第五十三話:キスの話
「ねえ、あれは何?」
マオがレッカーの助手席から、ある建物を指さした。
「あれは式場よ。……あら、ちょうど結婚式をやっているようね。ちょっと見てみましょうか」
ユキは式場から道路を挟んだ向かい側にある一軒家の前でレッカーを停車させた。
「あっ、見てみて! 男の人が女の人に今、チュウしたよ!」
マオが鼻息を荒くしてその場で跳ねる。はずみで天井に頭を軽くぶつけ、「いたっ」と頭のてっぺんをさすった。
キスを終えて招待客から紙吹雪をかけられている男女をしばらく見ていたマオは、唇を少しとがらせた。
「いいなぁ、あたしもチュウしたいなぁ」
そう言って、お姉ちゃんを見上げる。ユキは式場の方を見ていて、その横顔は何か思いつめたような表情だ。
〈なんだ、マオが誰と結婚するか、なんてこと考えてるのか?〉
レッカーがユキに優しい口調で尋ねる。
「まあ、ちょっとね……」
あいまいな返事をすると、彼女はマオからの強烈な視線を感じた。横を見ると、唇をとがらせていた。
「……何してるの?」
ユキはマオのほっぺたを一回つつく。
「お姉ちゃん、チュウしよ?」
唇を一旦引っ込めて、そう提案した。
「え? わたしとマオが? チュウは普通、お互いを好きな男と女がするものよ」
「いいの。あたしはお姉ちゃんのことが好きだからいいの」
特に恥ずかしい表情をすることなく、マオはすらすらとそう言った。
なんでも思ったことを口にするのはマオのいいところだ。だが、すぐに影響を受けてユキを巻き込むことがよくある。
妹にキスしようと言われたとき、世の中のお姉さんはどうやって切り抜けているのか。データベースを探っても答えが出てこない。
自分で判断しろ、ということか。あるいは、レッカーに聞いてみるか。ユキは、ちらっとハンドルに視線を移す。
すると、ユキの視線がそれた一瞬の隙をついて、マオは彼女のほっぺたにチュウした。すばやくお姉ちゃんから離れたマオは、へへっと面白そうにニヤける。
「…………」
ユキは目をパチクリする。どうしよう、妹から告白されたうえ、キスまでもらってしまった。この後、自分はどうしたらいい。
「次はお姉ちゃんの番だよ」
マオは右のほっぺたをユキに向けると、自分のそれを人差し指で指す。
「わ、わたしもやるんだ……」
何か、変なものをマオに見せてしまったようだ。だが、マオの「好き」という気持ちをもらってしまったから、何か返さないといけない。
ユキは顔を近づけると、すばやくマオのほっぺたに唇を軽く触れさせた。すべすべできめ細かい肌だ。ほっぺたが小さくプルンと揺れた。
少しの間、マオはキスされた自分のほっぺたをさすっていたが、
「なんか、すごく心の中がポカポカする」
明るい表情で言った。
「奇遇ね。わたしもよ」
ユキは軽く微笑むと、アクセルを踏んでレッカーを発進させた。
〈なんか、見ていてこっちが恥ずかしくなったぞ〉
レッカーが苦笑する。
「あなたにもやってあげましょうか?」
〈やめろ、運転を誤る〉
レッカーは切羽詰まったように答えた。
この感触はずっと忘れないだろうな。ユキは自分のほっぺたを軽く触った。
しばらく不定期更新です。




