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第六十九話:牛の楽園⑤

「牛を譲ってくれ、とは言いません。精子と卵子を買いたいのです」


 工場の表に出ると、そこには二人の男が立っていた。一人は、精子と卵子を欲しがっている五十代の男。スーツ姿で、首からは研究機関の人間である証をぶら下げており、所長を務めていると分かる。


 もう一人は、アメリーと似たような作業服を着た、二十代の青年。彼は、研究機関が委託している牧場の主だ。


「この街にいる牛は、外の世界ではとっくに絶滅している種だというのは、あなたもご存知でしょう。私の研究所は、そんな絶滅危惧種を集めて管理・調査しているのです。あ、これは前回も説明しましたね。失礼しました」


 所長は男にしては背が低く、頭頂部には毛がない。汗っかきで、女の子と話しているだけで緊張し、額からたくさんの汗をかいている。


「所長の言う通りです。言葉は悪いですが、もしこの街に重大な何かが発生したら、あの牛たちはこの世から姿を消してしまいます。リスク分散しましょう、と以前からお願いしているのですが」


 青年は、所長と違って穏やかで冷静に語っている。


「本当に言葉が悪いな。もしそうなっても、防災壁が地面からせり出して、被害を最小限にするシステムがあるし、あたしらも全力で牛を守る。あんたたちの力なんて借りなくても、十分やっていける」


 早くお客を帰したいと思っているアメリーは、少し早口で面倒くさそうに抗議した。


「買取金額はかなり上げているつもりです。国の機関なので、支払いは確実に行えますから安心してください。お望みなら、前払いします」


 懐から携帯端末を出し、所長は契約書を彼女に見せる。これの一番下の空欄に、彼女が指紋でサインをしたら、契約が成立することになっている。


「こんなのいらない。帰ってくれ。あんたたちの顔は見たくない」


 アメリーは端末を突き返した。そして、腕を胸の前で組んで、契約を結ばない意思を見せる。


 彼女の強気な態度に、所長は戸惑った表情で青年を見る。


 すると青年が、


「そちらの二人のお嬢さんは、アメリーさんのお知り合いですか? もしぼくたちの活動に賛成してくださるなら、ぜひ説得していただきたい」


 ユキとマオに話を振ってきた。


 さきほどから、


「何を話してるの?」

「大事な話よ」

「何の?」

「大人の話」

〈牛の一頭や二頭くらい売ってもよくないか〉

「レッカーの言葉が彼女に分からなくて良かったわ。アメリーさんの機嫌を損ねることを言ったらダメよ」


 と、小さな声で二人と一台で話していたのだが、突然声をかけられて、彼らは一瞬体が固まる。


「わたしたちは、アメリーさんに雇われている身なので」


 ユキはこの論争に参加するのが面倒なため、言葉を濁してやり過ごすことにした。


「そうですか。なら、意見は同じと思っていいのですね」


 青年は納得したように、うんうんとうなづき、所長に「引き上げましょう」と耳打ちする。


「では、また来ます」


 所長はそう言うと、お辞儀をして去っていった。


 牧場の敷地を出る直前、二人は工場を振り返って、何か小さな声で話していた。


 口元がよく見えなかったので、ユキやレッカーにも、会話の内容は分からなかった。



 時刻は午後五時。街の天井にある人工太陽のライトは、西へ移動してオレンジ色の光を放っている。空に映し出された雲が、本物そっくりに風に乗っているように動き、太陽に当たっている部分が着色されていた。


 二人の男がいなくなるのを見送った彼女たちは、現実を忘れるように少しだけ空を見上げる。


「もうこんな時間か。すまないね、あいつらしつこいんだよ。種の保存とか言ってるけど、最近外の世界で繁殖できた例はないし、辛い環境にわざわざ牛たちを連れて行きたくはない。ここは、生きやすい環境を整えた、牛の楽園で、この街の牛飼いは代々牛を守ってきた実績があるから、他の人に譲る必要はないと思う」


 限りある空を見つめながら、アメリーは愚痴をこぼした。ストレスを発散するように語気は強く、たまにつばが飛んでいる。


「たしかに、これほど天候が安定した牧場は、今時珍しいですね」


 ユキは、事前に調べていた情報を頭の中で巡らせながら、彼女に語りかけた。晴ればかり永遠に続くと生き物には良くないらしく、この街ではシャワーのように定期的に雨を天井から降らせているという。


「そうだね。こんなに充実した設備を整えているところは他にないだろう。でも、あいつらには、たとえ設備があったとしても、愛情はない。金儲けしか考えていない連中は、滅びればいい」


 牛にはさほど興味はないユキだが、金儲けのことばかり考えている身としては、多少言いたいこともある。しかし、雇用主に反することは言えない。


「お腹空いた!」


 突然マオは、牧場全体に響くような大声で叫んだ。牛を見ていたら、胃が食べ物を求めてきたのだ。


 するとアメリーの曇っていた表情が晴れ、


「ああ、ご飯にしようか。今日はあたしが作ってやるから、家に来な」


 クスッとアメリーは小さく笑い、マオの手をとってわが家へと足を向けた。


6へ続きます

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