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第四十九話:チョコレートなロボット④

 窓ガラスの割れる音は、館内の一階から聞こえた。

 三人はその方向に振り向いた。遠くだからよく分からないが、割れた窓から何か小さい物が次々と飛び込んできている。

 ただ事ではないことが起きたとユキは瞬時に気づき、懐からすばやくレーザー銃を取り出した。そして、マオを自分の腰に寄せる。

「何があったんでしょう。私、見てきますね」

 そう言って、ロッテは駆けていく。

「ちょっと待って!」

 緊張感のこもった声で、ユキは彼女を呼び止めた。

「え?」

 ロッテがポカンと小さく口を開ける。

「空気中にかすかだけどガソリンの成分が漂い始めてる。ガソリンなんて今時、工場や軍用兵器くらいにしか使われていないはず……」

 ユキの言葉に、ロッテはくんくんと鼻を動かした。

「……本当ですね。確かにガソリンのようです。この家には、ガソリンを使う装置なんてないですよ」

 ねぇ。マオがお姉ちゃんの服の裾を引っ張った。

「どうしたの、マオ?」

「トイレ行きたい」

「どっち?」

「おしっこ」

「まだ我慢できる?」

「うん」

「悪いけど、少し待ってて」

 マオは素直にうなづく。

 すると突然、廊下の向こうから何か小さい物が走ってきた。それはネズミの形をしたロボットだった。ただし、足は小さい四つの車輪になっていて、お尻から液体を振りまいている。

「……!」

 ユキはそれに向けて銃口を向ける。だが、ジグザグに走っているため、照準が定まらない。

 ネズミはあっという間に三人の足元を通り過ぎて行った。そして、廊下の突き当たりに来ると、それは停止した。

 慌ててロッテも銃を取り出して構える。それはユキの持っている物より高性能なレーザー銃だった。

 ネズミがこちらに向き直った。ニタッと口の端を曲げて笑うと、それはガタガタと震えだす。

 その様子を見て、ユキは叫んだ。

「逃げて!」

 彼女は、マオとロッテの手首をつかんでネズミとは反対の方に走る。

 それから二~三秒後、彼女たちの背後から手りゅう弾のような爆発音が響いた。それは空気を震わせ、耳をつんざく。破片が少し飛んできて、三人の背中にピシピシと当たった。

 三人はネズミの方へ振り向いた。それは形も残らず消滅していて、じゅうたんや壁が真っ黒に焦げている。そして、先ほどネズミが撒いていた液体に火がついていた。火はものすごいスピードで走るように燃え広がり、三人を追い越していった。

 その瞬間、その場の誰もが、何者かに襲撃されていると気づいた。

「早く外へ!」

 ユキは二人を連れ、一階の玄関を目指した。

 その間も、館のあちこちから爆発音がしていた。火の手も上がり、炎が窓を突き破る。

 幸い、玄関前のロビーはあまり燃え広がっていなかった。三人はドアを開け、真っ暗な外に出る。

 屋敷から二十メートルほど離れてから振り返ると、建物全体がすでに山火事のように燃えていた。木造建築だったらしく、それが火の勢いを一層加速させている。

 車庫の方から、レッカーがヘッドライトを点けて疾走してきた。三人の目の前で停車すると、

〈お前たち、無事か?〉

「ええ、わたしたちは大丈夫よ。どこもケガしてない」

 レッカーは、ユキとマオの体を舐めるように観察し、

〈そうか、良かった……〉

 とりあえず、胸をなでおろした。

 屋敷からは、他にも数名の召使ロボットが這い出てきていた。制服は焼け焦げたり無くなったりしているが、みんな立って走ってきているから体には問題はないのだろう。

「このまま、消防が駆け付けるのを待ちましょう。これだけ派手に燃え上がっていれば、誰かが通報しているはずよ。……ところでレッカー、屋敷の周囲に人影はない? あなた、わたしより目がいいのよね?」

