第五十話:マオとお友達①
「じゃあ、ママ出かけるからね。ちゃんと寝てるのよ」
正午を三十分ほど過ぎたころ、リーアという十歳の少女は、高級マンションの一室で一人ぼっちになった。
今日は、本来ならば学校に行く日だ。だが、風邪とウソをついて休んでいる。元々体は弱いし、いつも青白い顔をしているため、親から不審がられることはなかった。
母親から、薬を飲めとかパジャマを着ろとかいろいろ心配されたので、一応言うことは聞いている。ただし、体に異常はないのに薬を飲んだらどうなるか怖いから、そっとティッシュに包んで捨てた。
外は、リーアの心の中とは裏腹に気持ちいい冬晴れだ。冬にしては暖かい日差しが、リビングに入ってきている。
彼女は、白い下地に水玉模様のパジャマ姿でソファに寝転んだ。ご飯を食べた後だし、精神的に疲れているから、すぐに眠りに落ちた。
三十分くらい寝ていただろうか。ゆっくりと起き上がり、窓から外を見た。寒そうだが、太陽の光にぬくもりを感じる。ちょっと外の空気を吸おう。リーアはリビングの一番大きい窓を開けた。とたんに、冷たく乾燥した空気が流れ込んでくる。
彼女の一家はマンションの一階に住んでおり、ベランダは国道から一区画入ったところの市道沿いにある。平日の昼間だから、車や人の姿はまばらだ。
はぁ、とリーアはベランダの柵に寄りかかってため息をついた。ズル休みをしていると、罪悪感がどうも拭えない。そんなの気にしたら負けだよ、とネットの記事で見たが、マジメな性格の彼女は一日中そのことばかり考えてしまう。
しばらく物思いにふけっていると、遠くから子どもが全力で走ってくるのが見えた。かなり足が速く、五~六歳ほどの女の子だと確認できるまでそう時間はかからなかった。
その子はリーアの前を通り過ぎていったかと思うと、五メートルくらい離れたところで立ち止まった。そして、後ろを振り返る。
「はぁ、はぁ……」
少しばかり息を整える。数秒すると早くも普段通りの息づかいに戻り、さらにその場でピョンピョンと跳ね、遠くの様子をうかがった。
今、女の子のいる通りには人影はない。車道で宅配用のトラックが走っているだけだ。
「勝ったー!」
突然女の子が両手を突き上げてバンザイした。達成感あふれる笑顔がまぶしい。
正直、自分のすぐ近くで騒がれたら気になって仕方がない。でも、一人でうるさくする子どもに話しかけたら、色々面倒なことになりそうだ。
そっとだ。そーっと気づかれないように部屋へ戻ろうとした時、
「誰?」
女の子がこちらを見ながら近寄ってきた。大きくて黒い瞳をまっすぐリーアに向けている。
いやいや、誰ってこっちが聞きたい。でも、そっちが名乗ってよ、などと口論はしたくないので、仕方なく――
「私は、リーア」
リーアは女の子と目線を近づけるためにしゃがみこむ。
「ふうん、あたしはマオ」
マオと名乗った女の子は、リーアのいるベランダの柵の下までやってきた。
小さくてかわいい子だな、とリーアは思った。背中まで伸びる黒髪がふわふわで、さわったら気持ちよさそう。キチンと整えてくれる母親か姉がいるのかもしれない。
「ここで何をしてるの?」
マオが尋ねる。
「疲れたから、風にあたってるの」
リーアは淡々と答える。
「でも、冬だから寒いよ」マオは少し体を震わせる。
「いいの。どうせもうここが寒いから」リーアは自分の胸に右手を当てる。
「ここ……?」
マオも自分の胸をさわってみる。だが、走ってきたせいでバクバクと動く心臓の存在しか感じない。彼女は首をかしげた。
「あ、ああ。ごめんね。マオちゃんには少し難しかったね」
リーアは苦笑いする。
すると、マオはジャンプしながらリーアの家の中をのぞきこんだ。
「今……一人……?」
弾み終わって、マオはハアハアと少し息を荒くする。
「うん、そうだけど……」
戸惑いながら答えるリーア。そんなこと聞いてどうするんだろう。
「じゃあ、一緒に遊ぼう! リーアちゃんの家で」
マオはニカッと白い歯を見せた。
えっ、遊ぶ? たった今知り合った子と? しかもズル休みしてる私の家で?
リーアはまるで、自分が犯罪行為に手を染めようとしているかのような恐怖を感じた。
リーアが悩んでいる間に、マオはもう一度身震いし、さらに盛大なくしゃみを一つした。
このままマオちゃんを外にいさせると、風邪を引いてしまうかもしれない。それこそ忍びない。
「え、ええと、良かったら……家に入って」
リーアは柵の隙間から手を伸ばした。
マオはその手につかまってよじ登り、柵の付け根に立った。
今度は、リーアが柵の上から手を伸ばし、マオの両手をつかむ。そして一気に引き上げた。マオの足がやわらかく、すぐに柵の上に足を引っかけられたので、ベランダの中に引き入れるのはかんたんだった。
「そ、それじゃとりあえず、いらっしゃい……」
リーアはベランダの窓を開け、マオを我が家に招待した。
2へ続きます。




