。


「分かったわ。もうホテルに行きましょ」


 なぐさめるようにマオの頭をなでると、再び彼女を助手席に乗せてやった。


「あら?」


 車内に戻る前、ユキは自分の足元に、大人用の黒い手袋が一つ落ちているのを見つけた。

 それは片方しかなく、誰かが落として忘れていってしまったのだろう、と彼女は思った。

 両方そろっていれば、どこかで売れたかもしれないが、片方だけでは、置いていくしかない。

 ユキはすばやく運転席に乗りこみ、レッカーに発車するように伝えた。

 レッカーは、猛吹雪の中、ぼんやりと目の前に見える巨大なビル群のほうへと走っていった。

 黒い手袋は、少しずつ雪の中に隠されていった。



 ユキが運送会社に予約してもらっていたホテルは、大きな街のど真ん中にあった。

 建物は十階建てで、縦に長い四角形のビルだ。外観や看板は地味だが、同じ街の他のホテルと比べると、値段は安く、ユキのような日雇い労働者や季節労働者の長期滞在に重宝されている。

 その情報を運送会社の担当者から聞いたユキは、


「ぜひそのホテルでお願いします。予約がいっぱいにならないうちに、早く!」


 と、事務所の応接室で担当者に迫った。

 そして担当者が端末を操作して、


「空き室がありました。ツインとダブル、どちらにしますか」


 と聞かれ、


「マオ、大きなベッドでわたしと一緒に寝るのと、一人用のベッドで寝るのと、どっちがいい?」


 自分の左横に座って、出されたジュースを飲んでいるマオに尋ねる。


「一緒がいい!」


 マオは即答し、空いている右手でお姉ちゃんの左手を軽く握った。

 その手を一瞬見て、フッと小さく笑みを浮かべたユキは、


「ダブルでお願いします」


 はっきりとそう答えた。


 ホテルの目の前の細い道路をはさんで向こう側に、大型トラックが十台ほど止められる広さの駐車場があり、ホテルの入り口近くにユキとマオを降ろしたレッカーは、そこへ入っていった。


「雪に気をつけるのよ!」


 道路をはさんで、ユキはレッカーにそう呼びかける。


〈おう〉


 レッカーはそう答えながら、ハザードランプをチカチカと点滅させた。



 フロントでの手続きを終えて、二人は三階の一室に入ることができた。

 その部屋は、他のビジネスホテルとたいして変わり映えしないレイアウトで、テレビや冷蔵庫、ベッド近くの照明器具など、滞在するのに最低限のものがそろっていた。


「あったかーい!」


 マオはそう叫ぶと、ジャンパーを着たまま、大きなダブルベッドに飛びこんだ。

 ユキは小さくため息をついたが、マオに注意することはしなかった。

 室温は二十二度で、エアコンが稼働している。唯一ある窓は二重になっていて、冷気の侵入をある程度防いでいた。

 そのおかげで、さっきまで寒さで引き締まった顔をしていたマオも、今は柔らかい表情をしている。

 ふかふかのベッドを満喫しているマオから目を離し、ユキは外の様子を見ようと窓まで近づき、薄くて白いカーテンを開けた。

 時刻は午後五時前で、すでに空は真っ暗になっていた。

 風は、ユキから見て右から左に吹いていて、雪がそれに乗って、ほぼ真横に降っている。

 ときどき、雪が窓をビシビシと叩く。

 あちらこちらにある街灯の光が、積もった雪に乱反射して、月は出ていないが外は明るかった。


「もう夜ご飯食べる?」


 というお姉ちゃんの言葉に反応し、マオはガバッと跳ね起きて、


「今日は何? 肉? 魚?」


 ベッドからジャンプして飛び降り、ユキに興奮気味に尋ねた。


「分からないわ。フロントに電話したらここまで持ってきてくれるらしいから、ちょっと待ってて」


 ユキは連絡を終えて、古めかしいデザインの受話器を置くと、


「今日は鶏肉を揚げたものが出るらしいわよ」

「やったー!」


 マオは両手の拳を振り上げて喜んだ。


 五分後、部屋のドアがノックされ、料理の皿が乗ったカートを押すロボットが入ってきた。

 ロボットは人型だが、アンドロイドとは違い、頭から足まですべて機械が露出しているタイプだ。

 お皿は三つあって、そのうちの一つからは湯気があがっている。

 ユキがそれをのぞきこむと、コンソメスープだった。

 お皿をテーブルに並べてロボットが出ていくと、マオはイスに座った。

 メニューは、ソーセージと野菜をコッペパンに挟んだものが二つに、コンソメスープ、鶏肉の揚げ物だった。


「肉ばっかりね」


 ユキは素直な感想を言う。


「だからいいの!」


 興奮しながら、マオは早くも、揚げ物を直接手に取り、口に運んだ。


「うまい!」


 口に入ったまま、マオは正面を見ながら叫んだ。


「あわてて食べると、のどに詰まらせるわよ」


 ユキが落ち着いて食べるよう促すが、マオのそのスピードはどんどん早くなる。

 仕方なく、部屋の冷蔵庫の中に用意されている、五百ミリリットルのペットボトルの水を一つ取り出すと、常備されていたガラスのコップに二百ミリリットルほどそそぎ、マオの横に置いた。

 すると、マオは待っていたかのようにコップをつかみとると、一気に半分くらい、グビグビッと音をたてて飲んだ。


「マオ、のど詰まりそうだったの?」

「ううん、全部しょっぱいから、水がほしくなった」


 なるほど、とユキは思った。

 労働者の利用することの多いホテルだから、スタミナがつく食事が出るのかもしれない。

 明日には出発する予定だから、特に内容を変える要望を言うメリットもないため、ユキはそれ以上その話はしなかった。


 食事の後は、二人で一緒にシャワーを浴び、早々にベッドへ入った。

 お姉ちゃんと同じベッドで寝られるのが楽しいマオは、毛布の中でお姉ちゃんの胸に顔をうずめて手を握った。

 片手を握られたユキは、もう片方の手で彼女の頭をなでる。

 外はますます雪と風が強くなり、窓や壁からギシギシときしむ音がしてきた。

 枕に頭を乗せているユキには、それらが聞こえているが、毛布の中のマオにはほとんど聞こえていない。

 マオはお姉ちゃんの守る安全な場所で眠り、それを見届けたユキも、スリープモードに入った。



2へ続きます。

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