 ユキはあたりを見回した。

〈ああ、俺が見る限り、どこにもそれはないな。おそらく、爆弾を何かで投げ入れた後、逃走したんだ〉

「レッカーは、その前に誰か怪しい人影は見なかったの?」

〈……申し訳ないが、昨日までの仕事で疲れていて、車庫の中で眠っていた。爆発音で目が覚めた〉

 彼はすまなさそうに言った。

「……え?」

 ロッテがキョロキョロと落ち着かない様子で周囲を見渡している。

「どうしたの、ロッテさん」

 ユキが尋ねると、

「……クリス様が、いません……」

 ハッとユキは慌てて周りに視線を向ける。確かに、目に見える範囲に彼の姿はない。

「まだ屋敷の中にいるのかも……」

 そう言って、ロッテは屋敷に向かって走っていった。

「待って! あなたのその体じゃ火の中は……」

 ユキは彼女の肩をつかむ。

 だが、彼女はその手を振り払って言った。

「クリス様を守るために強くなりました。きっと炎の中でも大丈夫です」

 ロッテのその表情は、自信に満ちあふれていた。


 そして彼女は、ユキとレッカーの制止を聞くことなく、屋敷の中に消えていった。


 ロッテは正面のドアを蹴破って中に入った。

 ロビーは、さっき自分たちが避難していた時よりも火と煙の勢いが増している。そのせいで、視界がかなり悪い。

 彼女は建物の構造を自らの頭脳から引っ張り出し、それを元に走っていった。

 クリスの部屋は三階の一番端っこにある。そのことが、彼女にとって心配だった。

 さっき、ネズミのロボットは、廊下の突き当りを感知して停止し、爆発した。もし騒ぎに気づいた彼が廊下に出てそいつと出くわしていたら……。

 想像するだけで恐ろしく、汗の代わりに額からチョコが一滴流れた。

 階段を駆け上がっている間、火の壁が立ちはだかっていてその先へ進めなさそうな所があっても、かまわず走り抜けた。そのせいで、体中のチョコが少しずつ溶けだしている。

 それに、屋敷内の室温もかなり上昇している。おそらく四十度以上はある。そのことがチョコの融解を加速させていた。ボタボタとそれが足元に落ちていくのが分かる。

 三階に着くと、あちこちに絵画を飾っていた額縁が落ちていた。その絵は、クリスが子どもの時から今までずっと描いてきたもので、父親が大事そうに飾っていたものだ。それらも、ガラスが割れて中の絵も燃えてしまっている。

 ふと、一枚だけ無事な絵があった。それだけでも守ろうとロッテは拾う。

 一瞬見ただけで、以前これを見た時の記録が頭脳から検索された。それは、父とクリス、そしてロッテの三人が並んで立っている絵だった。確か、彼が七歳の時に描いたもののはずだ。みんな、幸せそうな笑顔をしていた。まだ彼女より背の低いクリスが、今と変わらないロッテと手をつないでいる。

 その絵を丸めて、すでに大部分が焼け落ちている服の懐に仕舞った。


 廊下の隅に、人影が一つ倒れていた。嫌な予感が的中していたようだ。

「クリス様!」

 彼に駆け寄って、体を揺すってみる。すると、

「……ロッテ……?」

 意識はあるようだ。だがうつろ目で、眠らないように必死に耐えていることはすぐに分かった。

「はい、私です。無事ですか!?」

 ロッテの目から、チョコの滴が次々と流れる。

「いや、右足が……」

 彼女は、彼の右足を見てみた。足首から下が無くなっている。

「…………!」

 ロッテは自分の口を押え、ブルブルと震えあがった。

「ネズミが……来て……蹴っ飛ばしたんだけど……戻ってきて……足元で爆発……した……」

 息をするのも辛そうに彼は言う。

「と、とにかく……! 応急措置を……」

 そう言って、ロッテは残り少ない自分の服を引きちぎって細い布を何本もつくった。そしてそれを彼の足首のあたりにキツく巻き付ける。どんどん血が流れて止まらないからだ。このままでは、大量出血で命に関わる。

