第七十九話:見送ったトラック④
村のはずれに、高さ数百メートルの山があり、その中腹にオル爺が停車していた。
この山と、距離の近いとなりの山の間には、強い風が吹きやすい。ピューピューと、まるで息を吹き込む笛のような音がする。
この山の中腹から頂上には草木がいっさい生えていなく、本来それらの根っこが張り巡らせることで保持される砂は、その風で舞い上がり、山の麓まで落ちていく。
この砂が降り積もると農作物は育たないため、麓は開墾されず、他の街へ行くための細い道しか通っていない。
彼の停車しているところから十メートル先は、崖だ。落ちたら、たとえ最新技術を持った車でも、ひとたまりもない。
オル爺は天を見上げ、シンのご先祖のことを思い出している。一緒に仕事したこと、大きな街へ遊びに行ったこと……。
『今から行く』
そうつぶやくと、決心がついたオル爺は、ゆっくりとアクセルをふかし始めた。その時、
『……なんだ……?』
彼は、先ほどのぼってきた道を見る。一台のヘッドライトと走行音が近づいてくる。月明かりに照らされてだんだん見えてきた車体に、オル爺は、
『あいつか……』
と、舌打ちをする。
レッカーは、砂や小石をタイヤで吹っ飛ばして、猛スピードで向かっていた。そしてオル爺のところに着くと急停車し、人が呼吸を整えるように少し沈黙し、
〈……死ぬのは待て〉
レッカーは自分のクレーンを勢いよく回転させ、遠心力でフックを飛ばすと、オル爺の荷台に引っかけた。
『何をする! 死なせてくれ!』
オル爺はそれを振り払おうと、アクセルをふかして左右に車体を揺らすが、レッカーには馬力では勝てない。
〈一体何があった? なぜ人でもないのに、自ら死を選ぶ?〉
『ワシは何人もの仕事のパートナーを見送ってきたが、とてもつらかった。シンだけじゃなく、村の人間たちもワシを慕ってくれている。そいつらが、また次々といなくなるのは、もう見たくない。人の体は、我々と比べて脆いからな』
〈今のパートナーであるシンは、残されたらどうなると思う? あなたの死で、ひどく悲しむとは考えないのか〉
『シンにはとても感謝している。かなりガタがきているこの車体を、しっかりメンテナンスしてくれる。それが不憫でならない。ワシにかける時間を使って、もっと他の仕事を覚えて、村で役立つ男になったほうがいい。だから、ワシはいないほうがいい』
〈……その言葉は、シンに直接伝えたらどうだ〉
『そんなことをすれば、崖から飛び降りられないよう、動けなくさせられるだろうな』
〈…………〉
『レッカーよ、お前はなぜワシを止めに来た? 今日出会ったばかりのお前が、どうして』
〈あなたを愛する人がいるからだ。車体がどんなにボロボロで不具合がたくさん起きても、文句言わずにすぐ直してくれる存在がいるのは、愛されている証拠だ。俺にも、ユキやマオがいる。俺はあの子たちを失いたくないし、ずっと一緒にいたい、と言われたことがある。あなたは、愛する存在を失って悲しむシンを見たいのか?〉
すると、オル爺は長いため息をつき、
『……愛、か。確かに、ワシが彼らに抱いているのは愛かもしれんな。だが、シンが死んだらワシはどうすればいい? それでも生きていないといけない、と言うのか?』
〈それは、シンとよく話をすることだ。たくさんたくさん話をするべきだ〉
『話だと? 会話などしたところで、人間はいつか必ず死ぬし、ワシはそれを見送ることになる。何か変わることがあるのか?』
〈オル爺は、人間と話ができるようにスピーカーが付いている。それは、言葉でお互いを理解するため、じゃないか?〉
『このスピーカーは、シンの曽祖父が付けたものだ。ワシの初めてのパートナーだ。理由は聞かなかったが、あいつはワシと話をするのが楽しそうだったのを覚えている』
〈シンはどうだ? あなたと話をして、楽しそうにしていなかったか?〉
『どうだかな。ただ、会話中に笑顔が多かったのは記憶している』
〈だったら、また話をするべきだ。シンはあなたとお話をして楽しいはずだ〉
『拒否しようとしても、どうせ君はシンの前にワシを牽引していくのだろう?』
〈ああ〉
そうして、彼らは山を下りた。
レッカーと共に山を下りたオル爺は、シンの元に連れていかれた。
シンは、レッカーから事情を説明されると、顔をぐしゃぐしゃにして、腰を抜かして地面に膝を崩し、泣きじゃくった。
その後、四つん這いでオル爺に近づき、拳で何回も車体を叩き、汚い言葉で非難した。
そしてオル爺は口を開き、
『すまんかった』
その言葉を聞くと、シンは、祭り会場から離れた場所を指さし、
「ついてきて」
と、先に歩いていく。
シンとオル爺は、喧騒から離れ、今は誰もいない自分の家の前で足を止め、長い長いお話をした。
それは祭りが終わっても続き、朝日が差して小鳥の鳴き声が聞こえてくるまで続いた。
「それで、結局オル爺の自殺は免れたわけね」
朝になり、工業地帯へレンガを取りに行く前のレッカーに、ユキは声をかけた。
〈ああ。さっきオル爺から話を聞いた。とりあえず、シンが生きる間は、自分も生きることにしたそうだ〉
「だとしたら、シンが亡くなったら、その後彼はどうするの?」
〈死ぬつもりらしい。シンが死ぬのをきちんと見送ったら、自分もこの世を去るつもりだ、と言っていた〉
「そう……。それはシンも許したの?」
〈許した〉
淡々とそう答えたレッカーは、ユキの元を離れようと少しアクセルをふかす。
「あなたは……どうするつもりなの」
少し距離が離れたレッカーに、ユキは寂しそうな表情をする。
〈さあな。自分が壊れる時のことなんて、考えるつもりはないが、せめてマオが一人前になるまでは見たい、と思っている〉
やはり淡々と答えるレッカーに、
「そう……ね」
ユキは少し納得した顔をする。
〈死ぬ時のことより、今はこれからどう生きるかを考えたほうが楽しいぞ〉
そう言い残し、レッカーは村の入り口で待機しているオル爺のところへ向かった。
「おねえちゃーん! 朝ご飯だって!」
村長の自宅のドアが開き、その中からマオが手をふった。
シンやオル爺だけじゃなく、マオやレッカーも話をするのが好きだ。そう思ったユキは、フッと微笑み、胸の前で小さくレッカーへ手を振り、マオの元へ歩いていった。
次話をお楽しみに。




