第六十九話:牛の楽園③
モー、という低音の鳴き声は、よく知られている乳牛と大差ない。
作業着に着替えるから先に牧場に行っててくれ、とアメリーに言われたので、ユキとマオは、青々とした新鮮な草が生えている放牧地に歩いて行った。
「牛さん、真っ白だね。なんで?」
率直な疑問を姉にぶつける。
「突然変異らしいわ」
事前に調べていた情報をマオに話す。だが、彼女が首をかしげたので、
「たまたま白く生まれたのが、どんどん増えたのよ」
と言い直した。
二人の言った通り、この牧場にいる牛はすべて体が白かった。黒い斑点はどこにもない。
牛たちは、頭を下に向けて草を食んだり、腰を下ろしたり、のんびりと過ごしている。
近くまで二人が寄っていっても、彼らは動じていない。見知らぬ侵入者でも、人間なら興味はないようだ。
マオがおっかなびっくりな様子で、地面に座り込んでいる牛の胴体を、ツンと人差し指で軽くつつくと、
「あっ」
マオは思わず小さく声を上げた。
牛はさすがに顔をこちらに向け、じろっと二人を見上げる。
立ち上がったら牛はマオよりはるかに大きくて体重も重い。のしかかられたら、彼女はひとたまりもない。
本能的にそれを感じて、マオは一歩後ろへ下がり、表情にちょっとだけ緊張が走る。
少しの間、沈黙の時が流れたものの、
「ふうー」
マオは安堵の息をついた。
その牛は顔を戻し、二人への興味を失った。
「面白かった?」
彼女の背後に立っていたユキは、にこやかにそう尋ねる。
「ちょっとびっくりした」
マオは、いつもより大きく速く動く心臓のある位置に手を当てている。
「もっと、べったりと触っても大丈夫だぞ」
少し離れたところまで、作業着に着替え終わったアメリーが歩いてきていた。そしてマオの横に立つとおもむろに彼女の手首をつかみ、牛に一歩近づかせ、そっと背中辺りに触れさせた。
マオは言葉が出ず、蹴られたり頭突きされたりしないかと、牛の顔色をうかがう。
牛は警戒心がなく、今度はこちらを見ず、自分の体を黙って触らせている。
アメリーはマオの手首を左右に動かし、牛の毛並みを感じさせた。
「ほー」
牛の細やかな毛一本一本が手のひらをくすぐり、その感触が気持ちいい。それにとても温かく、ずっと触れていたくなる。
「どうだ?」
手を離してやり、アメリーが訊く。
「ふかふかのお布団みたい。寝てみたい」
マオはうっとりとした表情だ。
「そうだろ、気持ちはわかるぞ。ただ、背中に乗ったり寄りかかれたらこいつも嫌がるから、それは無理だな」
アメリーの言葉に、彼女はしょんぼりしてしまった。
「生き物に触る経験をあまりさせてあげられていないので、マオも嬉しがってます。ありがとうございます」
軽くユキがおじぎすると、
「いいって。まあ、牧場はおろか、動物園さえも最近は数が減ってるし、後者はほとんど動物の保護と研究の機関と化してるから、仕方ない。喜んでもらえて、誇らしいよ」
アメリーは、シシッと歯を見せて笑った。
「さて、ユキ。仕事にとりかかろうか。部品をクレーンで吊ってくれる? 台車に載せてロボットたちに運ばせるから」
「分かりました」
4へ続きます。