「あの……ロッテ……」

 息も絶え絶えに声をかける。

「どうしましたかどこか痛いですか!?」

「ええと、そうじゃなくて……ロッテの服がほとんど焼け落ちて……胸とか……下半身とかが……」

 クリスは恥ずかしそうに彼女から目をそらす。

「え?」

 彼女は自分の体を見てみた。目の前のことに夢中になりすぎていて気づかなかったが、服がすべてと言っていいくらい消え失せていて、十歳並みの胸とお尻などが露出してしまっている。

 ロッテは慌てて股を太ももで隠す。胸は両手がふさがっているのでどうしようもない。

 

 処置を終えると、彼女は彼の懐に入った。おんぶして脱出するためだ。だが、

「あ……」

 左足に力を入れたとたん、ロッテの左足が膝から溶け落ちた。ゴトン、と鈍い音がした。

 足が片方無くなり、バランスを崩したため、彼女はクリスの下敷きになって倒れた。

「うっ……」

 その瞬間、この先自分たちがどうなるか想像し、彼女はたくさんのチョコの涙を流した。

 懐に仕舞っていた彼の絵が床に落ち、転がっていく。それは燃えているじゅうたんの中に吸い込まれ、どんどん灰になっていく。手を伸ばしても、そこには届きそうにない。

「あ……あ……」

 ロッテはうめき声しか出せないでいた。どうしてだろう。発声をする部分はまだ無事だというのに。なぜだか、胸の奥がキリキリと痛む。この気持ちは一体なんなのだろう。

「もう……いいよ……」

 最後の力を振り絞るように、クリスはそっとロッテの頭をなでた。チョコがベタリと手に付く。「このまま、母さんの元に行くよ。ロッテも一緒に」

 彼の体から力が抜け、ロッテに体を預ける。

 彼女の体は、クリスの体重に押しつぶされて、少しずつ少女の体としての形を無くしていく。

 その時、ロッテはハッと何か思いつき、その場の空気を刃で切り裂くような鋭い声で言った。

「ダメです! まだ諦めないでください。私に、考えがあります」

 突然、彼女は腕に力を込めてクリスを自分の背中から投げ出した。彼は床に転がり、仰向けになる。

 そして、ロッテは彼の元に這っていき、彼の体の上に自らを預けた。

 すると、彼女の体が自分の意思で溶けていき、クリスの体を包み始めた。最初は彼の胴体から、そして下半身や首、さらに頭まで。呼吸できるよう、鼻だけは露出させた。


 二十秒ほどして、クリスはチョコで覆われた。その代り、ロッテの人間としての形は完全に失われ、彼を包む膜と化した。


「あたしも助けに行く!」

 マオがお姉ちゃんに捕まりながらも暴れている。

「あなたがどうやってこの火の中を?」

 妹が地獄へ突っ込んでいくのを見たくないユキは、彼女を必死に阻止する。

「ほら! 前に絵本で読んだやつ! おしっこで火を消すの!」

 そういえば、マオは今トイレを我慢しているのだった。

「あれはおとぎ話よ。本当にできるわけではないわ」

 今のお姉ちゃんは、獲物を威嚇する肉食動物のように恐ろしい形相をしている。


 ロッテが屋敷の中に入っていって十分後、消防車が十台ほど到着した。そこから出てきたロボットの隊員は手際よく準備をはじめ、特殊な化学薬品を混ぜた液体を建物に放射する。それは、水よりも効果的に消火できるものとして、現代では一般的に使用されている。

 また、別の消防車から運び出されたドローンが上空に舞い、空からも同じ液体で消火を始める。それは合計五機だ。


 十分後、屋敷の火は跡形もなく消え去った。


 その後すぐに、ユキは隊員と召使ロボットとともに屋敷の中を捜索していた。もちろん、クリスとロッテを見つけるためだ。ちなみに、火災現場は危険なため、マオはレッカーの中で待機させている。

