第七十七話:着ぐるみと女性の話①
大きな街の大通り、日曜日のショッピング街は、たくさんの人型ロボットと、そこそこの数の人間が行き来していてにぎわっていた。
そんな歩道の端っこで、人間の大人と同じくらいの身長の着ぐるみがダンスをしている。
見た目は、茶色のもこもこな毛並みのクマさん。子どもに怖がられないよう、顔は可愛くデフォルメされていた。
そのクマさんは、足元に置かれた音楽再生装置から流れる激しいリズムに合わせて、キレッキレの動きを見せている。
二分ほど前からそれは始まったのだが、クマさんは一切バテることなくダンスを続けていた。
可愛い見た目と、自然と興奮してきそうな曲調の音楽と、プロのパフォーマー顔負けの動きのギャップに、行きかう人は、一度は着ぐるみに視線を送る。その場にとどまってダンスを見続け、端末で撮影する者もいた。
クマさんのいる歩道の反対車線の端に、レッカーは停車していた。
目の前に建っているビルの中にある運送会社の事務所に、報酬を受け取りに行っているユキを待っているのだ。
〈ん、なんだあれは……〉
レッカーはボソッとつぶやくと、小さくエンジンをふかせた。彼は言葉を発する時、人間にはエンジンの音だけが聞こえる。
ユキがお店で買ったお昼用のパンを、助手席で黙々と食べていたマオは、彼のエンジン音に気づき、
「どうしたの?」
と、何となく訊いた。
レッカーの言葉は人間には分からないため、マオは、辺りに何か変わったことがないか、キョロキョロと探す。
するとマオも、レッカーが見つけたものと同じものに気づいた。
大人と同じくらいの高さの、茶色の人型の物体が、反対側の歩道で激しく踊っていた。
「え、何あれ何あれ!?」
たちまち興味をそそられて大きな声を上げたマオは、シートベルトを外し、運転席の上を土足のまま四つん這いで移動し、顔をウインドーにべったりとくっつけて、それを見る。
ここからは、踊っているものが何なのかは、マオにはよく見えない。だから、近くで見たいと思い、マオは運転席のドアを開けようとした。
〈危ないからダメだ〉
レッカーがカギをかける。
車道は、大型トラックや普通車両がひっきりなしに走っているから、一つのことに夢中になったら周りが見えないマオは、間違いなく跳ねられるだろう。
「開けてよー。行きたいの。見たいの!」
いくらいじってもカギが開かないことに、彼女は眉間にしわを寄せ、ドアノブを乱暴に引っ張った。
このままでは、ドアノブが壊れてしまう。どうしようかレッカーが悩んでいたところに、
〈ああ、ユキ。マオが反対側の歩道に行きたがってる。連れて行ってくれ〉
用事を済ませて外に出てきたユキに、レッカーは肩の荷が下りたように安心し、そうお願いした。
「向こうに? どうして」
そう尋ねながらユキは、助手席から乗り込み、相変わらずドアノブを壊さんとするマオの肩を、軽くたたく。
「なんであっちに行きたいの」
「あ、お姉ちゃん。あっちでね、何かが踊ってるの」
鼻息を荒くしてそう言ったマオの顔を一瞬見たユキは、マオが指さすほうを確かめる。
彼女の言う通り、「何か」が激しいダンスを披露しているのが見えた。
ただ、ロボットであるユキには、「何か」の正体がちゃんと分かった。
「……うん、行きましょ。もう仕事は終わったし」
そう言って、ユキはマオの手を引いて、助手席の方から外に出た。
横断歩道を渡って少し歩くと、マオにもその「何か」が着ぐるみのクマさんだと分かった。
マオはクマさんのところまで走っていきたかったのだが、ユキに手をつながれていたため、
「もー」
ほっぺたを少し膨らませた。
二人がその目の前に着いた時には、音楽が止まって、クマさんは決めポーズをしていた。
着ぐるみがおじぎをすると、周辺で見ていた十人ほどの人間とロボットの集団から、小さい拍手がおきる。
