第五話:子どもだまし②
男の名前はショウジというらしい。彼は、村まで案内するからついてきてくれと軽トラでユキたちを先導している。車通りの多い大通に出て、郊外へ向かっていく。
「村ってどんなとこ?」
マオはふてくされた顔でそう尋ねた。ユキの予想通り「おやつ食べたい!」と言ったのだが、突然お姉ちゃんに「村に行くわよ」と拒否されたのだ。大きな街を訪れると、必ずと言っていいほどスイーツを要求する。今日も、ホットケーキ……パフェ……とブツブツ言っている。
「それが分からなくて。ショウジさんに聞いても、後のお楽しみだとしか言わないの」
ユキは運転をレッカーに任せて、この街に来て最初に買った地図二枚をハンドルの前で広げた。
一枚目は、市街地の地図だ。彼女たちがやって来た南から順にたどっていく。大きなビルやショッピングセンター、ガソリンスタンドやカー用品店やコンビニは全て記載されているようだ。
二枚目を見る。街周辺の様子が幅広く記載されている。しかし、北の方に目を向けると森や山脈しか書かれていない。村を示す記号がどこにも見当たらない。五十キロ圏内を網羅しているらしいから、その中に村は無いということになる。
軽トラに積載されていた品物は、それほど多くはなかった。あれだけのためにわざわざ遠く離れたこの街に来たのだろうか。かえって燃料代で損しているのではないか。
次の街まで距離があるのなら、マオのための食糧やレッカーのための燃料をこの街で補給しておきたい。郊外に出たら、いったん車を止めて彼と話しをした方がいいかもしれない。
三キロほど走ると建物が一切無くなった。サイドミラーを見ると、高いビル群が次第に小さくなっていくのが分かる。
路面は砂利道へと変わっていた。周りはゴツゴツした岩が乱立していて視界も良く、幾多の車に踏み固められたこの道だけが、平らで薄い黄土色をしている。
夏から秋に移り変わり、だんだん太陽の昇っている時間が短くなってきた。夏場ではまだ明るい青空が広がっているのだが、今は日が傾いて雲を縁取る光がオレンジ色に輝き始めている。
山の方から湿気を含まない乾いた風が吹いている。換気のために開けていたウインドーから音を立てて入ってきて、車の中に空気の流れをつくる。
何かをさすっている音で、ユキは隣を見た。マオが自分を抱くように腕を組み、体をこすっている。彼女たちの間にある席に畳んである上着を片手で取り、着なさいと渡した。そしてウインドーを閉める。
車はまっすぐ北へ向かっている。北東には岩肌の色が濃い山脈がどこまでも連なっている。ふと北西へ目を移すと――
「……何かしら、あれ」
一キロほど先に、大きなビルが一つ立っているのが見える。その向こうにもまだ立ち並んでいる。その周辺には何かが山積みされているようだ。
軽トラがスピードを緩め、やがて停止した。同じくレッカーもブレーキで止まる。ドアを開けてショウジが出て来た。ユキもシートベルトを外して外に出る。マオには、ここで待っててと言っておいた。
そこは、道の分岐点だった。北東と北西にそれぞれ分かれている。北東へ続く道には石造りの短い橋があり、下を川が流れている。その向こうは林を切り開いた砂利道と高い山がある。
一方、北西へ続く道には検問が設置されている。黄土色の壁をした平屋の建物が道に沿って建っていて、金属製のゲートが成人の腰くらいの高さに設置されている。
「やあ、ショウジさん」
建物から検問官が現れて、片手をあげてあいさつした。制服はがっちり着ているが、雰囲気は緩い。まるで田舎の警察官のようだ。
「おう、お疲れさん」
ショウジは尻ポケットからカードを出して提示した。検問官は顔写真をさっと確認したのみで、いつもご苦労さまと笑顔でそれを返す。
「ああ、今日はこの子たちもいるんだ」
ショウジはユキとマオを順に指さした。ほうほう、と検問官は二人の顔を見た。
「この先に何かご用事かい、お嬢さんたち」
「はい、ショウジさんと一緒に――」
「この子たちは旅人でな。縁あって知り合って、俺たちの村に招待するところだ。そういうことだ」
「ふむ……。うん、許可しよう。通っていいよ、お二人さん」
「ありがとうございます」
ユキがおじぎをすると、ショウジは自分の車へ戻っていった。検問官はメモしていた紙とペンを仕舞い、ゲートを開けに向かった。ユキもレッカーに乗り込む。
「もういいの?」
マオは不思議そうな顔をする。
「ええ。そうみたい」
ユキは驚きが少し混じった声で返事した。
ゲートが向こう側に開かれた。軽トラにエンジンがかかり、検問官の横に移動した。レッカーもその後に続く。
「それじゃ」というショウジの声が聞こえた。検問官も「はいよ」と答える。
彼がレッカーに近づいてきた。ユキは運転席側のウインドーを開けた。
「それではお二人さん、良い旅を」
笑顔で敬礼し、どうぞと片手を車の進む方へ広げた。もう一度お礼を言ってからウインドーを閉める。
サイドミラーには、建物へ戻っていく検問官の姿が写っていた。
検問を抜け、ショウジさんの村まで一本道を走っていく。
彼の車が砂利を跳ね上げ、レッカーのフロントガラスにビシビシ小石がぶつかる。ユキはブレーキを少し踏んでスピードを下げた。
