第五十九話:十年後の君は②
一週間後の昼すぎ、マオは大荷物を持って家を出た。
「行ってきます、レッカー!」
彼女が家の横に停まっているクレーン車の車体をコンコンと叩くと、
『ああ、行ってらっしゃい』
発声装置から、青年のようなだるそうな声がした。
マオは彼に手を振ると、歩き出した。
お姉ちゃんは、もう仕事へ出かけている。最近手に入れたスクーターに乗って。
レッカーが修理不能と業者から通告されたのは、三年ほど前になる。あまりに古い車体だから、替えの部品がなかったそうだ。
人工知能を新しい車体へと移し替えることをお姉ちゃんが彼に提案したのだが、レッカーは拒否した。
『今まで旅をしてきたこの体を失うのはいやだ』
そう言ったので、レッカーはまるで隠居老人のように家で過ごしている。たいていの時間は寝ていて、お姉ちゃんやマオが話しかける時だけ短い会話をする程度だ。
この先、レッカーはどうなるんだろう。そんなことを考えながら歩いていると、あっという間にバス停へ着いた。
今日は、ミリーと郊外の森へキャンプに行くのだ。バスで近くまで行き、それからは歩いていく予定だ。
バスに乗り、しばらく経つと、学校前のバス停でミリーが乗ってきた。
「こっちこっち!」
マオが大きな声で手を振ると、ミリーは周りの目を気にしながら小動物のようにコソコソとマオの隣の席に座った。
「恥ずかしいよー、マオちゃん。人のいるところで手を振ったら、私目立っちゃう……」
するとマオは、
「ん、何が恥ずかしいの? 普通に声かけただけじゃん」
首をかしげる。
「だってさっき私が乗ってきたとき、みんな私のこと見てたよ。何か、いきなりみんなの前に立たされたみたいで恥ずかしかった」
ミリーは顔が真っ赤だ。
「ふーん、よく分かんないけど、ミリーが嫌がるんなら、やめるよ。ごめんね」
マオは、ひざの上に乗せているミリーの手をそっと握る。
「ううん、いいの」
ミリーはニコッと小さく微笑んだ。
一時間後、バスはバラックが数多く建つ居住地に停まった。二人はそこで降りる。
ここからは、二時間ほど歩くことになる。目的地は、ふもとが針葉樹に覆われた丘の頂上で、そこは森の先にビル群が見渡せる絶好のスポットだ。
マオはテントや自分の寝袋を持っていて大荷物だが、ミリーはあまり力に自信がないので、それほど荷物は多くない。
途中、何回も休憩を入れながら、目的地へ着いたのは約二時間後のことだった。
ここには、すでに三回二人で訪れている。そのため、道に迷うことはなく、前回よりもスイスイと歩くことができた。
二人は少しの間お菓子とお茶を口にして休憩していたが、今夜泊まるための準備を始めた。
二人用のテントを立てたり、散歩をしながらまきを拾ったり、リスやきつねを見つけては写真を撮ったり。
気がつけば、あっという間に辺りは暗くなっていた。
暗闇の中で唯一明るく光るたき火を囲んで、二人はカップ麺を食べていた。
「外で食べるカップ麺って、すごく特別感ない?」
豪快にズズズッとすすりながらマオがそう言うと、
「そうだね。いつも家で食べてるのと同じなのに、どうしてこんなに味が違うんだろ」
ミリーはちゅるちゅると少しずつ、麺の触感を味わうように口に入れていた。ハフハフと熱そうにするたびに、湯気が立ちのぼる。
「ミリーと二人っきりで食べてるから楽しいんだよ、きっと」
マオはニカッと歯を見せて笑った。
「……うん、私もマオちゃんと一緒に食べれてすごく楽しい」
ミリーは照れくさそうに笑った。
カップ麺を食べ終えると、二人は歯磨きをし、早々にテントの中に入った。夏とは言っても、丘の上は夜になると少し冷えてくる。
「マオちゃん、今日はね、二人で初めてキャンプをしてからちょうど一年なんだよ」
ふふふっと、嬉しそうにミリーは言った。
「あれ、今日だったっけ。すっかり忘れてたよ。そっかー。一年経ったのかー。早いなぁ」
マオがお年寄りみたいに時の流れの速さを噛みしめていると、
「そうだよ。私は一年前、初めて自然の中で寝たんだよ。とっても気持ちよかったし、今もそう思う」
「去年のミリーは、ちょっと歩いただけで音を上げてたのに、今日は余裕って感じだったね」
「それは……マオちゃんと一緒に楽しむために、休みの日に足腰を鍛えてるから」
「へぇー、そんなことまでしてたんだ。辛くなかった?」
「ううん、全く。だって、マオちゃんが私と友達になってくれるまで、私ずっと一人ぼっちだったもん。マオちゃんにはとっても感謝してるんだよ。だから、絶対マオちゃんは手放すもんかって必死だったの」
「そっかー。あたしのためにすごくがんばってくれてたんだね。ありがと」
「いえいえ、どういたしまして」
「……今度、映画でも見に行かない? ミリー、映画見るの好きなんでしょ?」
「そうなの! 私ね、SFにすごく興味があって、それでね……」
その後、二人は映画談議に花を咲かせ、疲れたころにはすっかり夜中になっていた。
その夜、マオとミリーは手をつなぎ、お互いの汗と髪の匂いが感じられるくらいピッタリとくっついて眠った。
午前二時過ぎ、少女は目を覚ました。
ここはクレーン車の運転席。自分は座った姿勢で眠っていたが、横にいる五歳の女の子は体を丸くして目を閉じている。
「夢……」
少女は小さくつぶやいた。
そうか。あれは夢だったのか。妹が十五歳になって学校に通い、ミリーという女の子と一緒に過ごすという日常は、全部自分がつくりだしたものだったのだ。
ふう、と少女は息を吐いた。
夢の中で、妹はとても楽しそうにしていた。ミリーも、妹の明るい性格に触発されて笑顔が多かった気がした。
だが、それゆえに、あれが夢だったのだと思うと、少し胸の中にぽっかりと穴が開いているように感じる。
「十年後……」
自分とクレーン車と妹は、いったいどんな生活を送っているだろう。やっぱり旅をしているのか、あるいは夢の中のようにどこかへ定住して暮らしているのか。
こればっかりは、少女の頭の中にある人工知能でも分からない。
「でも……」
少女は、隣で眠る妹の頭をそっとなでた。
想像することはできる。十年後、自分たちがどう生きていたいのか。何より、妹のためにどうすることが一番の選択となるのか。
「まあ、それは……」
ゆっくりと、これからの旅の中で見つければいい。時間はたっぷりあるのだから。
もうひと眠りしよう。少女は目を閉じた。
起きたら、妹のために食事をつくろう。森の中だから火は起こせないけれど、夏だから温かいものは必要ない。
少女は眠った。
終わりです。次話をお楽しみに。