それを見て、マオは誰よりも一番大きい音の拍手をした。
拍手が鳴りやむと、クマさんは音楽再生装置の隣に置いてある、人間の大人用のシルクハットを拾い、それを観客の目の前に、逆さに置いた。
数秒ほど、ユキとマオを含む集団は、そのシルクハットを見つめていたが、やがて、その場を去る者、財布から小銭を出して入れる者に分かれた。
「ねえ、あたしもお金入れたい」
お姉ちゃんにつながれている右手でグイグイ引っ張り、猫なで声を出す。
「……ほとんどダンス見れなかったと思うけど、それでも入れるの?」
「あ、そうか。じゃ、もう一回踊ってほしい! 頼んでくるね」
そう言って、マオはユキの手を乱暴に振りほどき、肩で息をしている着ぐるみの方に駆けていった。
彼女はクマさんに正面からいきなり抱きつくと、
「あたしね、ちゃんと見れなかったの。だから、もう一回踊って!」
キラキラした目で、クマさんの顔を見上げる。
すると、
『ちょっと待っ……、あっ』
着ぐるみの中から、若い女性の声がしたかと思うと、すぐにもこもこした手で口をふさいだ。
「ん? 今しゃべった?」
マオは抱きついたまま、首をかしげる。
「ほらマオ、離れなさい」
駆け寄ってきたお姉ちゃんが手を握って、マオを着ぐるみから引き離した。
「クマさん、しゃべったよ。ねえねえお姉ちゃん、クマさんって人の言葉しゃべれるの?」
マシンガンのように早口で、マオはそう訊いた。
確かに、ユキにも着ぐるみの中からの声が聞こえていた。
かなり激しい踊りだったから、つい声を漏らしたのだろう、とユキは思った。
ただ、マオほどの年の子どもに、真実を話す必要はない、何とかごまかそう、とユキは考え、
「それは気のせいね。だって、クマさんの言葉が分かるのはロボットだけだもの」
彼女は少し微笑みながら、マオの頭を軽くなでた後、自分だけ着ぐるみに近寄る。
「息が整ってからでいいから、もう一度踊ってくれないかしら。激しいものじゃなくても、あの子はきっと嬉しいだろうし」
キスできてしまいそうな距離まで顔を近づけて、ユキはクマさんにそう耳打ちした。
彼女のその言葉に、クマさんは口を手でふさいだまま、コクコクとうなづく。
そして、クマさんはユキとマオに背を向け、何度か深呼吸して息を整えると、今度は温暖なリゾート地でよく見る、ゆったりとした動きのダンスを踊り始めた。
その動きに合わせて、マオもキャッキャとはしゃぎながら、一緒になって踊りだす。
ユキは少し離れたところから二人を見守り、周りを見た。
数人が足を止め、ユキの近くでそのダンスを見始めていた。
その中には、母親と手をつないでいる、七歳くらいの男の子もいて、手を離し、二人の動きをマネしていた。
大きな着ぐるみと小さい子どもによる、即興のダンスに、だんだん野次馬の人々に笑顔が広がっていった。
三分ほど経って、そのダンスは終わり、観客たちは解散していった。
「楽しかったね!」
マオは満面の笑みで、クマさんにそう言った。
クマさんは、マオを正面からギュッと抱きしめ、自分の感情を伝える。
少しして、クマさんはマオを体から離し、回れ右させた。ユキが近づいてきたからだ。
ユキは懐からハンカチを取り出し、マオの前でしゃがみ、彼女の額を拭く。
春になったばかりだが、日差しが気持ちよく、体温の高い子どもが体を動かすと、すぐ汗をかく。
汗を拭いたハンカチを懐に戻したユキは、今度は財布を出して、中から紙幣を一枚見せる。そして、マオに渡した。
「これを、クマさんにあげて」
「うん!」
マオはその紙幣を、クマさんの手に握らせた。
クマさんは、お金を両手で包み、それを胸に当て、おじぎをした。
そして、マオはユキに手を引かれながら、背後で手を振っているクマさんへ、手を振り返した。
2へ続きます。