 召使ロボットが先に階段を上がっていく。クリスの部屋は三階の隅だという。

 目的の二人はすぐに見つかった。いや、正確には、一人の人間の形をした物体だった。

「何、これ……」

 ユキは思わずつぶやいた。クリスと同じ体格のチョコの塊が、そこに転がっているのだ。

 隊員は混乱していて、無線で誰かと連絡を取っているが、召使とユキにはそれが何かすぐに分かった。

「……顔の部分だけ、慎重にはがしましょう」

 ユキは隊員たちにそう提案した。彼らはその言葉に、目の前の物体が要救助者であると理解し、言うとおりに作業にかかった。

 少しして顔と首の部分のチョコだけはがれ、中身が姿を現した。それはやはりクリスだった。

 隊員が生死の確認を行う。顔には少しやけどの跡があるが、それほどひどいものではない。

「大丈夫です。息をしているし、脈もある。気を失っているだけのようです」

 隊員の言葉に、召使はホッと一安心した表情をした。

 ユキ以外のロボットたちで、ここでチョコをすべてはがして容態を確認すべきか、このまま運ぶべきか、議論がされた。そして、このまま運ぶ結論に達した。この建物がいつまで形を保っているか分からないからだ。

 隊員と召使たちで、ゆっくりとクリスが運び出されていく。それをユキは見送った。

「…………」

 ユキは、現場に残された一枚のマイクロチップを拾った。それには耐火・耐水の処置がされているらしく、無事なようだ。

 彼女は、それを大事そうに懐に仕舞った。


 一時間後、病院の処置室の前にあるソファに、ユキとマオとゼファルが座っていた。父親だけ落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしている。

 やがて、医師のロボットが部屋から出てきた。同時にクリスの載せられた担架が運び出される。

「クリス!」

 彼は慌てて息子に駆け寄った。

 担架を運んでいたロボットたちは、その場で足を止める。

「お子さんは無事です。やけどもあまりありませんでした。今は鎮静剤の効果で眠っているだけですよ」

 医師は優しい声で言った。そして、言葉を続ける。

「ただ、右足の足首から先が失われてしまいました。明日、義足を取り付ける手術を行う予定です」

 父は、言葉を返さず、ただ医師の話を聞いていた。そして、安心したのか、たくさんの涙を流し始めた。息子の胸に顔をうずめ、嗚咽おえつを漏らす。

 ユキとマオは、彼らから少し離れたところで見守っていた。

「ねえ、助かったの?」

 マオはお姉ちゃんを見上げる。

「ええ、一応ね」

 ユキはまっすぐクリスを見つめながら答えた。

「ロッテさんは?」

 するとユキは、懐からチップを取り出した。

「これよ」


 クリスが個室のベッドに運ばれて、医師と看護師がいなくなったころ、ユキはゼファルにそれを渡した。

「これは?」

「ロッテさんです」

 淡々とユキは答える。

 すると、彼はそれを握りしめ、胸で抱きしめた。

「ありがとう。絶対に元に戻してみせる。全財産をつぎこんででも」

「直りますか?」

「ああ、おそらく。いつもこの子にチョコを継ぎ足している技術を応用すれば……」

「……ロッテさんが回復したら、新聞かテレビにそのことを広告として出してもらえませんか。わたしは旅をしている身なので」

「分かった。その時は、必ず君たちを招待しよう。今回の騒動に巻き込んだお詫びをしたい」

「感謝します」

 そうして、ユキはマオを連れて病室を出た。

 入れ違いに、スーツ姿のアンドロイドが二人入っていった。ユキは廊下に立って、中での話をそっと聞く。

 彼らは刑事のようだ。事件について説明している。そして、今回の事件を起こした実行犯は、屋敷の庭にあった防犯カメラに映っていて、隣町に似た顔つきの男たちが目撃されたという。逮捕は時間の問題らしい。

「犯人の後ろにいる組織についても、おのずと分かってくることでしょう」

 刑事は自信たっぷりの声でそう話していた。

 それを聞いて、ユキはフッと小さく微笑み、病院を去った。


 三か月後、新聞のとあるページに、ロッテというロボットが回復したという広告が載った。

 その広告の一番下に、ゼファルとクリスとロッテが並んで立っているモノクロの写真があった。クリスとロッテは、火事で燃えた絵のようにしっかりと手をつないでいた。

 ユキは、荒野の真ん中を疾走するレッカーの中で読み終えると、大事そうにその新聞を車内の収納スペースに仕舞った。

四十九話は終わりです。五十話をお楽しみに。

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