第六十七話:足が無かった人
とある都市の郊外。戦前は人がまばらに住んでいた地域だったらしいが、今は廃墟だけしかなく、人影はない。
道路は舗装されているから、たまに対向車は見かけるものの、それは自動運転車だったりロボットが運転していたりで、人は今レッカーの助手席に座っているマオしかいない。
「ちょっとー、停まってー」
人を見かけたのはそんな場所だった。見た目は三十代半ばの女性で、体のラインが裸であるかのようによく分かる紫のライダースーツを着ている。レッカーに向けて手を振るその女性は、おっとりとしてとても落ち着いた様子だ。彼女の隣には、馬力がとても高くて大型の真っ黒なバイクがある。
ユキの了承を得て、レッカーは女性の近くに寄せて停車する。三時間以上走り続けていた彼は、ランニングした人間が絶え絶えと息を吐くようにプシュー、と音を出した。
「どうしましたか」
降車してユキは女性の元まで行った。今の時点ではこの女性が何者か分からないから、いつでもレーザー銃を懐から出せるように、作業着の上着のチャックを少し開ける。
「実は、あたしのバイクがとうとう壊れちゃってぇ、あなたの立派なクレーン車で運んでもらえないかと思いましてぇ」
ねっとりと、かつおっとりとした口調で説明しながら、女性は愛車のバイクをなでた。
「わたしたちは、荷台に積んでいるこれを隣町まで運んでいるのですが、その大きくて重そうなバイクを運ぶとなると、燃費がかかって報酬に影響しますが」
対価がはっきりしないとあまり依頼を受けたくないユキは、傍から聞くといじわるそうな言葉を並べる。
「お金? きちんと払うわよぉ。前払いで。これでいい?」
女性は懐から財布を取り出し、現金をユキに渡した。
都市ではキャッシュレスが一般的だが、そうでない町に行くと、専用の端末を用意できていない商店がよくある。だから、旅人は現金を持ち歩く。
この女性も、旅人かもしれない。知らない人間を助けるのはあまり気が進まないが、旅をしているのなら、お金を稼ぐための手段を何か知っているはずだ。それを聞き出せばよい。
「分かりました。バイクは荷台に載せるので、あなたはこっちに乗ってください」
ユキは席を指さした。
「ありがとぉ。このご縁は一生忘れないぃ」
お年寄みたいな言葉を使う人だな、とユキは感じた。
バイクをクレーンで吊って荷台に載せ、女性を自分とマオの間に座らせると、ユキはアクセルを少しずつふかし、出発する。
ライダースーツ姿の女性を珍しく思い、マオは彼女の頭から体、足にかけて順番にだまって観察していたが、胸部で目が止まった。
(大きい……)
マオは口には出さなかったが、自分にもお姉ちゃんにもないそれを、まじまじと見る。
すると女性は、視線に気づいてクスッと笑い、
「あらぁ、あんまりじろじろ見るのはマナー違反よ? ここから先は有料」
出っ張ったそれに両手を当てた。
「有料?」
マオは首をかしげる。
「あなたが大人になったら分かるわよー」
女性はそう優しく語りかける。
そのやりとりをハンドルを握りながら聞いていたユキは、
(まさか、この人のお金の稼ぎ方って……)
自らには出来そうにないから、この話題をするのはやめておこう、とユキは思った。
それから一~二分ほど間が空き、
「あたしねー、お客さんとの間に子どもが出来ちゃってねー」
誰にも聞かれたわけでもないのに、女性は突然話し始めた。
「そうなっちゃうとお仕事にならないから、おろしてくれって店長やそのお客さんに頼まれたんだけどねー」
はぁ、と女性は軽くため息をつき、
「自分のお腹の中に命があるんだって実感するようになった時、誰よりも何よりもこの子のことが大事に思えてきて……」
「それまで適当に生きてきただけで、ちっとも楽しいことがないなって憂鬱になってたんだけど……」
「お酒飲んだわけでもないのに頭が真っ白になって、お客さんをぶん殴って、店長のこのスーツとバイクを盗んで、気がついたらこんなところまで来ちゃってた」
「あたし、自分の人生でこんなに自由なのは初めてで、誰かにいつも縛られていたころとは比べ物にならないくらい面白くって」
「やっと自分の足で歩けるんだって実感してる」
そこまで話し終えると女性は、ポカーンと口を開けてこちらを見ているマオに気づき、
「あらぁ、ついいっぱい話しちゃったわねぇ。あたしの言ってること、分かんなかったでしょ?」
マオは、「うん」とうなづいた。
「あたしがこの先何をしたいか聞きたいぃ? ここから先は有料だけどぉ」
うーん、と真剣な表情で少し考えていたマオだったが、助手席の近くにある袋からキャンディを一つ出して、女性に渡した。
それを自分の手のひらで転がしていた女性は、ふふっと笑みを浮かべ、
「次の町へ行ったら、バイクを直してどこか遠いところに行くの。知ってる人がだーれもいないような、ね」
女性はマオにウインクして見せる。
古い平屋の家や商店が並ぶ小さな町に到着した。
「わたしたちはここで仕事があるのですが、あなたは……」
ギアをニュートラルにしてハンドブレーキを引き、ユキは女性に尋ねる。
「ここでお別れよぉ。ありがとぉ。話を聞いてくれる人が欲しかったから助かった」
女性は二人に握手した。
エンジンのかからないバイクを重そうにおす女性を、二人と一台は見送る。彼女が角を曲がって見えなくなるまで、目を離さなかった。
「不思議な人だったね」
マオは素直な感想をユキに述べる。
「そうね」
ユキは冷静につぶやいた。
〈行こうか〉
レッカーは再び走り始めた。
女性が曲がった道の先を二人と一台は見たが、彼女の姿はどこにもなかった。
誰にも、彼女の向かった先は分からない。
ユキとマオとレッカーがこれからどこを旅するのか、それを知るのは彼女たちしか知らない。
次話をお楽しみに。




