第五十四話;廃都会の小さな宿③
外で、家から漏れる明かりを頼りに中身の手紙を読む。すべて読み終わると、
「……やっぱりね」
分かっていたことだった。うん、そのための準備もしてきた。これでいいんだ。
家の中に戻ると、二人は楽しそうにおしゃべりをしていた。
「はあ……」
ついため息が出てしまう。
「どうしましたか、ティオナさん」
ユキちゃんが尋ねてきた。
「いや、実はね……。この宿、あと少ししたら畳むことにしたんだ」
もう一度ため息が出る。
「……その理由を聞いてもいいですか」
ユキちゃんが遠慮がちに訊いた。
「……二か月前、国の軍関係者と名乗る人がやってきて、近々この街を演習場として使用することになったって言われたんだ」
演習場……。ユキちゃんは小さくつぶやく。
「この国は確かに平和そのものだけど、いつ他の国から人間がやってきて反乱を起こすか分からない。だから、そのための訓練をするみたい」
「なぜこの街で?」
「市街戦闘の訓練をするのに、ここは最適なんだって。それで、お金は十分に支払うから、ここを出て行ってくれないかって」
「……それは乱暴ではないですか。一人とはいえ、住んでいる人がいるというのに」
「人間を交えた国の会議で、決定したことみたい。ネットで調べても、特に反論する人はいなかったな。あ、この宿はどうなるんだって書き込みは見たかな。ちょっとうれしかったよ」
「それにしても……」
ユキちゃんが少し興奮してきた。どうしたんだろうと言いたげに、マオちゃんはお姉ちゃんを見上げる。
「いいの。最初その話を聞いたとき、もちろんイヤだって思ったよ。でも、よくよく考えたら、ここで演習をやったおかげで、いつか救われる命があるかもしれない。平和なのはこの国だけだからね。私のわがままでその機会を奪っちゃいけない」
「…………」
ユキちゃんは黙り込んでしまった。
ああ、どうしよう。私のせいで、せっかくのディナーが不味くなってしまった。マオちゃんはもう食べ終わっているけれど、私はもう食べる気がなくなった。
三度目のため息をつくと、私は食器を片付けることにした。
「ごめんね、変な話しちゃって。あ、そうそう。お風呂に後で案内する」
そして、夕食はお開きとなった。
翌日、二人は一階で出発する準備をしていた。
「ティオナさん、お世話になりました」
ユキちゃんが頭を下げる。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。また、どこかで会えるといいね」
ちょっと待ってください。ユキちゃんが言った。
「え、何?」
「実は、とある場所を教えてもらいたいんですが」
「いいよ、どこ?」
「そこには、あなたにもついてきてほしいのです」
「私も?」
「はい、それで、その場所というのは――」
私たちは、この街に駐留する軍隊のキャンプに来ていた。
もちろん、すぐに銃を持ったロボットの兵士が駆け寄ってくる。
レッカーというクレーン車に乗りながらユキちゃんは、
「この人の家について話があります」
と、兵士に言った。
兵士は私の顔を確認すると、
「どうぞ」
道を通してくれた。
とあるビルの中にある応接室に通された。二分ほどして、
「お待たせしました。私がここの責任者です」
軍服を着た男が現れた。ロボットか人間かは分からないが、たぶん兵士に人間はいないはずだから、この男もロボットだろう。
「ティオナさんの家についての話だそうですが、どのようなお話ですか」
とても低く冷静な声で、男は私たちに尋ねる。
すると、ユキちゃんが話し始めた。
「近々、この街では演習が始まるでしょう。そして、たくさんの砲撃や爆撃が行われるでしょう」
もちろん、と男は答えた。
「そこで、お願いがあります。この人の家の周辺では、それを行わないでもらいたいのです」
えっ、と、私は隣に座るユキちゃんを見る。彼女はまっすぐ男に向いていた。
「ほう、それはなぜ?」
「ティオナさんの宿は、旅人にとても評判でした。どの人に聞いても、好意的な言葉を言っています」
「みんなに愛される宿だから、ですか?」
「それだけじゃありません。あの家は、ティオナさんが育った家だそうです。この街はいずれボロボロになるでしょう。でも、せめてあの家だけはそのまま手つかずにしてほしいのです。わたしは、ある事情で故郷を離れました。二度と戻れません。だから、ティオナさんの故郷だけは、残ってほしいのです」
「…………」
男は、腕を組んで考え始めた。
まさか、ユキちゃんの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。いや、確かに心のどこかでは願っていたことではあるけれど。直談判なんて思いつきもしなかった。
男は懐からスマートフォンを取り出した。それを操作している。三分ほど経って、
「分かりました。ただ、私は演習を指揮する立場にはならないので、その旨が認められるようしっかりと軍に伝えます。それくらいは大丈夫かと思います」
「あ、ありがとうございます!」
私は深く頭を下げた。
「いえ、あまり気にしないでください。家一つ無傷で残せないようじゃ、軍隊失格ですから。そのための訓練だと思えば」
男は初めて小さい笑みを浮かべた。
軍のキャンプを出たあと、私はレッカーの中でユキちゃんに抱きついた。
「ありがとう、ユキちゃん。ありがとう」
「いえ、いいんです。国の方針とはいえ、自分の家がなくなるのはイヤだと思っただけです。わたしも、もしレッカーがなくなってしまったら、生きる心地がしないでしょうから」
ユキちゃんは、レッカーのハンドルをなでた。すると、レッカーはうれしそうにエンジンをブルブルとふかせた。
ねえねえ、とマオちゃんが私の背中を軽く叩いた。
「うれしいの?」
私はユキちゃんから離れ、
「もちろん!」
マオちゃんにも抱きつく。
そのあと、ユキちゃんたちは北の方角に旅立っていった。チリとホコリをレッカーが舞い上がらせ、走っていく。あっという間に見えなくなってしまった。
「ようし!」
私は自分の家の前でほっぺたをパチンと叩いた。
旅の準備をするぞ! そして、いつかユキちゃんたちのような相棒と出会って、どこまでも行くぞ! どうせ小説はどこでも書ける!
いつかここに戻ってこられたときは、自分の大切な人と一緒にいたい。私の故郷を見てもらうんだ。
まずは、宿を閉めることをネットで知らせないと。私は意気揚々と家の中に入った。
五十五話をお楽しみに。




