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第七十六話:マオの母親⑤

 汗を流せるところがある、とばあちゃんから言われて、ドアを開けて出て隣の部屋の前に、クミは立った。


「…………」


 入り口にドアはなく、中の様子がまる見えだった。彼女は慎重に入室する。


 床には、地下がのぞける二十センチくらいの穴が一か所開いていた。それはちょうど部屋の真ん中あたりにあり、そのそばに雨水を汲んだバケツと、灰色のフェイスタオルがそれにかけてある。あの穴が排水口代わりのようだ。


 窓際近くの天井は崩落していて、上の階を見上げることができる。そのまた上の天井も欠けていて、吹き抜けになっていた。このあたりにバケツを置いておけば、雨水を確保できるだろう。


 まあこんなものか、とクミは納得した。廃墟での水浴び場など、たいして充実していないのが普通だ。金持ちが泊まるホテルとは違うのだから。


 彼女は服をすべて脱ぎ、バケツの水を両手ですくって首筋へ静かにかけた。ぬるくて、冷たさに震える心配はない。




 汗を流してタオルで拭った後、再び服を着た。汗を吸って臭うが、これしかないので仕方ない。


 髪をタオルで拭いている間に、フィンが小さなビニール袋を二つ持って帰ってきた。それには、パンがぎゅうぎゅうに詰められていたのが、一瞬だが見えた。




 ばあちゃんのいる部屋に戻ると、フィンとばあちゃんが、床に並べられた六つの菓子パンを前にして、地べたに座っていた。


「あ、さっき戻りました。あなたはどのパンにしますか? 一人二つですよ」


 彼はニコニコ顔で、当たり前のようにクミに食料を提供しようとしている。


「…………」


 クミはすばやく大きめのパンを二つ確保すると、二人と少し離れたところに座り、袋を開けて食べ始めた。


 彼女のそんな様子を一秒も見逃さずに見ていたフィンとばあちゃんは、軽く笑みを浮かべ、残った小さめのパンを分けて口にする。




 こんなお人よしがまだこの街にいるとは……。クミは訳が分からず、その日は考えるのをやめ、早々に食事を終えて、部屋の隅に寝転がり、眠ることにした。




 一体何時間眠っていたのだろう。気がつくと、朝日が窓際を照らしていた。


「…………?」


 違和感がすると思って体を起こすと、自分の体にタオルケットがかけられていた。


 はあ、と彼女は小さくため息をついた。自分は二人から完全に仲間として扱われている、とようやく実感した。食事と寝床なんて、そうそうもらえるものではない。これまでは全部自分一人で手に入れてきたというのに。


 彼女は部屋の中を見回す。


 部屋の奥はまだ朝日が当たっていないから薄暗い。そこに敷いてある一つの布団に、フィンとばあちゃんが、お互いの息がかかるくらい近くまで体を寄せて眠っていた。


 立ち上がると、クミは「ううっ」と小さくうめいた。固い地面で寝ていたから、体のあちこちが痛い。後で段ボールを外から探してきて持ってこよう、とさっそく計画を立てたのだった。


 それに、早朝である今しかできない食料調達の仕方があるから、フィンを叩き起こして教えてやらねばならない。裏の世界での生き方を教える、というのが、クミをここへ迎え入れる条件であった。


「あっ」という声が、彼女の口から自然と漏れていた。いつの間にか、自分がこの二人と一緒に生きるのを選んでいることに気づいたのだ。




 他人同士だ。その気になれば、いつでも出ていく。




 そう心に刻み、眠気を飛ばすため、窓際へ行き、日の光を浴びる。

 

「早いねあんた」


 クミの衣擦れの音で、ばあちゃんが目を覚まし、寝転がったまま体を彼女に向けた。隣で眠るフィンを起こさないよう、小さな声で話しかける。


「地べたでたいして眠れるわけねぇだろ。……それより、ガキを起こす。飯を漁りに行くからついてこさせる」

「分かったよ。この子は朝に弱くてね、すぐ起きるかどうか」

「ふん、面倒くせぇなぁ」


 眉間にしわを寄せて不機嫌なクミは、彼にかけてある掛け布団をひっぺ返し、両足首を握りしめて持ち上げ、逆さまにする。


「う、うわぁ! な、なんだ!?」


 上着がめくれて顔に被さり、視界が遮られ、しかも頭に血が上ってきた彼は、じたばたと暴れて抵抗した。そして背中から落とされる。


「いたっ!」


 少しすっきりしたクミは、フンと鼻を鳴らした。


「おい、飯を調達しに行くぞ。さっさとついてこい」


 そしてフィンは、半ば引きずられるように部屋を出た。


6へ続きます。

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