第七十二話:きれい
三千メートル級の山の麓を、レッカーに乗って移動していた時だった。
「えー! なにこれなにこれ!?」
マオが突然前方を指さした。
それまで広がっていた灰色の雲が晴れ、気持ちいい太陽の柔らかい光が降り注いできた。しかし、自分たちがいるところだけは、シャワーのような雨が降り続けている。
「晴れてるのに雨降ってる! なんでなんで?」
彼女は、ハンドルを握るユキの腰を、優しく二回つついた。
「よく見てみなさい。この真上だけに雲があるでしょ」
ユキは運転をレッカーに任せ、ウインドーを開けて首を出し、見上げる。
「本当に?」
半信半疑な風に、マオは同じようにして顔を出し、空を見た。
確かに、この辺りだけに灰色の雲が残っている。
「すごーい! お日さまであっちこっちキラキラ光ってる!」
太陽の光を反射したガラス玉みたいな雨を顔に浴びながら、マオはケラケラケラと楽しそうに笑っていた。
そんなはしゃいでいる彼女を見ながら、レッカーが、
〈少し外で遊ばせたらどうだ。急いでいないし、この森の中の道で、対向車は一台も見かけていないから、安全だと思うぞ〉
顔を引っ込め、あごに手を当てながらユキは、
「そうね……。最近、天気悪い日が多かったし、マオも外で走り回れなくて不機嫌そうだったし」
「何か言った、お姉ちゃん?」
外に顔を出したまま、マオは運転席に向かって叫んだ。
「休憩しましょ」
エンジン音が響く中、妹に聞こえるように返事をした彼女は、舗装されていない道路の脇に寄せながら、ゆっくりとブレーキを踏んで停車させた。そして、ハンドブレーキを引き、シートベルトを解除して外に出る。
お姉ちゃんが降りたのを合図に、マオは「むふふ」とうれしそうに笑い、シートベルトをとって外に出る。
暑さが残る季節だから、多少雨で濡れてもマオは気にしない。助手席にあるカッパも着ずに、彼女は両手を広げ、より多く雨を浴びようと走り回る。濡れた髪の毛が顔に張りついても気にせず、それを振り払おうとはしない。
ユキは妹を見守りながら、前髪をかきあげた。高身長でスラッとやせていてショートヘアーの彼女は、運動をしてシャワーで汗を流した後の人間を思わせる。
〈きれいだなぁ〉
レッカーは誰にも聞こえない小さな声で、そうつぶやいた。
次話をお楽しみに。