周りは相変わらず小さめの岩がゴロゴロしているが、道の土質が変わった。さっきまで通ってきた道は、粘り気のある土であった。実際、レッカーのタイヤや車体にも洗車したくなるほどこびりついていた。しかし、ここは細かいサラサラした粒の砂利のようだ。前の車が疾走しただけで、砂嵐のごとく景色が悪くなる。ドライブには向かないだろうし、旅の途中でもあまり走りたくない。対向車のエンジン音が聞こえただけで、鳥肌が立つ。
検問を通過する前からもうっすらと見えていたが、高くそびえ立つあのビルは一つ二つではないと分かる。その奥にいくつも並んで建っている。もしかすると、あそこは昔ビル街だったのかもしれない、とユキは思った。
一キロはあっという間で、街の入口へたどりつくのにそれほど時間はかからなかった。
「あ……」
口数の少なかったマオが、ようやく口を開いた。周りの景色に目を奪われる。
そこに建っていたのは、ただのビルではなかった。爆風にでも襲われたかのように窓ガラスが全て無くなっている。壁には亀裂が数え切れないほど走っている。いつ倒壊してもおかしくない廃ビルだった。
ビルは、砂利道に沿って建っている。今走っているこの道は、きっと大通だったのだろう。大きなビルがまだ残っている。
ただ、ビルよりも周りに点在するがれきの山の数の方が、パッと見ただけでもはるかに多い。コンクリート色をした大小の塊が混ざっている。
人の姿はどこにもない。捨てられた街、死んだ街と例えられてもおかしくはない。
「ここは確かに――」
あなたと初めて出会った所とそっくりね――という言葉はひっこめた。すでに、マオはそのことを肌で感じているだろう。あえて口に出すことではない。
ショウジの車は広い道を選んで進んでいる。誰もいないのだからスピードを出しても問題はないはずだが、何かを探すように度々徐行している。
五分ほど経った時、右手に突然土で覆われた空き地が姿を現した。端から端まで五百メートルくらいの距離だ。軽トラがその空き地に入っていく。ユキもそれにならう。
空にカラスが飛んでいる。数十羽はいるだろう。ある場所を目指して真っすぐ下りている。彼はそこへ向かっているようだ。
「誰か……いる……?」
ユキは目を凝らした。何も無い空き地に、五十以上のカラスが集まっている。その真ん中には、人影がある。その人物の服装は真っ黒だ。軽トラが停車する。レッカーもその隣で止まる。
ショウジが運転席から飛び下りた。うつむいたまま何もしゃべらないマオを残して、ユキもその後に続く。
突然の車と人の出現に、カラスが一斉にこちらへ顔を向けた。その目はこれ以上近づくなと発している。ガッ、ガッと警戒の声を出す。上空のカラスも騒ぎ始めた。
ショウジさんを見ると、彼は懐に手を入れていた。そこから出されたのは拳銃だった。ためらいもなく空に向けて発砲した。
競争するかのようにカラスたちは飛び立った。名残惜しそうに旋回する者もいたが、大部分はそんなカラスは残して我先にと去っていった。あっという間に全ていなくなった。
彼の顔色はいたって普通だった。いつもの習慣をこなすように、拳銃を仕舞う。そして、ただ一人残った人影の方に向かう。
「ルリ、そろそろ帰るぞ。もうすぐ暗くなる」
「……うん」
その人物は、黒いコートを身にまとっていた。側面に大きなポケットが二つ付いているだけの、いたってシンプルなものだ。裾を少し引きずっている。靴は、元々白かったと思われる灰色の運動靴だ。そして、頭にはてっぺんが少し尖がった帽子を被っている。
「魔女……」
ユキはそうつぶやいていた。前にマオへ読み聞かせたことがある絵本に出てきた人物とそっくりだ。ただ、声は幼い女の子のものだ。
ショウジは早くも軽トラに戻ろうとしていた。その後をルリと呼ばれた少女はついているが、見慣れない人物に気づいて立ち止まり、目深に被っていた帽子を右手で少し上げた。彼と同じように少々やせているが、精悍で整った顔つきをしている。その目はいつものマオのような人懐こいそれではなく、弱肉強食の世界を生きる野生動物のものだ。
「この人、誰? ショウジの知り合い?」
女の子は無表情のまま彼にそう尋ねる。
「ああ、街で面倒くさい事態に巻き込まれていた所を助けてくれたんだ。今日は村に招待して食事を振舞おうかと思ってる」
「ふーん。ショウジにしては珍しいね。まあ、いいや。よろしく」
彼女はユキに向き直ると、ニコッと子どもらしい笑顔を浮かべて右手を差し出してきた。こちらこそ、と小さい手を握る。一瞬だけ、ルリの眉がピクッと動いた。
「さあて、早いとこ村のみんなに二人を紹介するぞ」
「え、この人の他にも誰かいるの?」
「そうだ。ルリよりも二歳くらい年下の女の子がいる。あのクレーン車に乗ってるよ」
「へえ、それは楽しみ。どんな話しをしてくれるかな。わたしと話が合うかな」
「一緒にご飯を食べる時、隣に座ればいいじゃないか」
「そうだね」
話しは村に戻ってからだ、と彼はルリの手を引こうとする。すると、それをかわして彼女は二十センチくらいまでユキの正面に近づいてきて言った。
「ねえお姉ちゃん。手が冷たいね。どうして?」
ルリは返事は待たずに、クスクスと笑いながら車に乗り込んでいった。
3へ続きます。




